あれから毎日私は常に美優子と一緒だった。朝寮に迎えに来てもらって、休み時間も、昼休みもずっと一緒にいた。放課後も寮にいていいぎりぎりまでいてもらって美優子のお母さんに向かえに来てもらうほど。
それは私にわずかな安心をもたらすけど、それが何の解決にもならないっていうことはわかってる。
さつきさんからの連絡はないとはいえ、美優子といないときには涙を流すこともあった。そんな夜を過ごすたびに美優子に事情を話したいという気持ちと、誰にも言いたくない気持ちがぶつかって今まで結局話せなかった。
話せば、美優子はもっと私に……なんていうか優しくしてくれるって思う。まるで自分のことのように親身になって私を支えてくれるって思う。そうなってくれたら楽になれるのはわかってる。
でも、それと同時にいくら美優子が善意でも好意でも事情を知って、親身になられればなられるほど怖くもあった。美優子が私のことを裏切るなんてありえないって断言できる。だけど、そのもう一人いた絶対に私の味方だと思っていた人は私を裏切った。
その直後だから美優子に対してまで不安を思っちゃってるだけなのかもしれないけど……理屈じゃなくてもし、って思ったら怖くてたまらない。
そして、そんなことを考える自分に自己嫌悪。
どちらかというと、徐々に夜はあの女とさつきさんのことだけじゃなくそのことも考えるようになって、話そうっていうほうに心の天秤が傾いてきた。
そんな土曜日の朝。
今日は美優子に会いに行く予定。朝ごはんを食べ終えた私は部屋で身支度を整えている。
「…………」
せつなもご飯は食べ終えて、着替えをすませようとしている私を心配そうで、それでいて悔しそうな目で私を見ていた。この一週間はずっと同じ目で見てきている。
それに私は気づいているはずなのに美優子のことしか目に入らなくてせつなのことなんて気にしてなかった。
コンコン。
着替えを終えた私の耳にノックの音がして、私がはいと言うとドアが開いた。
「おはよう」
「あ、おはよう、ございます」
入ってきたのは宮古さんだった。
「友原さん、電話よ」
「っ!!?」
一瞬それに私はビクッと大きく肩を震わせた。
「西条さん。放送で言っても来てくれなさそうだから、もって来てあげたわ」
宮古さんはそういうと保留になっている電話の子機を私に手渡してくれた。
「……本当に、美優子、ですか?」
よみがえるのは一週間前のこと。あの時だってさつきさんといわれたのに、相手は……あの女だった。
「そう。間違なく西条さんよ」
「……はい」
嘘をついたりはしないよね? それにこの前とは状況が違うもん。さつきさんの家からであの女が出るのは信じたくはないけどありえなくもないことだけど、美優子なら……
私は子機を持って廊下に出ると、それでも震えてしまう手で通話のボタンを押した。
「…………………」
こっちからは声が出せない。
「あ、あの、涼香、さんですか?」
すると美優子から不安そうな声を発してくれた。それで私はようやく安心する。
「おはよう。美優子」
「あ、おはようございます」
「うん。どうしたの?」
「あの、えっと、ですね……今日のこと、なんですけど」
「うん」
なんだろう。何か、嫌な予感。背中がチリチリと燃えるような、いいし得ない不安。
「ご、ごめんなさい! 用事ができて……その、ごめんなさい。だから、今日は……」
「あ、………そう……」
ショックではあった。だけど、
これ、じゃない。違う気がする。さっき感じた不安はもっと、うまくいえないけど。とにかく違うの。
「すみません……あの、用事が終わったらすぐ寮に行きますから」
「ううん、大丈夫だよ。そこまでしてくれなくても、私は……大丈夫だから。……でも、明日はお願いね」
「……はい」
強がりを言いながらも本音を漏らしてしまった私に強く罪悪感を感じたその「はい」を最後に美優子と電話を切った私は宮古さんに電話を返すと、
心配そうに私を見つめるせつなと宮古さんに気づかないふりをして目的なく寮をさまよいだした。
ふらふらとさまよって結局入り口のそばのロビーに落ち着いた私はまだ誰もいないソファに腰を下ろした。
(……どうしたんだろう。美優子)
約束があって、私が……こんな状態だっていうのを知ってて、断るんだから美優子にしてみればよっぽど大きな理由のはず。
(……まさか美優子にうとまられたなんてないよね?)
最近ずっと一緒で、しかも理由すら話さないでただ一緒にいてもらって。不満はないはずはないし……
(って、さすがにない、か)
そうして本当に心の中で思ってはいることでさっき感じた本当の不安をごまかそうとするけど、そんなのはやっぱり無理ですぐにそこに思考が飛ぶ。
予感がしたの。言葉にできないけど、すごく怖くなった。
「っ」
正体不明、出所不明の恐怖に私は唇を噛んで首筋に爪を立てて耐えた。
とにかく不安なの。わからなくて、わからないことが余計に怖くて……
(……今日……こんなまま一人で過ごすの……?)
あの女の恐怖に耐えているときはまだ正体がはっきりしてただけどうにかなった。けど今はとにかく怖いということだけが心にあって、それがどこから生まれてきているのかすらわからなくなって余計に恐怖感をあおってくる。
「それでね、夏樹ちゃん……」
「?」
そんな中ふと顔を上げると梨奈と夏樹がほかの寮の友達数人と楽しそうに話をしながら出口へと向かっている姿が目に入った。
あ、そういえば、よくは聞いてなかったけどなんか今日街に遊びに行くって言ってたかも。
(…………)
深く考えたわけじゃなかった。ただ、この正体不明の恐怖を抱えて一人で過ごすのが無性に怖かった。
「梨奈」
「あ、涼香ちゃん。おはよう」
だから、こうして梨奈たちに混ぜてもらって、街に行くことが不安を現実のものにすることだなんて想像できるわけもなかった。
一緒に遊びにいくとはいえ、今の私はとても遊べる気分なんかじゃなかった。
バス停でも、バスの中でもほとんどみんなの話なんか入れるわけもなかったし、それどころかいるだけで雰囲気を悪くしてる。
それがわかっても、その【みんなの邪魔になってる】っていうことに思考を奪われるだけでもましに思えた。
(……重症、だよね)
美優子さえいてくれたら、ただ美優子に甘えていたらよかったのに。
「涼香ちゃん」
美優子……今頃どうしているんだろう。
あ、そういえば用事が済んだら会いに来てくれるっていってたけど、こんなところいていいのかな?
