「今日も、いい?」
何もできずに迎えた夜。
私が電気を消すというと、涼香は小さくなりながらそう誘ってきた。
「…………うん」
私は涼香を見ずに答えて、恐る恐る涼香の手を握ると涼香と一緒にベッドに入った。
そのまま二人ベッドに横になる。
涼香の手をしっかりと握り、そのぬくもりを感じながら目の前にある涼香の体を見つめる。
動悸は抑えられず、もしかしたら涼香に聞こえているかもしれない。そして、そう想うと余計に胸がはねるが、一方では私のことなんて気にしてないんじゃとも思う。
「……ん……」
時折、涼香は小さな呻きをあげる。寝言ではなく、起きていながら無意識に声にしてしまっている感じだ。
目の前にいる涼香は間違いなく苦しんでいる。
(なのに……)
私は唇をかみ締める。
これが、こんなのが私の幸せなの?
目の前で最愛の人が苦しんでいるのに、その人がどんな状態だろうと手を握り、体を触れ合わせていられれば幸せ?
浅ましい自分が嫌になる。嫌なのに、うれしさを否定できない自分をさらに嫌悪する。
昨日こうする前には涼香のために何もできなくても何でもしようと決意したはずなのに、この現実を前に私の足は止まった。
(……なんで美優子は……?)
この嬉しさを知っていたはずなのに。詳しくはわからなくても、涼香は美優子を嫌い、美優子はそうされてでも涼香に何かを伝えようとしている。
あの泣き虫で、涼香のことを大好きな美優子が。泣きもせず、涼香に嫌われてもそれでも歩みを止めない。
それができる美優子を憎み、蔑称し、嫉妬し、嫉み。
なにより、羨ましかった。
美優子のしていることは私が望んでもできないこと。【涼香】を知らない私にはできないこと。
「…………涼香」
小さく、自分にしか届かない声をだして涼香を見つめる。
あの、いつも笑顔を振りまいていた涼香が今は常に何かに怯え、怒り、恐怖し、生気すら感じることができない。
何が涼香をそうさせているの? 私に話したって何も出来ないかもしれないわよ? でも、知りたい、力になりたい。
手を繋いでいるのに存在するこの見えない壁を打ち破って涼香と美優子のいる世界に入って行きたい。
それが今のこの【幸せ】失うことになったとしても。
「んっ……い、や…あぁ」
「っ、涼香!?」
いつのまにか小さな寝息を立てていた涼香がいきなり苦しそうな声をだした。
「……ご、めん、なさい……あ、ぅ……や、め」
額に汗をにじませ、閉じた瞳から涙を流し、乾いた唇から苦悶の言葉を吐き出す。
「涼香! 涼香!!!」
私は思わず涼香の手を離して、涼香の肩を揺さぶり始めた。
「っ!!? ……いやぁ…い、いい子に、する、か………ら」
その瞬間、涼香は身をこわばらせて覚醒していないはずの脳から反射だけが帰ってくる。
「涼香! 起きて! 涼香!!」
私はまるで昏倒している人を呼ぶように必死になって涼香を現実に呼び戻そうとした。
何度も肩を揺さぶっては夢へと届くように声を張り上げる。
「ぅ……あ、……は……?」
数十秒後、涼香は虚ろな瞳と顔で目を覚まし、数瞬後、私ではなく涼香の体に触れる私の手を見て
「ひっ!! いやああぁあ!!」
まるで、化け物での見たかのような悲鳴を上げて私の手から逃れた。
「す、ずか……」
あまりの反応に私は言葉を失う。
(な、に? どうしたの?)
私はただ、涼香のことを起こした、だけ、よ?
悪夢に苦しんでいた涼香のことを起こした、だけ。
なのに涼香の反応は尋常ではなかった。この世のものとは思えないほどの恐怖をにじませ、必死に私から逃れた。
なにが、どうなって……
「あ………? せつ、な?」
ただ状況に困惑する私の耳に涼香の呆けた声が聞こえてきた。
「……涼香」
「な、に、してたの?」
「え?」
「どう、して私に触ってたの?」
「す、涼香?」
「それに、手……絶対離さないでっていった、のに……」
涼香は涙を溢れさせながら私への不信を露にした。
「ねぇ……なに、してたの……」
何? 一体涼香は何にそんなの怯えているの? たったあれだけのことで涼香は私を不信どころか憎むような目をしてる。
わからない、何もわからない。
「涼香が、がうなされてたから、起こしただけ、よ」
何もわからないのだから正直に話すしかない。
「そう、……なの?」
先ほど私が触れていた箇所を呆然と見つめる。怯えながら、恐怖に震えながら。
何? 何にそんなに怯えてるの? 苦しんでいるの? 教えて、教えてよ。
お願い、涼香!
「そう、なんだ……ごめん、ね。早とちり、しちゃって」
「…………」
何をどう早とちりしたのよ……
私は悔しさを抑えるためにパジャマを皺がつくほどに握り締めた。
何を知らないで、何もしないで……私は、何をっ!?
「…………………」
そして、小さく差し出された手と涼香の次の言葉に激情を禁じえなかった。
「……手、握って」
「っ!!!?」
(わたっ、しは!)
脳が焼ききれるような、不快さが頭を駆け巡った。
涼香にとって私はそれだけの存在、なんだ。手を握ってくれればいい。美優子を傷つけるために利用できればいい。私の気持ちなんて、関係なく、涼香にとって大切なのは【私】じゃない。
それは初めて涼香の手を取ったときからわかっていたはず。頭のどこかでは理解していたはず。
だけど、一連の涼香の様子に改めてそれを思い知らされた。涼香の手を取って眠ることなど幻想の幸せでしかなかったと。
「涼香!!」
私は胸の内から溢れた激情をそのままに涼香を抱きしめようと涼香の体に手を伸ばした。
「っひっ!!」
「っ!?」
拒絶というよりも恐怖を表した涼香に私の手は止まる。
「な、に……何、するの……?」
涙を流しながら、私への恐怖を表す涼香はまるで幼児のようだった。
知りたい。教えてよ。力になりたいのよ。背負っている苦しみを全部、半分でも、四分の一でも、ほんの少しでもいいから一緒に背負ってあげたい。違う、背負いたい。涼香と同じ場所で本当の意味で涼香の手を取って、涼香のことを守りたい。
私は抱きしめる代わりに、涼香の手を両手で包みこんだ。
「涼香…………」
そして、伝える。
その一言に私のすべての想いをこめて。
「好き」