今日も私は何も変わらなかった。

 美優子が帰ってからも必要最低限のこと以外はベッドから動くことなく一日を過ごした。長かったのか短かったのかもよくわからない。

 ただ、膝を抱え続けて気づけば夜になっていた。

(あ……う……)

 さすがに意識が朦朧とする。

 昨日は寝ず、今日も一日中膝を抱えながら起きていた。今横になって目を閉じればすぐに夢へと旅立てる。だけど、私はそれを拒絶していた。

 昨日は寝ちゃえば楽になれるって思ったのに、今は考えずにいられない。

 美優子のことを……どうしてあの美優子がここまで私を苦しめようとするのか。あんな時間から私を追い詰めに来るのか、あの女の味方をしようとするのか。

 それはさつきさんにも通じる。

 何故私の苦しみを知っている二人がそろって私を苦しめるのか。考えたくもないのに考え止まらない。

(なんでよ……どうして)

 考えたってわかるはずはない。大体理由なんかどうでもいい。今二人は私よりもあの女を取って私を苦しめているそれが私にとってすべて。

(……なのに)

 同じことを考え続けてる。

「っ!?

 メビウスの輪を歩く私。そんな私は急に吐き気のようなものを感じて口を抑えた。

 昨日からこういうことが唐突に起きる。さつきさんと美優子を失ったことで剥き出しとなったトラウマに体が拒絶反応を起こしているのか、現実を受け入れられないのか体から吐き気だったり、胃がねじりくれるような不快としかいえない感覚が湧き上がる。

「っう…っく」

 そして涙が出てくる。体の内から不安とか恐怖とか喪失感とか色んなものが混じって心を乱す。

 そんなことを繰り返しながら私は体が限界を迎え、ペタンと体を倒すといつしか意識を夢へと落としていった。

 暗黒の夢へと。

 

 

 あれ? ここ、どこ?

 夢へと入っていった私はそれをそうと自覚することなく見覚えのない場所で目を覚ました。

 いや、目を覚ましたというよりもそこに唐突に現れた。

 家の中らしいけど、知らない場所。

 ……知らない場所?

 そう思った私だったけど、ふとそう思った自分に違和感。

 知ってるような、見たこと、あるような……けど、さつきの家じゃない。

 つまり……………?

(っ!!!!!!!?

 ここ…………ここっ!

 背筋に電撃でも走ったような鋭い衝撃を受けて私は体を抱えてその場にへたりこんだ。

「いや、……いや……いやぁあ!

 ここは家だ。住んでたことのある家。でもさつきさんの家じゃない家。

 ここは……あの、女の……

「あれ……あれ…」

 怯え震える声で私は呆然とした声を出した。

 視線が変わった。へたりこんだときよりもさらに視線が下になって周りがいやに大きく見えて……

(小さく、なってる……)

 まるで……子供の頃みたいに。

 この家にいたときのように。

「い、やぁ……なに、これ……」

 怖い、怖い、怖い!!!

 それしか考えられなかった。この異常が恐ろしいんじゃない。

 子供の姿で、この家にいることが恐ろしくてたまらなかった。

 だって、いるんだよ!? ここには………あの女が、あの悪魔が……

 でも、私何もできなくて……ただあの女に……

(逃げ、なきゃ……)

 立ち上がってこんなところから、あの女から逃げなきゃ。

 そう思う。思うのに……

 立てない! 足に力が入らなくて立とうとしても膝が折れる。

何で!! 立ちたいのに………立って駆け出したいのに! 

「あ、や……いや……っ」

 助けて、助けて……誰か……誰か私をここから連れ出して……私をあの女から……

「っ!!?

 そうだ。いないんだ、私を助けてくれる人なんて……いないどこにも……いない!

「あ、……あ…かっ、は………」

 息がうまくできない、よ……。体に力が入らなくて立つことすら出来ない。

 出来るのはただ一つ。

 震えること。小さくなって怯えてただ震えること。

 ……あの頃のように。

「い……や……いやぁあ……たす、けて……」

 震える。

「ひく…ひぐ…は、あ……」

 泣く。

 それしかできない私。

 キィィ

「っ!!!!!!!!!

 そんな私の耳に聞こえる悪魔の足音。この家の床はもろくなっているのか歩くたびにきしんで、嫌でも足音がしてしまう。

(い……や………)

 そして、この家にいるのは私と……

「……すずか」

 あの、女……

 

 

「きゃぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!!!!!

 叫んだ。ただ恐ろしくて。心の底から恐怖を声に出して叫んだ。それが自分の声だと気づくことすら出来なかった。

「っか、……は、あ……え?」

 目を開けた先にいつもの少し汚れた天井がうつって私は我に返る。

(ゆ、め……?)

