夏の迫ってきたこの時期、外に出れば強い日差しが照りつけてくる。ただそれはまだ熱いではなく暖かいと感じられるもので、寮の屋上は何もせずにいる分には心地いい場所となっていた。

 何もせずにいるならば。

「………………」

「………………」

 二人で寮の屋上に来た私と美優子は入り口から正面に歩いていき、フェンスの前で二人たたずんでいた。

 美優子は話があるといっていた割にすぐには話ださない。気持ちはわからないでもない。おそらく私に話すということを決め、どう話そうともシュミレートしているはずだろうけど、いざ目の前になってしまったら震えてしまうのだ。

 ……私だって涼香の前でそんな経験は幾度かしている。

「あの、」

「美優子」

 美優子が話を切り出そうとした瞬間私は、そんなつもりはなかったはずなのにそれをさえぎってしまった。

 カシャンとフェンスを掴んで、美優子に背を向ける。

「美優子はここに来たことある?」

「え、い、え。ありません、けど……」

「そうね。住んでたってほとんど来る人いないし」

 あぁ、くだらない。何もいうことないのに美優子の話をさえぎって、聞かなきゃって思っているはずでしょ。

「私は何度か来たことあるわよ。……涼香と一緒に」

 美優子に背中を向けているのをいいことにフェンスを掴む手に力をこめた。あまりに自分が惨めでいじきたない人間だということを自分で証明してしまっている。

「そう、ですか」

 美優子にこんなこと言ったって何も意味ない、じゃない。自分で自分を貶めて何になるのよ。

「……それで、話って何?」

「あ、はい」

 もちろんこんなことで美優子が話さなくなることはなかったはず。それでも、美優子がひるんだ様子すら見せなかった。

(……これが、美優子、よね)

 変なところで強いんだから。

 私はため息にも似たように息をはくと振り向いて美優子と向かい合った。

「朝比奈、さんは……涼香さんのこと、どれくらい知ってますか?」

 婉曲な言い方だ。だけど確かにまずこれを知らなければ、どこから話せばいいのかわからないのだろう。

「ある程度は、知ってるつもりよ。虐待、のこともさつきさんっていう人に助けてもらって一緒に住んでたことも、この前お母さん、から電話があったっていうこと、それに……」

 あぁ私は醜い。どうしても私よりも強く、涼香を知っている美優子への嫉妬を抑えることができなかった。

「さつきさんと、美優子が涼香を裏切ったという、ことも……」

「っ! ち、違います」

 淡々に私の話を聞いていた美優子はそこに思わず声を荒げた。

(……わかってるわよ)

 わかっててわざわざあんな言い方をしたんだから。

「私の知ってることはこのくらいよ」

「あ、は、はい」

 にしても、私の醜い挑発には乗らなかったくせに、裏切ったという言葉には動揺する。もちろん、それが事実でないからの反応なんだろうけど。

「それで、何が、言いたいの?」

 美優子を見ながらも顔は見れないで私は促す。

「……はい」

 美優子は視線を散らせながら自分の中での話し出す勇気をしぼりだそうとしているようだった。

 この時の私は知りようもなかったけど、美優子は私に話すということを涼香をあきらめるということと結び付けてしまっていた気持ちもあった。

 だから、私を目の前にして決意が揺らいでしまうのも無理のないことだった。

「……言えないの? 私なんかには話したくない?」

「そ、そんなことないです」

「じゃあ、所詮涼香への気持ちなんてその程度ってことだったのかしら?」

「っ!!?

 まるで憎むかのような鋭く強い目つき。

 美優子がこんな目をするのなんて見たことなかった。いや、できるとも思っていなかった。それだけ今私は美優子を侮辱した。

「なら、話なさいよ」

「っ……はい」

 そんな顔しないでよ。あんたのために言ったんじゃない。涼香のために話を聞いておいたほうがいいって思っただけ、よ。

 美優子は一つ深呼吸をすると私を強い光をこめた瞳で見つめてきた。

「涼香、さんにお話をしてもらいたい、んです」

「……美優子の話を聞けって?」

「違い、ます。さつきさんと涼香さんのお母さんのこと、です」

「っ……」

 驚きはした。したが、ここで話すことはそういうことだろう。

 涼香が裏切られたと思い込むことになった二人の密会のこと。今美優子が話そうとしているのはそのこと。

「この前、さつきさんと会ったんです。それで……」

「……………」

 話し始めた美優子に私は一切口を挟むことなく美優子の話を聞いていた。美優子はつらそうではあるが、声には力がこもり、途中で途切れることもなく続けていく。

 そこで聞かされる、涼香すら知らない涼香とさつきさんと涼香のお母さんの過去。

 涼香が虐待される原因になった不運な事故。さつきさんという人がそれに負い目を感じ、涼香のお母さんと涼香の間で苦しんでいること。それを話す現場を涼香に見られてしまった不幸。

 一言で言えば、衝撃的な内容だった。

「だから……」

「待って」

 一通りの話を聞いたと判断した私はまだ続けようとする美優子を制した。

「それを私に話して、どうするつもり?」

「……朝比奈さんから涼香さんに伝えて、ください。……きちんと話せば涼香さんだってきっと……さつきさんの、気持ち……」

 ……まともな状態で聞けるのならそうでしょう、ね……

「……どうして、私、なのよ」

「……わたしじゃ、だめ、だから、です」

 唇をかみ締めている美優子、こぶしを握り締めて内から生じる悔しさを必死に押さえていた。

 その悔しさを私はわかる。好きな人が自分を見てくれずに、他の人を見ているという現実。私はそれを身をもって実感しているのだから、いや、していたのだから。

「お願いします。このままなんて駄目です! 涼香さんがさつきさんのこと、嫌いになるなんて絶対駄目なんです。涼香さんだって、きっと後で後悔します」

 そう、かもしれない。私はずっと心の中で抱いていた疑問が確信に変わっていた。涼香がさつきさんのことを本当に大切に思っているということは直接二人が一緒にいるところを見たわけでもないのに確信できた。

