私は静かにドアを開けて、静かにドアを閉める。もちろん、どんなに静かにしようが部屋の中にいる相手に気づかれないこともないが、落ち込んでいる相手を刺激しないにはこのくらいしか思いつかなかった。

 陽菜は入り口近くに座って、私が入ってきてもずっとうつむいたまま私を見ることはない。

(……さて、と)

 この陽菜の姿を見たところで、余計なことをしたとは思わない。

 今陽菜は今まで経験したことないほど落ち込んでいるかもしれないが、それでももっと時間がたってから、期待を膨らませてからだめになるよりは、マシではあったと勝手に思う。

(……もっとも、時間がたてばどうだったかはわからないけど)

 朝比奈先輩が陽菜になびかなかったとも限らない。こんなこと思うのは朝比奈先輩への侮辱かもしれないけど。

 って今は朝比奈先輩のことなんて考えても仕方ないわね。

「………」

 でも、今の陽菜になにすればいいのかしら。

 こんなときに友人を慰める言葉なんて私は持っていない。というよりも、陽菜は私を恨んでいるかもしれない。

 私は陽菜のためを思って朝比奈先輩のことを伝えたけど、陽菜はそんな風にとってくれるわけがない。恨まれてもしかたないというよりも、憎まれて当然。

 それに、憎む相手がいたほうがいいのかもしれないけど。

 と、まぁ私の思考はともかく陽菜に……

(朝比奈先輩のときは、簡単にできたのに)

 ま、なるようにならないわよね。

「陽菜」

 私はようやく陽菜のことを呼んだ。

「…………」

 予想はしていたけど、反応はしてくれない。

 何を言っても、無駄よね。

 声をかけてあげたいとは思っても、私には言葉がない。

「なぎ、ちゃん」

 どうすればいいのかわからず立ち尽くしていた私に陽菜は力のない声で名前を呼ぶ。

「……なに?」

 何を言われるかという不安はあるが、恨み言を言われることも憎まれごとを言われることも責任の一端だ。慰めるよりも大きなことかもしれない。

「隣、座って……」

「う、ん?」

 よくわからないが陽菜に言われたとおり、私は陽菜の隣に腰を下ろした。

 よくこういうとき小さくなって見えるとかいったりするが、私は小さくなっている世言うよりもとにかく心を沈ませ、暗い気持ちを背負っているようにしか見えなかった。

 ただ、絶望というよりも何か別のものをもっているような気もした。

「…………私、わかってるから」

「え?」

「なぎちゃんは私のために、朝比奈先輩のこと教えてくれたって……」

「……うん」

 どうやら、私は陽菜のことをよくわかっていなかったらしい。陽菜は私が思ったよりも、しっかり自分を持っていた。

 私に対する恨み、というか怒りはあるのだろうけどそれ以上に私の気持ちは伝わっていたらしい。

 恥ずかしいわね。こっちは陽菜の気持ちわかってあげてなかったっていうのに。

 そのまま、しばらく二人とも無言で体を触れ合わせることなく過ごした。

「泣か、ないの?」

 私ともあろうものが沈黙に耐えられないなんて。しかもこんなつまらないことしか出てこないなんてなにをしてるのよ、私は。

「…………よく、わかんない。涙出そうな気がするし、泣きたいような気もするけど……よくわかんない」

 わからない、な。今陽菜が感じてるのは経験したことのない気持ちだ。

 無力感、そう無力感を感じる。大切な友人が苦しんでいるのに泣かせてあげることすらできない自分に。

 それとも、ただ一人じゃないというだけでもこういうときにはありがたいものなんだろうか。

(……よくわからない)

 ぎゅ。

「?」

 隣にいるだけしかできない私に陽菜は弱弱しく私の手を握ってきた。

「陽菜?」

「しばらくこうしてても、いい?」

 その手はいつもより少し冷たく、まるで心を表しているかのようだが先ほどからあまり声に悲壮感はなく、今のところそれだけが私の行為を自分で認める要素になっていた。

「…………」

 また、しばらくの沈黙。

「なぎちゃん」

「……うん?」

「ありがとうね」

「??」

 結局、慰めたかったはずなのによくわからないままただ私は陽菜のそばにいることしかできなかった。

 

 

(……ありがとう、ね)

 翌日私は、昨日陽菜から言われたことを整理しきれないまま煩悶とすごしていた。

 ありがとうってことは感謝をされてるということなんだろうけど、あれは何への感謝だったのだろう。

 朝比奈先輩のこと話したこと? ふられて落ち込んでるところで隣にいてあげたこと? それとも何か別の理由?