 そ、そうだよね。

 あんなの夢に決まってる。

 わ、私はここにいるんだから。

 ここに、天原の寮に、いるんだから。

 確認する。

 私が今ここにいるっていうことを。見慣れた天井、ちょっとしわがついているシーツ。そして……涙に濡れている枕。

「っ……」

 泣いてる。

 涙が溢れ出していた。

 ポタポタ……

 とめどなく溢れる涙。

 それを他人事のように感じる私。

 当たり前、だもん。泣いたって当たり前、でしょ? あんな夢……みたら……

 でも、あれは夢。あくまでも夢。現実じゃない。現実に私は今ここにいて、ここなら……

(……ここ、なら……?)

 今、安心って思ったの? 寮にいれば安心? 本当にそう? さつきさんはあの女の味方で、さつきさんはここのことを知ってる。電話番号も、住所も、ここのことをあの女に教えることだって……

「あ…ぅ…か、は…」

 また。

 苦しくなる。息が詰まって、喉が焼けるように痛んで。体中が熱くなるような気がするのに同時に寒気もして……自然に自分の体を抱えた。

 あるかも知れない。あの女がここに来ることが……そして私を助けてくれる人はいない。美優子ですら私を裏切ったんだから。

「あ……ぁ……あ……」

 い、やぁ……怖い、怖いよ……

 頭の中に嫌な想像ばかりが浮かんでくる。忘れたいのに決して忘れられないあの女がここに来ること。それもさつきさんと一緒に……そして、美優子までも私を見捨てて……

「あっ、ぐ……」

 気持ち、悪い。

 想像に耐えられない。体が拒絶反応を起こして気持ち悪いのが広がっていく。

(ね、寝なきゃ……)

 寝れば、こんなこと考えなくて…………?

 また、さっきの夢を見たら……? 同じ夢の……続きを見たら……?

 嫌! そんなのも耐えられない。

 でも、こうして起きてるとやな事ばかり考える。

(だ、大丈夫、でしょ?)

 夢なんて……めったに見てなかったんだし……同じ夢を見るなんて……

 そうだ。だから、寝なきゃ……全部忘れて眠らなきゃ……

 私は決意すると体を倒して固く目をつぶった。

(寝なきゃ、眠らなきゃ……全部忘れて、逃げなきゃ……)

 それだけを願う私。

 幸いなのか、睡眠を求めていた体は徐々にその願いにしたがって……

 五分後……

「いやぁああああああ!!

 私はまた自分の叫び声で目を覚ました。

 

 

「いやぁああああああ!!

(っ!?

 また。

 涼香が泣き叫んでいる。

 これで二回目。さっきはもっと大きな声でこの世のものとは思えないような大きな悲鳴を上げていた。

「っ……」

 さっきの悲鳴のとき以上に私の中に衝動が湧き上がる。涼香の力になりたいという衝動が。

(……ダ、メ)

 だけどそれはダメ。いけないこと。

 それをするのは私じゃないから。何も知らない私じゃ涼香の力になれないから。

 だから私じゃない。

 私は【友達】として、それもただの友達としてだからここにいられるの。それから逸脱するわけにはいかない。

「っう、っく……ひっぐ……」

「っ!!!??

 上から聞こえてくる押し殺した泣き声。

 私は咄嗟に耳をふさいだ。

(私じゃない、私じゃない私じゃない私じゃない…………私じゃない!!!

 力いっぱいに耳を押さえて、ぎゅっと目をつぶって、奥歯をかみ締める。

 私じゃ涼香を救えない。私には何もできない。涼香を助けることはできない。知らない。涼香のことなんて何も知らない!

 美優子だけ。それができるのは少なくてもこの学校じゃ美優子だけ。今は喧嘩していたって、きっとすぐに仲直りをする。そしたらきっと涼香のことだって救ってくれる。

そんな二人だから私は……地獄の中にいられるのだから。

「ひぐ……っく、あ…ぅ」

(聞こえない……何も聞こえない!

 涼香の泣いている声なんて聞こえない。苦しんでいる声なんて聞こえない。

 聞いてしまったら、耐えられなくなる。ここでこうしていることに、ただの友達でいることに。

 そして、力になろうとした所で何もできない無力な自分という現実に。

 だから、聞こえない。何も聞こえない。

「あ……たす、けて……ひあ…ぐ、助けて」

 しかし、そんなことをしたところで何も変わらない。目を閉じ、耳をふさいでも涼香が苦しんでいるという事実を知ってしまっていたら今さら泣いているのを聞こえないふりをしたって。

(でも……それでも……)

 私は怖い。涼香に踏み込んでいくことが。初めて告白をする前だったら……はっきりと振られる前だったら、私と美優子の誕生日の前だったら……聞けたかもしれない。涼香の心に入り込もうとしたかもしれない。

 だけど……臆病になってしまった私には……

「ひっぐ……う、っく」

 何も……しちゃいけないのだ。

 そうして私は涼香と同じように、しかし比べようもないほどに軽い涙を流しながら自らの浅ましい衝動に耐えるのだった。

 

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