(せつな、どうしたんだろう)

 様子のおかしかったせつなに言われるままに部屋に戻った私はせつなのベッドに寄りかかってせつなのことを考えていた。

(何で、泣いてたの、かな……?)

 しかも部屋の前でなんて何かあったのは間違いない。

 せつなが泣いていたっていうのが怖いような寂しいような気がした私は震えそうになった体を両腕で抱く。

 昨日のことが関係してるわけじゃない、よね。

 だって、私が話しかける前から様子がおかしかったもん。

(私じゃ、ない、よ)

 私がせつなを泣かせたんじゃ、ない。

 でも、じゃあどうして? 

 せつなが泣いちゃう理由なんて全然思いつけない。人前で泣くなんて普通はしないこと。でもせつなは泣いてた。

 それに、あの目……

 せつなの様子は最初から普通と違ってたけど、会話ともいえない短い会話の中でまた雰囲気が変わってた。

 瞳に不思議な光があって、声には力がこもっていた。

「っ……」

 なんだか胸がざわざわしてる。

 ドクンドクンって、理由もわからずに鼓動だけが高鳴っている。

(なにこれ……?)

 嫌な感じ。不安っていうよりも……こわ、い?

 怖い、ような気がしてる。

 そんなこと思う理由なんて全然ないはずなのに漠然とした不安が心にじわじわと侵食してきているのを感じていた。

(なんで? 何が!?

 何に私は怯えてるの? どうして怖いだなんて思ってるの??

 せつなが何かするだなんて思ってるの? そんなことない。ありえない。せつなが美優子みたいに私を裏切るなんて絶対ないんだから。

(っ!? みゆ、こ……)

 心に一瞬美優子の姿を思い浮かべた私ははっとなった。

 なんで、今怯えているのかわかるような気がした。

 せつなのあの目……どこかで見たって思っていた。それが何なのかわからなかったけど、美優子のことを思った瞬間。思い出した。

 あれは、美優子の目だ。

 美優子が私を傷つけるようになってからほとんど美優子なんてまともに見てなかったけど、美優子があんな目をしていたような気がする。はっきりとは見てないけど、さっきのせつなみたいな目をしていた、と思う。

(……だから、どうしたっていうの……)

 関係ないじゃない。同じ目をしてたからってせつなが美優子と同じことをするわけじゃない。

(せつなが、私を裏切るわけがないんだから……)

 だいじょう、ぶ。せつなは私を守ってくれるっていったんだから。せつなが裏切るわけないんだから……

 心細かった。

 そんなわけないって思うのに体は怖いっていう気持ちに反応してる。

(せつ、な……)

 すぐ戻るって言ったじゃない。戻ってきて、手を握ってよ。

 大丈夫ってわからせてよ……ねぇ、せつな……

 カチャ。

「っ」

 体を抱えながら俯いていた私の耳にドアの開く音が聞こえた。

(せつなっ)

「っ!!!!??

 せつなはいた。確かにせつなは帰ってきた。

 きた、けど……

 目を見開く、唇が戦慄く、心臓が跳ねる。心が黒く塗りつぶされていく。

 だって、だって……せつなが一人じゃなかったから。いたから、会いたくない相手が。私を裏切った相手が。

「みゆ、こ……」

 つぶやいた私の瞳はすでに潤んでいた。

 せつなと美優子が並ぶ光景を呆然と見つめる。

 見れたのは一瞬。その現実を私は一瞬しか直視できなかった。

「涼香、さん」

「っ!!?

 いや、いやぁ……なんで美優子がここにいるの!? なんでせつなと一緒にいるの!!?? そんなのおかしいじゃない。おかしいよね!? 

 だって、美優子は私を裏切って、せつなは私を守ってくれるって言って……なのに、せつなが美優子をつれてきた……?? 

「涼香」

 そばに寄ってきたせつなが私を呼ぶ。

「ひっ!!

 私は高い叫び声を上げてせつなから離れようとしたけど、体がうまく動かなくて座ったまま数センチずれただけだった。

「はぁ…ぐ……はっ」

 恐怖が喉に詰って息すらまともにできなかった。

「涼香、美優子の話を、聞いて」

「っ!!!!??

 そして、せつなの一言に私の心は奈落へと突き落とされた。

(せつな、まで……)

 凍りつく心。一瞬で光のない闇へと放り出された。

 完全な闇。その中じゃ自分の姿だって見えないほどの完全な闇だ。

「涼香……」

 その闇の中私に触れるものがあった。

 せつなの、手……

「触らないで!!

 私を更なる闇へ落とそうとするせつなの手を私は必死に振り払った。

「涼香、話を聞いて」

「いや、いやよ! 何で、どうしてせつなまで私のこと裏切るの!? 守ってくれるって言ったじゃない! 私のこと、裏切らないって約束してくれたじゃない!!

「裏切ってなんかない」

「っ!!? ふ、ざけないでよ……」

 こんなに私を苦しめているのに裏切ってない? 何言ってるの? 私をからかって私が苦しんでるのをみて楽しんでいるつもり!? 

 同じだ。せつなも私を裏切った。私のこと好きだなんて嘘をついて私をいじめる、苦しめる。

「いや、いや、い、や……いやぁぁああぁぁ!!!

 何がなんだかわからない。おかしくなっちゃいそう。

 裏切られた、裏切られた、裏切られた!!!

 さつきさんにも、美優子にも、せつなにまで!!! 

 みんな私を好きって言いながら私を苦しめてくる。

「涼香!!

