最低! 

 最低!!

 最低!!!

(さいってい!!!!

 髪を振り乱し、痛いほどに唇をかみしめ、顔を真っ赤にしながら私は早足に階段を下りていく。

 恥ずかしい。恥ずかしくてたまらない。あんなこと言ってしまった自分が死んでしまいたいくらいに恥ずかしかった。

 そうよ! 恥ずかしいから、自分が惨めだから泣いてるだけ。

 美優子に一瞬でも勝てないと思ったからじゃない。勝ち負けじゃない。私にできないことを美優子がしているからって私が美優子に負けてることになんかならない!

(そう、よ……)

 部屋のある階まで降りてきた私は表情を変えられないままゆっくりとした歩みに変わった。

 私は、美優子に負けてなんか……ない、わよ。

 私だって、涼香のため、に……

「っ!!

 胸に渦巻いていた感情に耐え切れなくなった私は壁に手をたたきつけた。

 痛みを感じているはずなのに、熱さだけが残る。

(私、だって……涼香のことを……)

 愛している、わよ。

 なぜかそれを心の中ですらはっきりと言えなかった。

 美優子の涼香への想い。美優子のしていることは、涼香のためって……思、う。

 直接会ったことのない私だって涼香がさつきさんをどう思っているかわかっているつもり。涼香にとってかけがいのない大切な人。

 二人の関係が今のままだなんて涼香のためにならないなんてわかりきっている。

(それ、でも……)

 ふらふらとおぼつかない足取りで部屋に向かっていっていた私は、いつの間にかそこへとついてしまう。

(私は涼香を……)

 離したく、ない。

 部屋に入ろうと顔を上げた目からツーと、涙が零れ落ちる。

(っ……)

 それが手の甲に落ち、私は翻して手の平を見つめた。

 涼香を握っている手。涼香の手は柔らかくて、暖かくてでも、すごく小さく思えた。

 嬉しかった。涼香の力になれていることが、涼香を守れていることが。涼香が私を頼ってくれることが。

 だって、だってやっと涼香が……

 涼香が……

(私のものに、なった、のよ……)

 嬉しいに決まってる、じゃない。

 涼香を好きになって一年以上。何度もあきらめようと思ったし、死にたくなるほどに苦しい思いを何度もした。でもあきらめきるなんてできなくて、ずっと私に応えてくれない涼香を見続けるだけだった。それも、涼香が美優子と一緒にいるところを見せ続けられてきた。涼香や他の人の前じゃ平気な振りをして、ずっと心で泣き続けてきた。

 どんどんと手のひらに涙が落ちていく。

(……今この手の中に涼香がいる)

 いるの、よ。

 誰がなんと言ったって私が、今涼香のことを支えている。

 この手を涼香が離すのなら……受け入れられるかもしれない。

 だけど!

 私からこの手を離すことができない。何があっても、一度手に入れた涼香のぬくもりを手放すこと、なんて……

(そう、よ。……私は、間違ったことなんてしてない)

 私だって、涼香を支えられているんだから。守っているん、だから。

「っ……」

 自分で言い訳をするたび心が震える。ドクンと、漠然とした不安を奏でてくる。心が内から何かに食い破かれていくようなそんな恐怖が、言い訳をするたび……

(っ!!?

 言い訳、してるの?

 心で言い訳という表現を使ったことに私は自分で驚いていた。

 違う、違うわよ。言い訳じゃない。本心、これだって、本心よ。

 そうよ、涼香を守るって決めたじゃない。美優子とは違う方法で涼香をって……だから、言い訳じゃ、ない。

(私は……間違ってなんか……)

「せつ、な?」

「っ!!!?

 涙目のまま涼香に会えるわけもなく、でも動くこともできずにたたずんでいた私の背後から今一番会いたくない相手の声が聞こえた。

 すなわち、涼香の声が。

「どうしたの? 鍵、かかってない、けど……」

 昨夜のせいか涼香も今までとは別種のぎこちなさで私に話しかけていた。

「うん……」

 私は、振り向かずドアを開けずに小さくうなづいた。

「? どうか、した?」

「何でも、ない、わ」

 今の私が明らかにおかしいだなんて自分でもわかってる。

「でも……」

 涼香の声には心配がこもっていた。私を……私なんかを心配している。

(やめて……私は、涼香に心配してもらえるような人間じゃない)

 自分のことだけしか考えられてないのよ。涼香を守るなんていいながら、涼香を手放したくなくて美優子や、涼香の大切なさつきさんにあんなひどいこというような人間なのよ!?