 そんな人のことを嫌いになってしまうなど涼香のためでないことは明らかだった。そして、仮に後で理由をしれば涼香が傷つくのも間違いない、はず。

 涼香に伝える、べき、だ。その役目を担うのが誰になろうとも。

 頭ではすでにそう考えていた。

「……なんで美優子は、ここまで、できるの?」

 しかし、様々な可能性を考えた私はそういわざるを得なかった。

 美優子のしていることがおかしいといっているわけではない。いや、美優子のしていることは涼香を好きな人間としては当然であるかもしれない。

 だけど、私が涼香に話したとして涼香が話を聞いてくれるとは限らない。拒絶され、……私にまで裏切られたと涼香が思うことだって十分ありえ、それが美優子の差し金と知ることとなれば美優子に対する憎悪は果てしなく膨れ上がる。

 そうなれば私のことは考えないとしても、美優子と涼香の中はさらに修復困難なものになる。

 そういう可能性だってあるのだ。

「いくら、話をされたからってさつきさんっていう人の味方をする必要なんてなかった、でしょ? 仮に涼香がきちんと話を聞いてくれたとしてもやっぱり涼香が苦しむだけになるかもしれないって思わなかったわけはないじゃない。なら、そんな人のことなんて忘れて、涼香の側にいること、だって、手を握って、守ってあげることだって……涼香を愛してるのなら、そういうことだってできた、じゃ、ない」

 理屈では間違ったことを言っていないのかもしれない。けど、それは私がその場にいることができなかったからいえているだけなの?

「できません」

 はっきりと言い切った美優子に私は思わず胸が跳ねた。

「どうして、よ……?」

「そんなの涼香さんのためじゃありません。涼香さんはさつきさんのこと、好きなんです。誰よりも、この世で一番さつきさんのこと想っています。お母さんのことはわたしだって許せないけど、さつきさんのこと嫌いになったままだなんて涼香さんのためじゃないです。絶対に」

 涼香のため。

 涼香のためと美優子は言っている。でも、それが、美優子がしていることが涼香のためとしてもその過程で涼香を傷つけるのは明らか、じゃない。それに……一時的としても涼香に嫌われてしまうということもありえて、実際にそうなったじゃない。なのに美優子は……涼香に嫌われても涼香のためという想いを貫いている。

 私なら……できた、だろうか……涼香に想いを向けられているのにそれを断ち切って涼香のためにと、美優子のようにできる、だろうか。

 頭ではわからないわけじゃない。私だって、涼香のことを愛している。美優子以上に、その自信は、ある。だから、できるといえるかもしれない。

 けど……

(今、私は涼香の手が、離せる……?)

 美優子がしていることが涼香のためになると思えても、涼香にそれをいえる? いえるの? 話すべきとは思う。思うわよ!?

 話をすればわかってくれるかもしれない。話をする過程、あるいは直後涼香は私を非難し、嫌悪するとしてもきちんとわかってくれるのなら、それは感謝に変わる、はず。美優子に、対しても。

 でもそうならない可能性だってある。私にまで裏切られたと涼香は思い、話を聞くことはなく二度と私に心を開いてくれなくなることだって……

(っ!!?

 そこに思考がいたった瞬間、極寒の地に放り出されたように体が、心が震えた。

(い、や……)

 そんな、こと耐えられない、絶対に。

 状況が違っても、美優子だって同じようなことを思ったはず。

(……はず、なのに)

「朝比奈、さん?」

 美優子の顔を、いや、美優子を見ることができなかった。

 太陽から目を背けてしまうかのように美優子が眩しく見えた。見えて、しまった。

「い、や、よ……」

 胸に去来した感情を振り払うかのように私は声を絞り出した。

「え?」

「嫌! 美優子も、さつきさんっていう人もひどいわよ! どんな理由があったって涼香に昔のこと話す必要なんてないじゃない! 今さら、虐待が助けてくれた人のせいだなんていってどうするの!? 何も知らなくていいじゃない! そんなこと知ったって何にもならない……知ったって涼香が混乱するだけじゃない、苦しむだけじゃない」

 私……私だって間違ってない。美優子がしていることが正しいとしても私だって正しい、はず。

「涼香に話すのなんて、そんなの自己満足じゃない。自分が楽になりたかっただけじゃないの、さつきさんっていう人は……っ」

 パァン!!

 大きな音と共に視線がとんだ。

 ついで、頬に熱い痛み。

 ビンタをされたということに気づいた私は見つめることのできなかった美優子を悪意を持った目で見つめた。

 怒っている。あの、美優子が。先ほど挑発したのとは比べ物にならないほどに、憎しみではなく純粋に怒っている。

「……私、毎日涼香と寝てるのよ。一緒のベッドで手を握ってあげながら」

 赤くなっているであろう頬を抑えながら低く、暗い声を発して私は心で涙を流していく。

「昨日、なんて…………」

(あぁ、私……何、いってるの……)

 惨め、だ。世界中の誰よりも。虚勢を張って自分を守ろうとしかしていない。

 あまりにも弱い私はそうして自分を守って、そんな自分を正当化することすらできないほどに私は弱くて……

「っ!!

 目の奥が熱くなり、瞳が潤んできたのを感じた。

(いや、美優子に見られたく、ない)

 泣いてしまうことを見られるのが怖かった私は美優子を突き飛ばし、そこから逃げ出していった。

 

 

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