一週間、たってしまった。

 あの日……水谷さんから話をされてから、月野さんに告げろと言われてから、一週間。何もしないままただ時間だけがすぎてしまった。

 日に日に水谷さんの私を見る目が厳しくなっているのを感じる。

 言わなきゃいけないっていうのはわかっている。遅くなればなるほど月野さんを傷つけることもわかっているつもり。

 それでも言い出せなかった。

 今さら、涼香に見せ付けたいだなんて浅はかなことは思ってない。だけど、それを思わないことと月野さんに話をすることというのは別。

 こんなことを思っているんじゃ月野さんにだっていつか私の様子が変と気づかれないとも限らない。

 言わなければならないと考え続けて一週間。

 きっかけは向こうからやってきた。

 

 

 夜、夕食もお風呂も終わってあとは就寝時間を待つだけの自由時間。所用で部屋を離れていた私が部屋に戻ってくるとそこには月野さんの姿があった。

「月野さん、どうしたの?」

 声をかけて近づく私を見ると、月野さんはビクっと一瞬震えて私を見返してきた。そこにいつもの笑顔はない。

「あ、の、先輩……少し、いいですか?」

「な、に?」

 その空気にただならぬものを感じた私は声を縮ませた。

「私の部屋、来てくれませんか? 二人きりで話ししたいので」

「いい、けど。水谷さんは?」

「なぎちゃんは今、いないから」

 月野さんはそういうと早々と歩き出してしまった。

 私は動悸がするのを感じながら無言でそれについていく。

「どうぞ」

 同じ階にある月野さんの部屋につくと、月野さんはドアを開けて私を促した。

「…………」

 変わらず無言のまま私は部屋に入っていった。

 すぐに月野さんも私に続いて部屋に入ると中から鍵をかけた。

 そこで、なんとなく予想していたことを確信に変える。

 普段私の前ではいつも笑顔だった月野さん。それが今は暗く重い空気を背負い、私を見つめる瞳に曇天のような不安が宿っている。

 二人きりで話さなければならないこと。部屋の前で待っていた月野さん。この部屋にいない水谷さん。

 となれば、その理由は。

「あの、聞きたいことがあるんです」

 二人して、ベッドのそばに腰を下ろすと月野さんはすぐに口を開いた。

「うん」

 この前水谷さんと対峙したときと同じように耳をふさいでしまいたいと願った。ここから逃げ出したい、と。

「先輩って、友原先輩のことが……」

 しかし、それが聞きたくないことであればあるほど私の心は動揺し、体を縛ってしまう。

「好き…………なん、ですか?」

(っ)

 胸の中の何かがちくりと痛んだ。

「そう見える?」

 最初は針でさしたような小さな痛み。

「あっ、えっと、そ、そういうわけじゃないんですけど…………なぎ、ちゃんが……そう、だ、って」

 それは毒でももっていたかのように痛みを感じた場所からじわじわと広がっていく。

「そ、そんな、こと、ないですよね?」

(痛い……)

 胸に広がっていく。

 打ち消したい不安を顔ににじませる月野さんは、私の胸の痛みをどんどん広げていく毒。

「好きよ」

 私は、あっさりそう告げた。

「え…………」

 その瞬間月野さんは大切な人を失ってしまったかのような色のない表情になり、悲しみと失望感が体を支配していくのがわかった。

 膿んだ私の胸の傷を広げる、劇物。

「好きじゃなきゃ、一年以上も一緒の部屋でなんて暮らせないでしょ?」

 痛みに値を上げた私の心は傷の上にこれ以上ないほどに薄いかさぶたを作った。

「え、……?」

「月野さんだって、そういう意味じゃ水谷さんのこと好きでしょ?」

「あ、えっと、……はい」

 論点のすり替え。これが通じてしまうということは、月野さんも信じたいと思っているから。

 今の好きは。ルームメイトとしてなだけだと。

 薄い、薄いかさぶた。

 それはやはり簡単にはがれてしまうのだ。

 私は月野さんのことを深い瞳で見つめる。思うのは月野さんのこともさることながら、水谷さんのことも頭をよぎる。

(…………………)

