私はもともとこの学校に来るのは本意ではなかった。

 母親が自分が出身だからと娘である私にこの学校に行かせたいという気持ちは理解できなくはない。

 だけど、そんな自己満足のために振り回される身としてはたまったものではない。今までの人間関係も、住み慣れた町も離れ見知らぬ土地で、見知らぬ人たちと一緒に暮らされなければならない。

 不安も当然ながら、そもそもその必要性がどこにあるのか。

 ……もっとも、いくら言われたからとはいえ最後に決めたのは私なのだから文句をいうこともできないのでしょうけど。

 そういうわけで私はこの天原女学院に何一つ期待をしないできた。

 だが憂鬱な気分の中、私は興味深い相手と出会った。

 その名は月野陽菜。ルームメイト。

 私にとって彼女は新鮮だった。

 彼女は私とほとんど同じ境遇でありながら、まったく逆のことを思っていた。母親からの話でずっと憧れていたなど、母親にここの話をされるたびにうんざりしていた私とは百八十度異なっている。

 とにかく彼女は憧れのこの場所で毎日を目を輝かせながら過ごしている。それは、私にも少なからず影響を与えた。私がことあるごとに面倒や堅苦しいと後ろ向きに考えたのに対し彼女は何にでも楽しそうで興味を持ち、前向きにとらえていた。

 そんな彼女を見ていたらなんだか否定的にばかり考える自分がばからしく思えてきた。

 我ながら単純ね、と思わないわけではない。

 ただ、そのおかげで来てしまったものは仕方がないのだから、彼女を見習おうと考えられるようになった。

 だから、彼女は私にとって特別な友人。こういった友人ができるものこの共同生活の面白い面なのかもしれない。そう考えられるようになったのも彼女のおかげ。

 そう思えるようになってからは彼女を見ることが多く、彼女がなぜあんなにも楽しそうにするのかという理由の一つを知った。

 どうも彼女は二年の朝比奈先輩という人に好意を抱いているらしい。

 それに対し私は口出しをする立場ではないと思っていたのだけれど、陽菜と朝比奈先輩の最近の関係を見て気が変わった。

 朝比奈先輩は陽菜を利用している。朝比奈先輩は同室の友原先輩のことが好きで、だが友原先輩は西条先輩と両思いだ。気を引きたいと思っているかどうかは想像でしかないけれど、そのために陽菜を利用するのは許せない。

 朝比奈先輩に同情すべきところはあることは認めたとしても。

 だから、この前はっきりと朝比奈先輩に告げた。我ながらひどい言い方のようにも思ったけど、このまま時がすぎれば陽菜が後々苦しむことは目に見えていたから。どうせ傷つくのであれば傷は浅いほうがいい。

 そう、思ったのだけれど……

 

 

「なーぎーちゃん!

「っ!?

 放課後、寮に戻ってきた私は部屋に帰ろうとしたところでいきなり後ろから陽菜に抱きつかれた。

「……なに?」

 別に抱きつかれようとかまわないけれど、暑苦しいのといきなり後ろからというのは驚くからやめてもらいたいのよね。

「これから朝比奈先輩の部屋でお茶するんだけどなぎちゃんも来ない?」

 いつものニコニコとした笑顔で陽菜は言う。

 私はあまり陽菜と朝比奈先輩がいるところを見ていられず、こういった誘いに乗ることは少ない。だけど、今日は思うところがある。

「そうね。たまにはお邪魔させてもらうかしら」

 私はさっきの抱きつきのショックでずれてしまった眼鏡をクイっと直しながらこれから会う相手を思いするどい目をするのだった。

 

 

 彩り鮮やかな色に、芳醇な香り。

 紅茶に関してはほとんど知識はないけれども、この人、朝比奈先輩の淹れてくれる紅茶は普通とは違う気がする。

 私はその相手を見つめながらせっかくなので一口口を付ける。

「…………」

 まぁ、紅茶なんてほとんど飲まないから気のせいかもしれないけれど。

 ちょうど四方あるテーブルにひとりずつ座って、歓談……といっていいのかはともかく話をしている。

「あの、朝比奈先輩」

 私の左隣にいる陽菜は私の正面の朝比奈先輩のほうに近づいて嬉しそうに話しかけている。

「うん……」

 朝比奈先輩はいつも陽菜と話すときとは様子が異なっていて、歯切れ悪く陽菜に受け答えをしている。

 私はそんな二人、特に朝比奈先輩をにらむようにするけどここに来るときほど強い思いは込めていない。

(……一応、私の言葉は通じているみたいね)

