「せつな、寝よ……」
夜、消灯の時間になると私は枕を抱いてせつなのベッドの前に立つ。それはもう当たり前のこと。毎日、毎晩私はせつなのベッドでせつなに手を握ってもらって、安眠とはいえなくてもどうにか睡眠をとる。
今日も、体は求めても心が求めない睡眠を求めてせつなに懇願した。
「うん……」
せつなが了承してくれると、私はせつなの枕の隣に自分の枕を置いてベッドに横になった。
そうするとすぐにせつなが私の左手を握ってくれる。
冷たいせつなの手。
だけどそれは私の傷を優しく包んでくれる。一時的に私の恐怖をやわらげてくれる。
「涼香……」
「なに…?」
「……………………おやすみ」
「…………うん」
何か言いたげなせつなだけど、それに気づいても私は何も見ないふり。
一人用のベッド。そこに二人の人間が横になれば必然的に体は近くになる。だけど、せつなは手は握っても体は出来うる限り離れている。私は壁際だけれど、せつなはベッドの縁ぎりぎりで手だけを伸ばしてる。
この不思議な距離はせつなが私のためにしてくれること。せつなが眠った後私の体に触れる可能性を少しでも低くしてくれている。
それを口にしたわけじゃないけど、それ以外には理由はなくて、せつなの優しさに感謝している。
「…………………」
せつなにこうしてもらっているおかげで一人だったころのように泣きながら震えることはないけど、やっぱりあの夢を恐れることと、……………あの二人、さつきさんと美優子のことを考えて眠れなくなるのは変わらない。
(…………せつな)
せつなの寂しそうな寝顔を見つめる。本当に寝てるのかはわからない。だけど、せつなは私が望んでいることだけを果たしてくれる。
本当、に……せつなは私のことを……好き、で私のために何からなにまで気を使ってくれる。
(……………ごめん)
せつなの気持ちを利用していることに心の底から謝りながらも、私はせつなの優しさのぬくもりを感じて決して安らかじゃない眠りに落ちていった。
昔、あの女の家からさつきさんの家に連れてこられたとき。最初は学校いってもほとんど口も聞かなくて、クラスで孤立してた。
だから、学校行くのが嫌だったし、なによりもつらかった。だけど、さつきさんが私を守ってくれてるんだってわかってから少しずつ明るくなれて、友達もできるようになった。それだけ、自分を守ってくれる、味方してくれるっていう人がいるっていうのは心強い。
……今さらさつきさんのことを例にあげちゃうのは自分でもおかしいし……嫌、だけど、それを今また実感してる。
「あはは、もー、なーにいってんの」
「えー、だって涼香がさぁー」
せつなと一緒に寝るようになってから私は少し顔を上げられた。恐怖に怯えても、一人で閉じこもらないで、事情を話せるわけじゃないけどクラスの輪を乱すことはしないでいられるようになった。
ただ、その中にせつなはいない。クラスが同じでも、せつなは遠くから私を眺めるだけ。クラスでだけじゃなくて寮でもこんな感じだ。
(………………)
その視線に耐えられなくなった私は立ち上がる。
「あれ? 涼香どこいくの?」
「ん、ちょっとご不浄に」
「あー、そう。いってらっしゃい」
「うん」
廊下に美優子をいないことを確認した私はそういって、輪からはみ出て休み時間の廊下に出た。
「……ふぅ」
その瞬間にため息。
……やだな、私。
昔は、さつきさんのときは子供だった。何も知らず、わからず、たださつきさんに甘えていればよかった。
今は、違う。
せつなが守ってくれるんだって思えても、現実にある恐怖は消えることはないし、美優子を遠ざけて、さつきさんやあの女の影に怯えてる。
それは変わってない。
それに、さっきみたいにクラスの子と話すのだって、そんな恐怖を紛らわせようとしてるのと……自分でも嫌になっちゃうけど……少し、演技入ってるの。
嘘じゃないよ!? せつながいてくれるおかげで少しだけ前が向けるのは嘘じゃない。でも、実際以上に明るくなってるのはせつなにそういうところを見てもらいたい、から……
そんなことする余裕ないくせに、せつなに、せつなのおかげで大丈夫になったんだよ。って思ってもらいたい。
そんな自分に自己嫌悪。自己嫌悪しちゃう自分をさらに嫌悪してる。
せつなの優しさに……打算で答えてるような気がするもん。
それとも、防波堤? せつなにこれ以上何かしてもらいたくないから、平気なふりしてるのかな………?
