「ぅ…あ、……い、やぁ……あぐ…が」

 今日も私はうなされていた。絶望の闇の中で、身動きすらとれずにそこで縮こまることしかできないような恐怖。

 夢の中はいつもそう。

 私の夢にあるのは恐怖や、不安、悲しみ、憎しみといった負の感情だけ。もはや眠ることは私にとって苦痛でしかないといっても過言にはならない。

 現実だって似たようなものだけど、起きているときには唯一つのすがることのできる人がいる。

 せつながいてくれる。

 大げさかもしれないけど、せつながいなかったら私は今頃生きていなかったかもしれない。やっぱり大げさとは思うけど、せつなが私の手を握ってくれてなかったら、死んでいたっていう可能性もゼロではないと思う。

 それほどせつなの存在は今の私には大きくて、せつながいるから私は今普通の生活が送れている。

 どんな悪夢に苛まれようともその夢の出口にはせつながいてくれるから私はまだどうにかまともでいられる。

「……っ。は、ぁ……は?」

 今日もその夢の出口にたどりついた。

「……は、あ……」

 苦悶の声を漏らす代わりに一つ呼吸をすると、滲んでいる視界で自分のベッドの背を見つめた。

 頬を雫が伝うのを無関心に感じながら私はそこに私を守ってくれる人がいることを確認し……

「っ!!!!???

(あ、れ……?)

 感触がなかった。

 いつも悪夢から救い出してくれる手が、私をここに繋ぎとめてくれる手が。

 せつなの手がなかった。

 右手の先は掛け布団がのっているだけで何の感触もない。

「せつ、な……?」

 不安と焦燥に駆られる心を落ち着かせようとしながら私は恐る恐る顔を倒してせつなの姿を探した。

「っ!!!??

 いない。

 視線の先には誰もいなくてベッドの上に開けた空間が広がっているだけだった。

「っぁ、ぐ!

 途端に、体が言いしえない恐怖に包まれ、胃が逆流してしまうような不快感が体を駆け巡った。

「せ、つな……?」

 どこ? どこにいるの? どうしていないの?

 絶対離さないって言ったのに、守るっていってくれたのに……なんで!?

 私はベッドを抜け出すとほとんど真っ暗の部屋を見回した。

 ドクンドクンって、鼓動が静まった空間に響く。

(せつな、……せつな!?

「い、ない……?」

 呆然とベッドに戻った私はペタンと座り込むと一気に涙を溢れさせた。

「っひ!!?

 せつなが部屋にいないって自覚がさらなる恐怖になって私は無意識に悲鳴を上げていた。

(……っ、い、やぁ……)

 口を開けばそのまま嗚咽が漏れてしまいそうで心の中だけでつぶやいた。

(……たす、けて、……たすけ、て、よ……)

 まるで自分の立っていた場所以外が奈落の底に落ちてしまったかのような孤独感。どこにもいけず、何も見えず、夢を見ているときのように深い闇の中で私は体を抱えて震えだす。

「……せつな、……せつな、せつなぁ……」

 真っ白になった頭で嗚咽交じりにせつなの名前を呼び始める私。

 なんで、どうして……私のこと、せつな、まで……裏切るの?

 どうして? 嘘、だよね? 嘘なんでしょ? 

「いや、ぁ……いやぁ……せつな」

 わかんない。何もわかんない。何も考えたくない。

「……ひっく、…ひぐ…っく…」

 うずくまって泣いていた時間はそんなに長くはなかったと思う。数分、もしかしたら、一分すら経ってなかったのかもしれない。

 だけど、私にはそれが永遠の時のごとく感じられた。

 キィィ、と控えめにドアが開く音がして私はゆっくりと顔を上げてそちらを見つめた。

 暗闇の中ではあったけど、それが誰だったのかをすぐに察した私は心の闇に薄っすらとした光を感じた。

「っ、せつな!!

 自分で自分が信じられなかった。だけど私はこちらに向かってこようとしたせつなに抱きついていった。

「っ!?? す、涼香?」

「どこ、いってたの? すごく、怖かったん、だから……」

 迷子の子供が母親を見つけたかのようにせつなにすがりつく。

「ご、ごめん……その、トイレいって来るだけだから、大丈夫かなって思って……」

「嫌……一人に、しないで、よ……ひっく……ひぐ」

 せつなの胸に顔をうずめて泣きじゃくる私。

「すず、……」

 せつなは一瞬だけ、私の背中に手を回したけど触れた瞬間に手を離した。

「ひぐ……っく…せつ、なぁ……」

 まるで子供みたい。だけど、こうしちゃうの。

 体が勝手にせつなに抱きついて、心が涙を流しちゃうの。

 人からみたらこれは小さな子供が母親に甘えるように写るのかもしれない。

 私はそんなこととは関係なくとにかくせつなに、私を守ってくれる人にすがりついた。

「………………」

 せつなの手が私の背中に触れる寸前のところで止まっていることなんかにはもちろん気づかないで。

「っ。……涼香!!

「っ!!!!????

 突然、体がぎゅってせつなに押し付けられる感触に私は目を見開いた。

(…………ひっ!!

 数瞬後、剥き出しの傷に触れられたことに気づく。

「いやぁ!! 離して!