 もっとも陽菜に伝えないのなら一緒なのだけれど、まぁ昨日今日で話をするというのも簡単ではないだろうからとりあえず、今は大目に見てあげますよ。

 私は一人で納得するともう一口紅茶を飲む。

「? なんですか? 友原先輩」

 すると、いつのまにか私を見つめている友原先輩の視線に気づいた。

「あっ、え、っと……」

 友原先輩は私が先輩を見返すと、先輩は困ったように目をそらした。

「なんですか?」

 私は朝比奈先輩のことはまぁ、今のところ嫌いといっていい。が、友原先輩に関しては好意的かどうかはともかく普通にはいい先輩と思っている。おせっかいと思わないでもないけど、色々気にかけてくれているのは感謝する面もあった。普段すましてはいても、やはりまだまだわからないことや戸惑うことはある。

 友原先輩は性格か、意図的にそう振舞っているのか、そんなときにそれとなく助けてくれる。

 まぁ、朝比奈先輩と一緒に陽菜を誑かして、規則を乱させたりするのは気に食わないのだけれどそれを差し置いてもいい先輩とは思うわ。

 もっとも朝比奈先輩が陽菜にああしている原因の元はこの人にあるのかもしれない。だとしてもさすがに友原先輩にまで責任を問う必要はない。

「あ、いやー、せっかくだから渚ちゃんと色々話したいな〜と思ったんだけどね。何か渚ちゃん機嫌わるそうだったから」

「……機嫌、悪そうでしたか?」

「あ、まぁ私の気のせいかもしれないけどね。でも、ちょっと怖い顔してたよ」

「ふむ」

 朝比奈先輩のこと、今日のところは許そうと思っていたはずだけどそうなっていなかったのかしら?

「あ、ほらまた」

「っ、すみません。でも機嫌悪いわけではないのであまり気にしないでください」

「難しい年頃だねぇ。ま、何か困ったりしてるんなら話してくれれば力になるよ?」

「……友原先輩に話すことじゃありませんから」

「……ふぅ、ん?」

 私は思わずわずかな本音を漏らし、友原先輩は当然だがそれに気づくことはない。

 そう、話すことじゃないわ。本来なら朝比奈先輩にすら私が私情でいうべきことではなかったはず。人の機微に関することなど。

 私はそう思い、本来陽菜に話さなければならない人を強い瞳で見つめるのだった。

 

 

「……………」

 いらいらする。ムカムカする。

 一週間。明日で一週間になる。

 朝比奈先輩に話をしてから、もう一週間。朝比奈先輩の態度を見れば、私のいったことが通じて、朝比奈先輩も一応きちんと考えてはいるということはわかった。

 だから、しばらくは様子を見ていた。

 しかし、その間にも陽菜は相変わらずなにも知らない顔で朝比奈先輩に会いに行き、そのことを部屋で楽しそうに話す。【見えている】側としてはそれが痛ましくてたまらないというのに。

 今、私は少し離れたところからロビーにいる朝比奈先輩と陽菜を見つめている。別にストーキングしていたわけではなく、たまたま見かけたので観察しているだけ。

 ……朝比奈先輩が陽菜に話を切り出しづらいというのはわかる。話をする朝比奈先輩も、話をされる陽菜もどちらも愉快になることのない話だもの。躊躇するもの当然。

(それはわかるけれど……)

 私は陽菜を見つめる瞳に感情を乗せる。

 楽しそうな、嬉しそうな笑顔の陽菜。

 あの笑顔が絶望……とは言わないけど、悲痛にゆがむ姿は見たくないのよ。陽菜に嫌な思い出を作って欲しくない。もっとも、もはや悲しむ姿を見ないというのは無理でしょうけど。

 朝比奈先輩が陽菜を受け入れるのなら別でも、きっとそれはない。詳しくは知らないし、知りたいとも思わないけど、朝比奈先輩はきっとそういう人。

 けれど、朝比奈先輩に同情する余地があることと、陽菜を悲しませることなることとは別なのよ、ね。

「……あなたがそうなら、私は私がやりたいようにやりますよ」

 それが、陽菜に嫌われる可能性があったとしても。

 私はそう小さくつぶやいてその場を後にするのだった。

 

 

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