普段は必要以上に広く感じる寮の食堂も、さすがに平日の朝にはある程度の混雑を見せる。それでも、現在寮にいる人数の倍は入れる食堂では、がらんとした印象はぬぐえないが、今日はその様子が少し違っていた。
八人で使うテーブルを普段は仲のいい数人で使うことの多く、テーブルに余裕があるけれど今日は、少しつまり気味になっている。
もちろん、寮の人数が増えたわけではない。
原因は……涼香にある。
私は涼香とは隣のテーブルに座って朝食を取りながらちらちらと涼香の様子を伺っていた。
夜が明けても、涼香は何も変わらなかった。いや、時間を置けばおくほどひどく思えた。完全に心を閉ざしている。その閉ざすことによっておそらく自分の逃げ場すら失っているのに一縷の光すら入り込めない闇に閉じこもっている。
そして、そんな様子をみんな察しているのか誰も涼香と同じテーブルどころか、隣にすらほとんどつこうとしていなかった。
ポツンと、大きなテーブルに一人座った涼香は、死んだような目と雰囲気をさせながら、時折思い出したように食事に手をつける。
(……涼香……)
私は、何をしているの? 何もしないで。こうして眺めるだけ。何もしないのなら心配していてもいなくても同じじゃない。
「そんなに気になるのなら素直に声をかければいいじゃないですか」
「っ」
突如浴びせられた声に私はいきなり心の本丸を突かれたような気にさせられた。
どこか冷たさすら感じさせる雰囲気で私の隣に座ってきたのは。
「水谷、さん……」
前にたれていた髪を軽くかきあげて水谷さんはいつものように私に冷たい視線を送ってきた。
彼女の瞳はいつも静かな水面のような冷静さをたたえている。その彼女が一体何をいうつもりなのか今はわからない。
「どうして一緒にいてあげないんですか?」
彼女の言葉は時に辛辣で、私を触れられたくない部分に容赦なく言葉の刃をつきたててくる。
「……………そんなの私の勝手でしょ」
「ま、そうですけどね」
水谷さんはそれから少し口を閉ざすと前髪を二本の指でもてあそび何かを考えているような仕草をした。何でもずけずけを言ってくるイメージはあるが、こうしてためらいも見せる。
そして、こういう時にはさらに踏み込んだことを言ってくるのだ。
「失礼なこと聞きますけどいいですか?」
「……何?」
「朝比奈先輩って、本当に友原先輩のこと好きなんですか? ……っ!!?」
もし殺意だけで人を傷つけられるのであれば今水谷さんはただではすまなかったかもしれない。そのくらいの殺気を私は放ったと思う。
だが、自分でもわからないがそれは一瞬で収まった。
私にとって最大の侮辱だったというのに。
「す、好きならこういう時そばにいてあげるものなんじゃないですか?」
「……………」
水谷さんのいうことはもっともだろう。普通はそうなのかもしれない。
だが、私は普通ではないのだ。
「私がいても仕方ないもの」
私がいたところで何も出来ないのだから。
「私が何もしなくても……美優子が助けてくれるでしょ」
涼香を助けられるのは美優子だけなのだから。
「…………なんですか、それ」
まるで軽蔑でもするかのような水谷さんの声。
「何もできないからって見捨てるんですか? 西条先輩が何とかしてくれるから何もしないんですか?」
彼女は常に私に厳しく、私は水谷さんのことを苦手なのかもしれない。だが、それでも私が彼女を嫌いではないのは
「そんなの恋じゃないって思います」
彼女が正しいことを述べるからだ。
「自分が恋したことないくせに語るなんて、傲慢でしょうけど、でも朝比奈先輩のしてることは違うって思いますよ」
「っ、なにが、よ。あなたに私の何がわかるっていうのよ」
あぁ、なんで私奥歯をかみ締めてるの。何がくやしいの? 何に耐えてるの?
「わかりませんよ。でも、今の朝比奈先輩を見てると違うって言えます」
「だから、どうしてっ……」
「だって、今の朝比奈先輩怯えてるだけに見えますもん」
「お、びえ……」
私が?
「そう見えますよ。何もできない自分が嫌なのか、西条先輩に負けてるのか嫌なのかは知りませんけど。ただ友原先輩の心に踏み込むのが怖くて遠くから眺めているように見えます」
(そ、そんなことあるわけないじゃない! 私は涼香のこと好きなのよ! 誰よりも涼香のこと想ってる。でも、だからって涼香の力にはなれない! 想うだけじゃ涼香の闇を払えない! 涼香のことを知ってる美優子にしかできないんだから仕方ないじゃない!)
……どうして、声に出せないの。
この生意気な一年生に反論することなんていくらでもあるのに。心に何かが絡まって声が出てこない。
代わりに……
「……悪い?」
思ってもいないはずの言葉をねじりきるように搾り出していた。
「そうよ、怖い。力になろうとしても何もできないかもしれないことが。涼香に拒絶されてしまうかもしれないことが。美優子に負けてるってまたわからされることが。無力だって思い知らされるのが……怖い、わよ」
何で私こんなこと、水谷さんになんか話して……
「……別に、悪くはないとは思いますよ。ただ……」
私が気持ちを吐露したことにも水谷さんは冷静だった。冷静ながらもまた、辛辣な言葉を述べるための戸惑いを見せた。
「前に愛してるなんて言ったわりには朝比奈先輩は友原先輩よりも自分のことが大切なんですね」
「っ、どういう……」
「私に恋がどんなものかなんて想像しかできませんけど、でも陽菜は朝比奈先輩のことが大切だからあきらめられたんじゃないんですか? けど、朝比奈先輩は自分のために友原先輩から遠ざかってる。これも偉そうに言えることじゃないですけど、自分を守って好きな人に何もしないのが恋なんですか? 愛なんですか?」
「っ……」
言いたいことはある。この生意気を通り越し、憎しみすら感じる相手の喉を引き裂いてこれ以上不快な口を叩けないようにしたいとすら思う心もある。
だが、私はそれを水谷さん自身の言葉に押さえつけられ何も出来ずに唇を噛んだ。
「ま、言いたいのはそれだけです。戯言とうけとってくれてかまいませんよ」
「あ……」
そう言って彼女は言いたいことだけを言い席を離れていった。