怖い。
何がいけないのよ。
傷つくのを恐れて何が悪いの?
それに大体涼香だって何も知らない私に何かを言われたって、それはただ無責任に言葉を投げかけられているだけでしょ?
涼香が今ひどいって、苦しんでるのはわかる。わかるわよ……?
授業中も休み時間も首をカクン、カクンと今にも崩れ落ちてしまいそうな様子を見せるけど、決してそのまま机に突っ伏すことはなくて、眠いのはわかるのに眠ろうとしない。わからないけど、眠るのを恐れているようにも思える。
そして、私はそんな涼香に私は何も……何も…………しようとしない。
唇をかみ締めて甘酸っぱい味を感じるのも癖のようになってしまった。
できないんじゃなく、何もしない。何もせずに遠巻きに眺め、力になろうとすらしていない。
言い訳はできる。臆病になったって仕方ないと。傷ついている自分を守って何が悪いと。
だが、それは水谷さんの一言に吹き飛ばされた。
「朝比奈先輩は友原先輩よりも自分のことが大切なんですね」
気づいていなかったのかもしれない。以前の……せめて誕生日前の私だったのなら私はたとえ何もできないかもしれなくとも、涼香の心に入ろうとしたはず。
だけど、いつしか臆病になっていた私は仕方ないと何もできないからと…………無力な自分を思い知らされて傷つきたくないからと自分も守っていた。
涼香のことを誰よりも想っているといいながら、涼香よりも自分を守ることしかできていなかった。
確かに何もできないかもしれない。今の涼香に声をかけるなんてもしかしたら涼香に怒らせるどころか傷つけるだけなのかもしれない。無力な自分を思い知らされるだけかもしれない。
だけど、大切な人が苦しんでいるのを見て何もしないくらいならその人を好きになる資格なんてない。
たとえ何もできないとしても、好きな人のために何かをしようとする、それが……愛、なんだと思う。
だから
就寝時間が迫る中、私はぼけやけた視界と重たい頭で部屋へ向かっていた。
(ねむ……い)
足取りは重いというよりも不自然なほどで、今にも途切れてしまいそうな意識のままどうにか廊下を歩く。
「……はっ、あ……」
本当は今すぐにでもベッドに横になって眠ってしまいたい。まるで体が鉛にでもなったかのような重圧感から解放されたい。
それに眠っていれば、この悪夢のような現実から逃げることができる。
って昨日まで思った。
昨日のあの……本当の「悪夢」をみてしまってからはもう眠ることすら怖くてたまらなかった。
同じ夢を立て続けに見るなんてないかもしれない。だけど、昨日のことはあるし、見るかもって思っただけで……もう眠ることなんて出来なくなった。
「っ!」
寝不足から来る痛みで私は頭を抑えて壁に寄りかかった。
起きていたら起きていたらでこうして物理的に体は痛み、嫌でも考えに浮かぶさつきさんや美優子や……あの女のことで心は磨り減っていく。
(あ、……もうついちゃう、や)
もう消灯の時間。部屋に帰らなきゃいけない。もちろん今私はそのために向かってはいるけど、部屋に戻りたくはなかった。
部屋に戻ったら、もう寝なきゃいけない。電気を消してベッドに入らなきゃいけない。だけど、私は寝ることができない。そして、起きていても嫌なことを考えるだけ。地獄の中、望みのない朝を待つだけ。昼間や放課後は人の声のするところで気休めにもならないけど気を紛らわすことはできた。
でも部屋に戻れば私は一人。
地獄の中で一人身を焼かれるだけ。
(さつき、さん……)
さつきさんの家に来たころはここまでじゃなくても似たようなことはあった。
あの女の夢を見て怖くなって、夜一人でいることに耐えられず涙を流した。
その時にはさつきさんがいてくれた。大丈夫だよって手を握って、私を優しく包んでくれた。
何度もそうしてもらえるうちにいつしか悪夢を見ることもなくなっていった。あの女の記憶の上にさつきさんがいてくれたから消えることはなくてもあの女の記憶を心の奥底に沈めることが出来た。
だけどそれがなくなった今記憶は心の奥から浮き上がり、現実でも夢でも私を苛め、苦しめる。
そして、私を助けてくれる人は誰もいない。
「あ……」
いつのまにかついてしまった部屋のドアを開ける。
苦しみしかないはずの部屋に私はかえってきた。
カチャ
「……っ」
来た。
涼香が、部屋に戻ってきた。
変わらぬ闇を纏って。
「おか、えり。涼香」
「……………」
声をかける機会はなかったわけじゃない。休み時間も昼休みも放課後も声をかける機会はあった。だけど、涼香はなぜか人のいるところにいて、二人きりで話すことはできなかった。連れ出すことは可能だったのかもしれないけど、私は私で自分の想いを見つめていた。
それになにより涼香が昨日苦しんでいたのはこの時だった気がするから。長い闇の中でひとりぼっちでいるときだったと思うから。
だから、
(今日はひとりぼっちになんかさせない!)