 私はパニックになってせつなを引き剥がそうとしたけど、せつなはそれ以上の力を込めて、さらに私を自分の体に押し付けた。

「い、や……いやぁああ! ぁ、ぐ…い、や……」

「涼香!

 ほとんど本能で叫んでいる私にせつなの悲痛な声が響く。

「離して、離してよぉ……ひっく」

 だけど私はそんなことに気が回るはずもなくて大粒の涙を流し始めた。

「…………涼香…………好き。好きなの、愛してる」

 唐突に紡がれる幾度目かの告白。

「いや、いやぁあ………」

 でも、それも私の耳には入らない。

 例えパジャマの上からでも体に触られているということが私の頭を支配して、心を闇で満たしていた。

 その中にはせつなの言葉だろうと何も入ってこられない。

「………っ」

「………? !?

 一瞬せつなの腕の力が抜けて、ずっとせつなから離れようとしていた私はそのわずかな隙でせつなの体から離れた、

「っ!!!???

 次の瞬間、

 また体が引き寄せられるのに次いで

「ん、む……!!!???

 せつなにキスをされていた。

「んっ……ふぁ……」

 体をぎゅっと抱きしめられたままの、唇を触れ合わせるだけのベーゼ。

(な、に……? なん、で、こん、なの?)

 それまで恐怖に支配されるだけだった私はそのせつなのやわらかな唇の感触にようやく自分を取り戻した。

「ふ、は……」

 せつなの唇が離れて、熱い吐息が頬をくすぐると呆然とせつなを見つめた。

 暗闇に浮かぶせつなの顔は様々な感情がこもっていた。悲しそうでもあって、同時に悔しそうで、ちょっと後悔しているような気もして、だけど、なにより決意がこもっているような…………

「涼香、好き。……大好き」

「え…………?」

 突然の告白に私は恐怖も、キスされた驚きも忘れてせつなのまっすぐな瞳を見つめ返した。

「やっぱり、このままじゃダメなの……」

「え……」

 な、に? 何をいって、るの? どういう、意味?

 せつなは無言で私の腰に手を回すと、少し力を込めてそのまませつなはベッドのほうに歩き出した。

「あ………」

 そのまませつながぐって体が押してくると私の体は浮遊感に包まれ……

 ボフン!!

 ベッドに、押し倒されていた。

 さっき流した涙がまだ瞳に残っていて視界が滲んでる。その歪んだ視界の中、せつなが私を迷いは振り切れないながらも真剣な瞳で見つめていた。

「私、涼香のこと、本気で好き。……いっぱい苦しい思いもしたし、辛くて死にたくすらなったときもある、こんな思いをするくらいなら涼香を好きになんかなるんじゃなかったって思うことだってあった。だけど、そういう思いができるのだって、涼香に出会えたおかげ。涼香を好きになったおかげ。涼香を好きにならなきゃ、今までの嬉しいことも楽しかったことも全部なかった。涼香のおかげで私は、【私】になれた」

 昔、もうずっと昔に感じる一年生の夏休み。せつなにこうして押し倒されたことがあった。

 あの時、母親の記憶をさつきさんの思い出で押し込めていたあの日は私は未知の恐怖にせつなを拒絶することしかできなかった。

 今は……【恐怖】の理由を知って、その膨らみきった恐怖をせつなに包んでもらっている今は……

「今……私、つらいけど、涼香が苦しんでて悲しいけど……けど、心のどこかじゃ幸せも感じてる。涼香を少しでも救えてるんだって、助けてあげられてるんだって……嬉しいって思ってる」

 今、も。怖かった。せつなに抱きしめられてすごく怖く感じた。

「だけど、それだけじゃ……だめ。このまま涼香が苦しんでいるのを見てるだけなんて耐えられない」

 だけど、せつなは私にとって今、誰よりも大切な人。さつきさんや美優子のことは嫌いになったけど、せつなに怖いことされても、せつなを嫌いには思わなかっ……

「涼香……」

「っ!!????

 体が、震える。

 せつなの手が、私の胸に触れた。

 破裂しそうなくらいに心臓が跳ね、その振動はせつなにも伝わっていると思う。

 手は自由なのにそれをはねのけられない私。

「私、涼香のこと……………………愛し、たい」

 そして、せつなの口から紡ぎだされる私への想い。

「こんな、こと……何の解決にもならない、だろうし、私の自己満足なのかもしれない。……でも、私、涼香を愛したいの。私の想いを全部、受け取ってもらいたい……たとえ、世界中が敵になっても、涼香のことを愛する人が、……私がいるんだってわかって、もらいたいの」

 愛したい。

 今、せつなの言うそれが何を意味するのかわからないほど、私は子供じゃない。

 わかる。わかる、よ。せつなの言ってる、こと……

 心の中じゃ早くも、そんなの何にも意味ない事だって叫んでる自分がいる。怖い思いをするだけって、せつなにすら余計な苦しみを与えちゃうだけだって。

 それは、そう、かもしれない。

「涼香」

 潤んだ瞳で私をまっすぐにみつめるせつな……

「せつ、な………」

 私は、ただせつなの名前を呼ぶ、だけで……

(わた……し……私の、答え、は………………?)

「……好き」

 

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