 せつなの手が私に触れる。昨日まで、ううんさっきまで私を守ってくれていたせつなの手が。

 今の私には剥き出しになった私の傷を乱暴に触られるだけにしか思えなかった。

「……やめて…、やめてよ……ひぐ…いやあぁあ!!

 一瞬にして溢れてきた涙を流すし、泣き喚くしかできなかった。

(うそつき、うそつき、うそつき!!

 みんな、みんな嘘をつく。私を好きだなんて嘘をつく。

 同じだ、あの女と……私を苦しめるだけの存在。誰も彼も私を傷つけるだけ!!

 みんな私をいじめる。みんなで私をいじめる。

(………そうだよ)

 私は親にすら愛されなかった。そして、誰からも愛されることもない。

 そうだ、私なんて誰も……

「っ!! 涼香!!!

 パァアン!!!

 大きな音と共に涙の飛沫が飛んだ。

「あ……?」

 何されたかもわからず私は無意識にその衝撃を与えた相手を見つめる。

「バカじゃないの!!? 話も聞かないで自分の世界に入り込んで!! 話くらい、聞きなさいよ……」

 せつなも、泣いていた。

 真っ赤になった瞳を濡らして、震えながら私を見ていた。

「……少しは、考えて、みなさいよ……美優子が……私が!! 涼香のこと傷つけようとするって思う、の? そんなに私たちが涼香を好きな気持ちが、信じられない、の……ひく……」

「あ、……え……?」

 私の頭は沸騰しきっていてとても話なんか聞ける状態じゃなかったはずなのにせつなの言葉は不思議なくらい心にあっさりと入ってきた。

「信じてよ……私、たちは涼香のこと、本気で……好きなのよ……涼香を傷つけようと何かするわけ、ないじゃない……」

 せつなは泣いているのに涙は流さない。瞳を潤ませたまま熱い瞳を私に向けている。

「ぁ……」

 そして、目の前に座り込んで私の手を握った。いつも握ってくれるみたいに優しく、暖かく。

(っ……)

 まるで……まるで……小さいころさつきさんが手を握ってくれたように。せつなの気持ちが私を包んだ。

「お願い、話、聞いて……涼香だって、わかってるでしょ? わかって、くれるでしょ? 私たちが涼香のことを想ってるんだって……」

「そんな……そんな、こと……」

 ない。理由があるなんて、思ってなんか、ない……二人は私を傷つけて、楽しんでる、だけ、なんだから……

 そう思っているはずなのに私は震えながら……せつなを見ることしかできなかった。

「話、涼香につらいこと、よ……でも、ちゃんと聞かなきゃ駄目って、思う。私も、美優子もそう思ってる。ううん……私たちのことは、いい。涼香が、本当に【さつきさん】のことを大切に思うのなら、聞きなさい……」

(さつき、さん……??

 せつなの口からもその人の名前がでて私はさらなる混乱に陥る。

 大切に思う、なら?

 思ってたよ!? でもそれを裏切ったのがさつきさんじゃない。私を好きだなんて嘘をついて、あの女に協力した。私のことなんでどうでもよかったって証明じゃない!

「涼香さん……」

 部屋に来てからずっと口を開かなかった美優子がどこか辛そうに口を開いた。

「さつきさん、泣いて、ました。ううん、今も、泣いてます。涼香さんに嫌われたって思ってるからです」

「っ! 嫌いに、なったのはさつきさんのほう、じゃない……」

「違います! さつきさんは涼香さんのこと、本当に大切に想ってて、大切に想ってるから、嫌われるのが怖いんじゃないですか! 涼香さんだってそうですよね。さつきさんのことが大好きだから、裏切られたって思って悲しんでるんでしょう」

「そうよ! 大好きだった! でもさつきさんは違うじゃない! 私のこと好きでもなんでもなかったからあの女に協力したんでしょ!

「っ……」

 パン!

 部屋の入り口にいた美優子は早足に私に向かってくるとせつながはたいた頬とは逆をの頬を叩いてきた。

「ほんとうに、そう思ってるんですか? さつきさんが涼香さんのこと好きじゃなかったって……」

 美優子は怒っているようにも、悔しそうにも見えた。

 ううん、やっぱり怒ってる。美優子が私に。

「あ……」

 そして、美優子もせつなが握ってくれるのとは逆の手を握った。

「嘘だったっていうんですか? さつきさんの今までの気持ちが全部……」

「っ!!

 そんな、こと、思いたくない。絶対に思いたくない、けど……

「涼香さんだって、本当は、わかってますよね……? さつきさんが涼香さんのこと今でも好きって。今までのことは、嘘じゃないって」

 否定したいのに、聞きたくもないのにせつなの言葉も美優子の言葉もすんなりと心に入り込んでどんどんそれが大きくなっていくのがわかった。

「話、聞いてください。……私たちのためじゃなくて、さつきさんの、ために」

 心で膨らんでいく二人の言葉と気持ちは二人を……二人とさつきさんを否定する気持ちを押し潰していく。

 わかって、いた。

 さつきさんが理由もなしに、あの女に極力したわけがないって、美優子が私を傷つけるためにさつきさんの味方をしてるわけないって、せつなが私を苦しめるためだけのことをするわけないって。

「涼香」

 そんなことは、わかりきっていた。

「涼香さん」

 三人の気持ちは……知ってるん、だから。

(……わかってる。わかってた。理由があって、それは私を傷つけるためなんかじゃないって)

 そんなの……わかってた。

 せつなと美優子。美優子とせつな。

 私を好きって言ってくれる、ううん、想ってくれている二人。

「……………………………」

 目を閉じて、二人のぬくもりを感じていた私は

「………………………話、聞かせて」

 長い沈黙の後小さくそう言っていた。

 

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