それからまた一週間ほど、意味もなく私は月野さんとの時間を極力作った。わざと涼香の前で話をしたり、ご飯を一緒に食べる約束をしたり、お風呂に一緒にいったり、三人で部屋にいるのにずっと月野さんとばかり話したり。
そんなことをしている自分が惨めすぎて泣きたくなっても、それは胸の深いところに押し込めて蓋をしめて鍵をかけている。その鍵はがたがたに緩んでしまっているけど、まだ大丈夫。閉じたところから気持ちがもれたりはしていない、はず。
「……ふ、う」
今私は手持ち無沙汰に寮の中をさまよっていた。
部屋には今美優子が来ている。ごくたまに私も美優子がいても一緒にいたりもするけど、大抵はこうして寮をふらふらとしていた。
一人になると嫌なことばかり考える。
(……私ってこんなに愚かだったの?)
月野さんといることで涼香の気を引こうとしている。あきらめ切れていない自分に嫌気がさすし、こんなことをしている自分が惨めでたまらない。
(……自分に自分で同情してるのね……)
それがさらに心を沈ませる。
惨めでこっけいで、どうしようもないほどに自分が愚かとわかっていながら後戻りもできない。
自分のことを肯定できなくなったら生きるのなんてつらいだけだというのに。
「……ほんと、馬鹿みたい」
どんどん自虐的になってくる。していることを考えれば仕方のないことなのかもしれないけど。
(あ……)
目的もなく一階に下りようとしていた階下にある相手を見つけ、足を止めた。
「朝比奈先輩」
それは、
「水谷、さん」
月野さんのルームメイトで、何かと私と涼香に敵意を向けてくる水谷さんだった。
涼香は苦手そうだけど、私もこの子のことは少し苦手。敵意を持たれているというより昔の自分を見ているかのようだから。
「ちょうどよかった、少しいいですか?」
しかし、彼女のほうはなにやら私に用があるらしい。
「かまわない、けど?」
苦手といってもそれだけで無碍に断ることもしづらい。
「そうですか、じゃあ、どこか二人になれる場所につれてってくれませんか?」
「え? 別に、そこのロビーでいいんじゃ……」
私は何気なくそういったのだけど、水谷さんは普段から細い目を尖らせてつめたい氷のような声をだした。
「二人きりで話がしたいんです」
「っ!」
「で、どこかありませんか?」
「どこ、って、なら水谷さんの部屋でもいいんじゃ……」
「陽菜に話したっていうのを気づかれたくないので」
いつも厳しい目と態度をする水谷さんだけど今日はなんだかそこに凄みがある。私を圧する何かが。
私はそれに気圧されて黙ってしまう。
「はぁ。心あたりないんですか? それとも、私とは話したくありませんか?」
「そ、そんなことは言ってないでしょ」
「じゃあ、屋上でも行きましょうか? あそこならあんまり人こなさそうですし」
「え……?」
「さ、行きましょう」
私が屋上という単語に心をひるませている間に、水谷さんはさっさと階段を上がっていってしまった。
私は今さら嫌だとも言えず苦い記憶に心をさいなまれながら水谷さんを追っていった。
屋上……私にとってそこは特別な思いいれのある場所だ。
最初の思い出は……いい思い出。
絶望していた私が生きる意志を取り戻した夏休みの午後。絶対に嫌われたと、もう二度と話すらできなくなると覚悟して、後悔していたのに……お人よしな涼香は私を正面から受け止めてくれた。
本当に嬉しかった、まだ一緒にいていいといわれて……一日でも一分でも大好きな人と一緒にいられることがうれしくてたまらなかった。
だから、いい思い出。
次の思い出は……苦しみの始まり。
後悔した。涼香をけしかけてしまったことを、あのままでいたところで私の想いが叶うことなどなかっただろうがそれでも後悔してもしたりなかった。
あそこで涼香にあんなことをいいさえしなければ、涙は枯れることがないということを知ることもなかった。
(…………それは、どうせ変わらなかった、か)
涙を果てしなく流すことはどうせ訪れていた。
「へぇ、初めて出ましたけどなかなかですね」
考え事をしている間にいつの間にか屋上についていた。
水谷さんは入り口から外周のほうに歩んでいくとしばし景色を眺めた。
私はこの場所にいるのを耐えるだけで水谷さんのことは目で追うだけだった。
水谷さんは一通り眺めると気が済んだのか私のところに足を向ける。
「さて、じゃ単刀直入に言いますね」
そして唐突に話を切り出してきた。
「……これ以上、陽菜で遊ばないでください」
耳に痛くてたまらないことを。
「え……?」
突然水谷さんから発せられた言葉を私は処理しきれず呆然と水谷さんを見返した。
水谷さんは凛としながらも周りの空気すら凍らせてしまうかのような雰囲気を纏い、続けていく。
「自分の立場を利用して陽菜を弄ぶのやめてっていってるんです」
「ちょ、ちょっと待って、そんな、こと……」
「してますよ。なつかれてるのをいいことにいつもいつも陽菜を連れまわして……このままじゃ陽菜が可哀相です」
「かわい、そうって……」
確かに、水谷さんの言っていることが痛く響くけど、可哀相とまで言われるようなことなんて……
「可哀相ですよ、だって朝比奈先輩」
(っ!!?)