「…………好きよ」

 私は、沈黙のあと小さく口を開いた。

 かさぶたがはがれればそこからはさらなる出血を生む。

「え……」

「涼香のこと、本気で好き。…………愛してる」

 しかし、傷を広げてでも痛みに耐えて前に進まなければいけないことはある。

 私はその苦痛を隠すために顔に仮面を貼り付ける。冷徹な、仮面。

「だから、あなたの気持ちは嬉しいけどそういうわけ、なのよ」

 だけど……本当はそれこそが私の本当の顔なのかもしれない。

「あ、の……?」

 月野さんは私に言われたことを整理しきれないといったように呆けている。

いえ、したくないのよね。言葉の意味を、その情報からの、これからを。

「あなたが私のことを、好きでいてくれるのは嬉しいけど、私はあなたには応えられないのよ。私は涼香のことを好きだから」

「で、でも……」

 はっきりと告げる私に月野さんはようやく別の反応を見せた。

 不安を前面に出しながらも、目の前にあるわずかな希望にすがろうとしている。

「友原、先輩は……西条先輩と……」

 月野さんもこんなことを言いたいわけではないはず。そういう問題じゃないというのはわかっているはず。

 それでも、好きな人をあきらめたくない気持ちはわかるから。

「それも、水谷さんから聞いた?」

「違います! 私だって、そこまでにぶくなんてありません! 友原先輩が西条先輩のこと……特別に思ってるって」

「……そう」

 見えるのか。いえ、見えるわよね。誰にだってあの二人の間に流れる踏み込めることのない絆を。

「で、涼香は確かに美優子と両思いね。お互いに大切に思いあってるわ」

「だ、だったら……」

「だったらなに? 涼香のことあきらめてあなたのことを受け入れろっていうの?」

「そっ、れは」

 その先に言葉を続けることができるはずがない。

 今の月野さんの気持ちが私の気持ちなんだと、月野さんはわかっているはずだから。

「好きなのよ、私は。それでも涼香のこと好きなの。望みがないからとか、そういう問題じゃない、私は涼香のことを想っていたいの」

「っ」

 そう、そうだ。

 関係ない。月野さんといるのが楽しいと思ったことや、月野さんが私のことを好きと思ってくれること。

そんなの瑣末。

 私は涼香を想っていたい。

 それが、変わることのない私の本当の気持ちだ。

「っく……」

 月野さんは瞳いっぱいに涙をためながら泣き出してしまいそうな自分を抑えていた。

 泣きたいのは……こっちも一緒よ。

「そういう、わけ……だから。それじゃ」

 ここにいるのがいたたまれないのか、もしかしたら私もどこか一人で泣いてしまいたいのか……とにかくここから離れたかった私はそういって、引き止められるはずもない月野さんを残して部屋から出て行った。

 

 

「っ!?

 その瞬間に足を止める。

 部屋の向かいの壁に寄りかかって水谷さんがこちらを見ていた。

 腕を組みながら私を見つめる瞳にはいつもの厳しい雰囲気はない。

「お疲れ様でした」

「…………」

 私が何をしてきたわかっているかのような見透かした瞳。

「覗いていたわけじゃないですよ。陽菜が何をしようとしてるかはわかってたし、二人で部屋に入っていくところは見てたので」

「…………」

 この子に何か言うべきなのだろうか。区切りをしなければいけなかったのは確かでも、私にとっての一番の屈辱は、誰かに私が涼香を好きと告げること。まして、涼香と美優子の関係を知っている相手になんて屈辱なんてものじゃない。

「…………」

 早く一人になりたいはずなのに、足は動かなかった。

 そんな私に、水谷さんは考えもしなかったことをしてきた。

「っ!!!?

 背中に手を回され、そのまま体を引き寄せられる。

(なっ!?

 私は水谷さんに抱きしめられていた。

「っ!

 私は動転して私を包む柔らかな水谷さんの体をはじくように突き飛ばす。

「な、なにするのよ!

 予想もしていなかったことに私はわけわからないまま水谷さんに食いかかる。

「なんだ、私のこと見えてるんですね」

「は?」

「だって、話しかけても反応してくれないから、見えてないのかなって思って。……冗談ですよ。慰めるときは相手を抱きしめるのも一つの手かなと思いまして。いいんですよ、私の胸で泣いても。もっとも私にこんなことされても嬉しくないでしょうけど」

「…………あなたって、そうとう変わってるわね」

 それとも、こうして茶化すことで少しでも私の気を紛らわせようとしているのかもしれない。

「そうですか? 責任をとっただけって思いますけど」

 彼女には何をいっても無駄な気がする。何を言われる覚悟もしているから。この屈辱の原因は彼女であるはずなのに、うとましさよりも、うらやましいと思った。

 奔放とはこういうこのことをいうのだろうか。

 これ以上ないほどに沈んでいた心がなぜか少しだけ浮き上がる。

「私なんかよりも、慰めなきゃいけない人はいるんじゃないの?」

「そうなんですけど。まず私の慰めを受けてくれるかというほうが、問題ですから」

「……責任は取りなさいよ」

「まぁ、そうします。覚悟はあるつもりなので」

 水谷さんは答えるとあっさり私の横を通り過ぎていった。

 振り返らず、本当に妙な子だと思いながら私はその場を後にし、自分の部屋に戻るために足を進めた。

 結局、今回のことで私が認識したのは、たとえ代わりがあろうとも私は涼香のことをあきらめられないという自らを苦しめるだけの想いをもっているということだけだ。

 いつまでも涼香のことを想ってしまうんじゃという、どこか言い知れない不安を感じながらも、

 転機は、考えもしなかったことから訪れることになる。

 それを今は知らないまま痛む心にかさぶたを作って、

「ただいま」

 涼香の前で友達を装うのだった。

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