 美優子がしていることのほうが涼香のためになるってわかりながら…… 守りたいって、救いたいって言いながら!!

 涼香を好きって言いながら!!!

(涼香よりも……自分を取っちゃう、人間、なのよ……)

「ぅ、っく……」

 溢れてくる。負の感情の雫が胸いっぱいになって、涼香の前で止めようとしていた涙が溢れてくる。

「せ、せつな……」

「ひっく……ひぐ……」

 悔しい。悔しい……悔しい。

 美優子に勝てない自分が、涼香のためのことができない私が、涼香よりも自分を取ってしまう自分が、悔しくてたまらなかった。

 美優子は涼香のためなら自分を捨てられる。涼香が幸せになるのなら自分が嫌われていいとすら思えてる。

 私には、できない。涼香に嫌われてまで涼香への想いを貫けない。今手の中にある涼香を離せない。

「ひぐ……ぅぐ…うっく……」

 涼香の目の前だというのはわかっているのに涙が止まらなかった。

 溢れて、溢れて、このまま涙の海に沈んでいくんじゃないかっていうほどに私は泣き続け、

「せつな……」

「っ。あ……」

 本当に涙の海に溺れていたかもしれない。涼香が、こうして手を握ってくれなければ。

(涼香……)

 涙に濡れた瞳で思わず涼香を見てしまった。

 戸惑いの残る瞳。今の自分が私の手を握っていいのかと不安に思いながらもそこにある想いを私は感じてしまった。

 心配、してる。私なんかを心から心配そうに見つめていた。

 一瞬で心に穴が開いた。醜い心を守る靄が取り払われて、涼香という太陽が照らしてくる。

(…………………………………………………愛してる、涼香)

 涼香も、こういう人間だ。自分が苦しんでいるくせに私のことを想ってくれる。

(……本当に……バカ)

 そんな、バカ、なところも……私は大好き。そんな涼香が大好き。

「涼香、すぐ戻るから、部屋に、いて」

 大好きだから……涼香のためにしなきゃいけないことがある。

「え……?」

「お願い」

 涼香を想う気持ちは誰にも負けない、から。

「お願い、涼香」

 涼香の瞳にうつる私。それがさっきの美優子と同じ目をしていた。

「……うん、わかっ、た」

「……ありがとう」

 涼香が手を離して部屋に入っていくと私は早足、いやすぐに駆け足になってさっき通った道を戻り始めた。

「っは、ぁ……は」

 荒い息になりながら、屋上へ向かう私はしっかりと前を向く。

 思ったじゃない。話した方がいいって。

 わかってたじゃない。涼香のためにそうしなきゃって。

 知ってたじゃない。それこそが涼香を救う道なんだって。

 美優子が眩しくて、私はそれが怖くて逃げたけど……涼香のためって知っていた。

 あの、優しくて、自分よりも友達を心配しちゃうようなお人よしで、けど時々強くて、でもすごくもろいところもあって、自分が誰より苦しんでるくせに私なんかを心配しちゃうようなバカな涼香。

 私はそんなのを全部まとめて涼香が好きで、涼香のためになにかしたいのは偽りない私の本心。

 そうよ、好きな人のためになることがあるのにそれをしようともしないで好きでなんていえるわけがない。

 だから!

 私は目的の相手がいる確証もなかったのにさきほどまで自分がいた場所のドアを大きく開け放った。

「美優子!

 そして、そこにその人を見つけ大きな声で呼んだ。

「っ!? 朝比奈さん!?

 美優子はまだ寮の屋上にいて、私が戻ってきたことに驚きを隠せていない様子だった。

 私はそんな美優子に近づいていって手を取った。

「来て」

「え? え?」

「これから、涼香に……話しなさいよ。美優子が、自分で……」

「っ! で、でも……私じゃ」

「……自分で話しなさい。私が話すよりもそのほうがいい。美優子のほうが涼香にちゃんと伝えられる」

 私では伝えきれない。涼香の心に届けるためには私じゃなくて美優子のほうが、いい。私はさつきさんを知らない。伝え聞いた話を涼香にしようとするよりも美優子が直接涼香へ過去を語るべき。そのほうが涼香のため、だ。

 これは私よりも美優子がしなければいけないこと。

「私に任せて、逃げるのは卑怯よ」

「っ!

 美優子がそれを察したのかどうかは知らない。美優子にも何か思い当たることがあったのかもしれない。ただ、

「……わかり、ました」

 美優子は小さくうなづき、私たちは涼香の待つ部屋へと向かっていった。

 

 

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