「涼香ちゃんってば」
「あ、ご、ごめん。何? 梨奈」
「お昼になると混んじゃうから、ちょっと早いけど先に何か食べようかなって話してたんだけど」
「う、うん。いいよ」
邪魔、だよね。私。話を聞いてないからって置いてくわけにもいかないだろうし。
言われたとおりみんなでバス停近くの喫茶店に入った。
アンティーク調の店内の中央に陣を取る。
「…………」
みんなはメニュー選びやこの後の予定について楽しそうに話しているけど、私は相変わらず話しに入ろうともせずにちびちびと水を飲んでいた。
「涼香ちゃんはどうする?」
そんな中でも梨奈は気を使って何かと私に話しかけてくれるのに。
「え? あ、…なに?」
私は応えることもできない。
「メニューどうするってきいたんだけど」
「あ、うん。梨奈と、同じのでいいよ」
「……そう」
バン!
『っ!!?』
歯切れ悪く堪えていた私は、机を大きくたたく音にビクッと体を震わせた。
「涼香、いい加減にしてよ!」
「……夏樹ちゃん」
机をたたいた犯人、夏樹を梨奈がいさめる。けど、夏樹はとどめようとした手を振り払った。
「涼香、一体どうしたわけ!? 寮じゃいつも一人で部屋から出てこないし、ご飯だって一人で食べてるし、ちょっとやつれてるし、学校でも授業はまったく聞いてないし、おかしいわよ」
今年はクラスも一緒になった夏樹が、おそらくここにいる梨奈や他の人たちの言葉を代弁してきた。みんなに同じような緊張が走る。
集まる視線が言葉にしないまま夏樹と同じことを訴えかけてくる。
「そんなになるんだから、よっぽどのことがあるんだろうけど。あたしたち友達でしょ!? 話してよ、力になれなくたって何かできるかもしれないでしょ」
「夏樹ちゃん」
梨奈がまた夏樹の手を引いて、熱くなった夏樹を諌めた。夏樹は自分でも声を荒げてしまったという意識のせいかあっさりと乗り出していた体を引っ込めた。
「……涼香ちゃん。この際だから私も言うけどね、私も、ううん私たちも夏樹ちゃんと同じ気持ちだよ。みんな涼香ちゃんのこと心配してるよ。話してくれないのは何かわけがあるからってわかってるつもりだから話してなんていわないけど、私たちは涼香ちゃんのことを心配してるって、頼ってくれればいつでも力になるんだよって、なりたいって思ってるっていうことだけは覚えててね」
嬉しい、よ。美優子や……せつなだけじゃなくて梨奈や夏樹、他にも私を心配してくれる人がいるっていうこと。すごく嬉しい。
だけど、それが嬉しいってことと今私が抱えている闇を打ち明けられるかは別問題、なの。
あの女のことを思い出さないと話せないということはもちろん、自分が母親に虐待されてただなんていくら友達といっても、普通話せる内容じゃない。
だって、
(っ!)
今少し頭によぎらせただけでもその恐怖がよみがえってきた。
一瞬で涙があふれそうになる。
「す、涼香ちゃん?」
「……ありがとう。でも、ごめん」
どうにか声が震えるのは抑えて返答はしたけど、それだけで心配してくれてたみんなは触れてはいけないものに触れてしまったことに気づいたようで、どうしていいのかわからないといった様子で私から目をそらした。
(やっぱり、こないほうがよかった)
雰囲気壊しちゃった。私がいなければこんなことにならなかっただろうに。私がいなければみんなもっと楽しかっただろうに。
……居場所、ないな。
どこにいても、私ははみ出してる。自分から居場所だったところから遠ざかって一人震えている。
しかもそこに美優子を連れ込んで。美優子までを周りから孤立させて。
「ごめん、みんな……私、帰るね」
これ以上私がここにいたって、みんなをつまらなくさせるだけだ。
「ま、まって涼香ちゃん」
制す梨奈に視線を返すこともなかった私は立ち上がる。
「っ!!!!!??」
入り口に向かおうとそちらを向いた瞬間、信じられないものが目に飛び込んできた。
(な、んで……)
「す、ずか、ちゃん……?」
「涼香?」
すぐに私の様子が変わったのを察知した梨奈と夏樹が名前を呼ぶけど私はそんなの耳にも入らず、ふらふらとそこに向かっていく。
私たちがいた席から柱をはさんで反対側。立ち上がったことでそこにいるのに気づいてしまった。
一人は、美優子。
それにまずは衝撃を受けた。だけど、私が驚いたのは美優子がいたことじゃない。一緒にいた相手。
一瞬は見間違いかとも思った。
だけど、その人は間違えるはずのない人。
私が【生きて】からここにくるまで毎日一緒だった人。
大好きな人。
この世の誰よりも大切な人。
……大好きだった人。
大切だった人。
……私を、裏切った人。
「さつき、さん……」
呆然とそうつぶやいた私はふらふらと二人に近づいていった。
それが何をもたらすのかも知らずに………