耳をふさぎたくなった。ここから逃げ出したくなった。
だけど、それよりも早く水谷さんは
「友原先輩のこと好きなくせに」
「っ!!??」
背筋が凍ったような感じがした。
水谷さんの周囲にあった雰囲気が私までを取り込んで私を凍らせる。
「え、あ……」
わか、るの? 私は【友達】として涼香のそばにいるつもりだったのに。気持ちを隠して【友達】でいることだけを選んでいたつもりだったのに。
なのに、バレてるの?
(……涼香、にも……?)
体が谷底へと落ちていくような不安感に襲われた。
涼香にも、わかってるの? いや……そんな
「先輩? ……聞いてます?」
「っ!?」
自分で混迷への道をたどる寸前だった私は水谷さんの言葉で現実に引き戻された。
しかし、その現実も私にとってつらいものでしかなかった。
「あ、幸いかどうかは知りませんけど、陽菜は気づいてないみたいですからそこは安心してください」
「………」
「私、陽菜のこと結構好きですよ。素直でいい子だし、無理矢理こさせられた私にとっては、いつも楽しそうにここで過ごすあの子は新鮮で……ってまぁ、私のことはいいですか。とにかく、正直許せないんですよね。その気がないくせに陽菜にいい顔するの。いくらなんでも気づいてますよね? 陽菜が朝比奈先輩のこと好きなんだって」
氷の雰囲気が私の体を突き刺す。
この敵意の大きさが水谷さんが月野さんのことを大切に思っているかをあらわしている。
そう、いつも感じていたあの敵意は月野さんに規則を破らせる私と涼香にではなく、月野さんのことを利用している私に向けられていたのだ。
「っ、それ、は……」
「というより、気づいてるからそれを利用してるんじゃないんですか?」
気づいていないわけじゃなかった。月野さんが私のことを特別な目で見てきているのを。ただそれをそうだと思わない様にしていた。
けど、水谷さんの言うとおり、気づいていたから……涼香に見せ付けたかった。私と彼女が仲良くしているところを。私に好意を持つ月野さんと一緒にいるところ涼香に見てもらいたかった。
顔を伏せ腕につめをつきたてている私。それを見る水谷さんの目が変わった。ずっとくだらないものでも見るかのようだったけど、少しだけその空気が弛緩した。
「……まぁ、先輩の気持ちもわからないわけじゃないですよ。あ、いえ、わからないですけど理解はできますよ。友原先輩は……えっと、西条先輩、でしたっけ? 西条先輩のこと好きですもんね」
「っ!!?」
「ここは驚くことじゃないと思いますけど。朝比奈先輩が友原先輩のこと好きっていうのはともかく、友原先輩と西条先輩のことは結構わかりやすいと思いますし。友原先輩って悪い意味じゃなくて誰にでもいい顔しますけど、西条先輩には特別ですし。それに西条先輩のほうはべったりですし」
水谷さんは容赦なく言葉を突き刺してくる。
やめて、よ。もう。
私たちの……私のことを何も知らないで。勝手な、ことを……
「けど、だからって。陽菜のこと弄んでいい理由にはならないですよね」
「……やめ、て」
「やめませんよ。だって、ここでちゃんと言っておかないと後で陽菜がもっと苦しむことになりますから。私は先輩よりも陽菜のことが大切ですから」
強い。水谷さんはさっきから一度も私から目をそらすことなく、ただ月野さんのために私に向かってくる。
まだ入りたてで、先輩である私にこのようなことを言ってくるのは並大抵の勇気ではないはずなのに。水谷さんはそんなひるみを一切みせることない。
「先輩といるときの陽菜を見るのってつらいですよ。陽菜は先輩のことばっかり見ているのに、先輩は友原先輩のことばっかりを気にして、可哀相っていうよりも憐れです」
「…………」
「はっきり聞きますけど、朝比奈先輩って陽菜の気持ちに応えるつもりあるんですか?」
……何もいえない。
「ないんだったら、はっきりそう言ってください。長くなればなるだけ陽菜があとでつらくなるんですから」
いえるわけもない。
「陽菜の気持ちに気づいてるくせに、見ないふりして陽菜と一緒にいるなんて卑怯ですよ」
私には反論する権利なんてないのだから。
だけど
「それとも、あれですか? 友原先輩のことあきらめたときのために陽菜のことキープしておこうととでも思ってるんですか?」
「っ!」
私は頭の中が真っ赤になり思わず手を振りかざした。
「っ」
水谷さんは一瞬ひるんだけど、すぐにさっきと同じように私を射抜いてきた。
「殴りますか? どうぞ。私はそれだけのことしてるとは思いますし」
「っ…………」
手を動かせない。
……視界がゆがんでしまっていて水谷さんのことがよく見えないから。
「どうしました? いいですよ。別に」
ない。
私には反論する権利も、水谷さんをぶつ権利もありはしない。
私は振り上げた手を力なく下ろした。
「…………」
水谷さんはそんな負け犬のような私を底の知れない瞳で見つめてくる。
「…………まぁ、いいですけど。言いすぎましたし、今日はここでやめておきます。けど、覚えておいてください。先輩がそうしている分、陽菜があとで傷つくんだって」
そういい残し水谷さんは屋上を後にする。
(私……私は……)
残された私は自己嫌悪に苛まれながら、強く唇をかみ締めることしかできなかった。