 まだそれほど寮になじんでいない私はひとところに落ち着くことなく無意味に歩き回っては昨日のことを考えている。

 昨日陽菜はあれからほとんど黙ったままだったけど、朝にはおはようといってくれたし、うらまれてはいないみたい。ありがとうとも言われてるし。

「ふぅ」

 人の心はよくわからない。機微を語るには早すぎるだろうし、そもそも資格すらないのかもしれないけど。

「っ、と」

 目的もなく、ふらふらとしていたらいつのまにか最上階に来ていたらしい。

 ここは寮の中でも一風変わった場所。今のところ生徒は住んでいないらしく、目立つのは両開きになっている窓。お話に出てくるような洋館の一場面に出てきそう。

「……水谷さん」

 そこに朝比奈先輩が一人、ポツンと立っていた。

「こんにちは、何してるんですか。こんなところで?」

「……何してる、って。別に、ふらふらしてたらなんとなくここに来ただけ。あなたこそ、何してるの? こんなところで」

 同じことを言い返される。

「別に、ふらふらしてたら来ちゃっただけです」

 そして、同じことを返す。

 朝比奈先輩は小さくそう、とつぶやくと私に背を向けて窓の外に視線を向けた。

 なんとなく、その横に立つ。

 すると、朝比奈先輩は一瞬だけ私に顔を向けるとすぐに視線をもどした。

「迷惑ですか? 隣にいちゃ」

「……そういうこと聞く?」

「だって、わからないですから」

「……あなたはいたいの?」

「さぁ? よくわかりません。でも、とくに行くところもないもので」

「なら、好きにしたら」

「そうします」

 どこか淡白な会話を交わして私は朝比奈先輩の隣で朝比奈先輩と同じ景色を見つめた。

 高台から山の景色を見るのだからそれなりに綺麗と思える景色だけど、朝比奈先輩はもちろんこんなのを見に来たわけじゃないだろう。

 ちらりと先輩のことを見てみると、先輩は私のことを気にしている様子もなくどこか遠くを見ていた。

「そういえば」

 と、急に朝比奈先輩が口を開く。

「何ですか?」

「月野、さんと、どうなった?」

「ありがとう、って言われました。なんでかわからないですけど」

「……そう」

 朝比奈先輩は何か得心したかのような顔で目を瞑りながら小さくうなづいた。

「? なんで陽菜がそういったかわかるんですか?」

 純粋な私の疑問にうなづいたはずの先輩はまた小さく首を振った。

「? わかんないんですか?」

「……さぁ?」

「………何言ってるんですか?」

「さぁ」

(…………何言っているのか、この人は)

 もしかして、私のことなんて無視して何か別のことでも考えてるんじゃないかしら? 

「月野さんの気持ち、全部じゃないけどわかるところもあるような気がするから」

 と、思ったらちゃんと話を聞いててもらえてはいたみたいね。

 なんだか、今の朝比奈先輩は私にはおそらくできない顔をしている。

 寂しそうで、悲しそうで、だけどほんの少しだけすがすがしいような不思議な顔。

「それじゃ、私も言っておく、ありがとう。水谷さん」

「は?」

 何を言ってきているの? ありがとう。陽菜がそういったときは理由を想像できたけど、朝比奈先輩にありがとうだなんて意味がわからない。

「何言ってるんですか? 朝比奈先輩にそんなこと言われる理由なんてないと思いますけど」

「……あのままでいるわけにはいかないって思ってたから」

「はぁ」

 なら、始めからしなければよかったじゃないのかと思う私は変なのだろうか。私はそれのほうが理屈に合っている、正論だと思うけど。

 そのまま言葉も交わさずただ外だけを眺める時間が続いた。

 話すことはないのだからここにいる意味もないのだけれど、なんとなくここから去ろうとは思えず私は時折盗み見るように先輩を見たりしている。

 先輩は今何を考えてるのだろう。

 陽菜か、それとも、友原先輩のこと?

(友原、先輩のこと、かしら)

 なんだか、悲しそうな顔をしているし。

 友原先輩、か。そういえば、朝比奈先輩と友原先輩、西条先輩が三人でいるところを見たことがあるけどあのときの朝比奈先輩は陽菜以上に痛ましく見えた。

 陽菜はどちらかといえば【憧れ】だったのかもしれないけど、朝比奈先輩はそれ以上の想いを持って友原先輩を見つめていたのだと思う。

 想像でしかないけど。

 私は陽菜のことを見ていられないと思ったけど、周りの人たちは誰も朝比奈先輩の気持ちに気づいていないのかしら? 気づいていたら見ていられるものじゃないと思うけど。友達ですらない私ですら、多少はそう思うのだから。

「なに? さっきからこっちばっかり見て」

「あ、いえ……」

 気にすることじゃない、はず。陽菜のことのせいで多少引け目を感じても、基本的に朝比奈先輩のことなんてよく思っていなかったのだから。

「先輩って……」

 こんなこと聞いても仕方のないこと、だけど。そもそも、先輩を怒らせるだけ、だろう、し。

「……なんで、陽菜のことふったんですか?」

「なんで、って……」

「友原先輩こと、好きだからっていうのは知ってますよ。だけど、その……」

 躊躇するなんて、いや、こんなこと聞くなんて私は何をしているのよ。

 自分に苛立ちを感じながらも言葉をとめないのが私。

「正直言って、友原先輩が振り向いてくれるとは、思えないです。なら、陽菜のこと受け入れるのも一つの選択肢だったんじゃないですか? そっちのほうが、得って言ったら悪いでしょうけど、現実的な選択だと思いますよ」

 あ、今度こそ殴られるかしら? この前よりもはるかに勝手なことを言ってる。その上、無断で人の心の踏み込む言葉だ。

 しかし、自分のうかつな行動の報いを覚悟していた私は次の朝比奈先輩の言葉に目を丸くした。

「……あなたって、人を好きになったことある?」

 朝比奈先輩は怒ることもなく、ただこれも私にはできない目で私の見てきた。

「ない、ですね。恋という意味では」

「じゃあ、きっと言ってもわからないわ」

「かも、しれませんね」

「そういうこと」

「あ」

 先輩はそれだけを言い残すと、きびすを返して階段にほうに向かっていった。

(……やっぱり、怒らせたかしら?)

 ただ、その背中にはそんな気配はない。

「得とか、そんなのじゃなのよ。私は涼香のことを想っていたいの。涼香のことを愛しているから」

 立ち止まった背中から発せられる言葉は不思議な響きを持っていた。

「…………」

 私は廊下の向こうに消えていくその背中を見つめながら。

「恋、か……」

 とつぶやいて。

(よくわからないわ)

 と思うのだった。

 

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