(……………)
わかんない、や……
ぐるぐる頭が回る。
小学生の頃は何もわからなかった。甘えてればよかった。
今だってもしかしてたらそうできるのかもしれない。だけど、大人でもないけど子供でもない今の私は色々考えちゃう。考えたくないことも、考えなくていいことも。
そのくせ、こんな風に考えなきゃいけないことからは……逃げる。
「ただいまー」
ふらふらと廊下を歩いていただけだけど私はお手洗いから帰ってきたふりをして出て行く前のグループに戻っていった。
おかえりっていう声を聞きながら、こんな日々がいつまで続くんだろうっていう不安を頭によぎらせ、それから逃げるために目の前の会話に集中するふりをするのだった。
「…ん…は、ぁ………ぁぐ…」
夜の闇が一番、深くなる時間。
世界から音が消えたような世界で、私は無意識に苦悶の声を漏らしていた。
「………っ……ぁ…、っ!!!?」
そして、唐突に閉じられていた目を開けた。
「ぁ……あ……?」
ほとんど光のない部屋の中で視界に移った私のベッドの裏を呆然と見つめた。
「っはぁ、はあ……はぁー」
それから、何度か呼吸をして落ち着きを取り戻した。
「……また……」
見ちゃった。
夢。
あの夢。家に、生家にいた頃の……夢。
初めて見るようになってから、毎日じゃないけどあの女の夢を見ていた。
この夢を見ると暗い海に一人投げ出されたような不安に襲われる。光が一切なくて、ただ冷たい思い出に心の温度を奪われていく。海が襲ってきて、それが涙になって目からこぼれていく。
今も、頬に涙が伝った感触があって、瞳にも涙が溜まっている。
「……………」
私はその涙が流れると追うように左に顔を倒した。
「……せつな」
そこに私は光を見つけたように安心する。
せつなの横顔を覗いてから視線を落としていって、せつなと繋がっているところを見つめる。
包んでくれているせつなの手が私の手を。
その事実が私の涙を止めてくれた。
せつなの手。
いつも冷たく感じるけど、今の私にはなによりもあったかい。
初めてあの夢を見たときは泣き叫んじゃった。おきてからもその夢を見たっていうことが怖くて涙が止まらなかった。
だけど、こうしてせつなに手を握ってもらっていると心が落ち着く。夢を恐れることもなく、涙も止めてくれる。
(……あぁ、私は大丈夫なんだ)
そう思える。せつながいてくれるから、せつなが私を守ってくれるから。涙を止められる。
それはきっと嘘じゃない。
けど、
(…………………)
でも、これは高いところから落ちた先にクッションがあったようなものなんだよね……。
いくらせつなが手を握ってくれてても怖いのがあるのは変わらない。【せつな】よりも【恐怖】が上回ってるの。
せつなに悪いって思っても、こんなことされたって本当は何にも変わらないんだって、心のどこかじゃ理解してるよ……
この先、二度とさつきさんと会わないことなんてできないし、美優子だって……いまだに私に何かを言ってこようとする。
それに、いつさつきさんや……あの女がここにやってこないともかぎらない。
そんな将来的な不安から私は全部逃げて、今はせつなにすがってるだけ……
美優子が私を裏切る前に美優子に傾倒してたのと何にも変わってない。一時的に恐怖から逃れることで精一杯なの……
それが良い悪いじゃなくて、私はそうするしかできなくて……
今の私に言えるのは
もう私はせつなのいない世界は考えられないっていうことだけだった。