「涼香」
私はベッドに向かおうとする涼香の前に立ちはだかった。
「……………?」
涼香は視線の定まっていないどんよりとした瞳で呆然と私を見ている。
やっぱり、眠れてないの?
その瞳に何が宿っているのかはわからなくても、その虚ろな表情と瞳は涼香の苦悶をそのまま表している。
異変が始まってから初めて涼香のことを直視できたような気がした。同時にどうしてもっと早く声をかけなかったのかという後悔は生まれたがそんなものは後回し。
「涼香は聞かれたくないってわかってるつもり、だけど言わせて」
「…………」
「何が、あったの?」
何があったんでもいい。私は涼香の力になりたい。
「……………」
涼香は考えているというよりも言葉そのものの反応が遅れているといった様子で、しばらく黙ったままだった。
しばらくそうしたまま
「……なんでも、ない」
明らかに無理のある言葉を口にした。
予想はしていたとはいえ、その態度はすくなからず私を傷つける。それでも私は引くことはない。
「……私じゃ何の力になれないかもしれない。悔しいけど……きっとそうなんだって思うわ。だけど、それでも私は知りたい、どんな小さなことでも涼香の力になりたいの」
「………………」
「何もできなくても私は涼香の傍にいるわ。だから、一人でなんか泣かないで。一人で苦しまないで……私が、私が」
っ? 何? 次の言葉を言おうとした瞬間、体が竦んだ。原因不明の恐怖にもいた感情が私の中に入ってきた。
その正体をわかることもなく私は言葉を続けるしかなった。
「私が涼香を、守る、から」
「……………………………………………………………………………うそつき」
(…………っ!!?????)
その刹那。今まで、私の話を聞いているのかすら怪しかった涼香の様子が一変したその刹那。
涼香の纏っている闇が部屋中に広がり私までも飲み込むのを感じた。
寒くもないのに背筋が震えだして、呼吸すらできなくなるような錯覚に陥った。
(な、に? これ……)
涼香のもつ圧倒的な闇が私をこうまでさせているの?
怖い。
ここまでの闇を抱えている涼香に踏み込んでいくことが、はっきり怖いって感じた。
「……………」
涼香が私の横を通りすぎようとする。
怖いって感じたのは嘘じゃない。だけどそんなのよりも私は強い気持ちを持って今ここにいるのよ!
「待って!」
私は涼香の手をつかんで涼香を制した。
「っ!!!??」
涼香は必要以上に体を震わせたけど私は自分の気持ちを伝えることで精一杯でそれが涼香にどういうものをもたらしたのか考えもしなかった。
「嘘じゃない。絶対に一人で泣かせたりなんかしないわ。守るから、何があったって涼香の傍にいるから」
無意識に取った涼香の手を私は両手で包み込んだ。
「涼香……あぃ……」
「……せつな」
自分が何故今まで苦しまなきゃいけなかったのかを忘れかのような愛の告白をしようとしていた私に涼香のすがるような声が浴びせかけられた。