「…………」
美優子の話が終わって、部屋には沈黙が訪れる。
「…………」
胸にあるのはとても言葉じゃ表すことのできない気持ち。
「…………」
美優子も何も言わずに、私を心配そうに見つめるだけだった。
(……………さつきさん)
頭の中にうかぶ、その人の姿はまだ滲んでいる気がする。
「………ね、美優子」
「はい」
「ぎゅって、してくれないかな?」
「え……、は、はい」
すぐ側にいた美優子は私の背中に手を回すと胸へと引き寄せた。
「…………」
私は目を閉じて、その感触を感じながらまた思考をさつきさんのことへと移していた。
「ふふ、わかっては、いたんだよね……。絶対理由があるのも、簡単に私に話せる様なことじゃないっていうのも……」
それは考えるまでもないことだった。
「だってさ……さつきさんが私のことを大切にしてくれてるって……私が一番知ってるんだから」
わだかまりは消えてない。
それと、今回のこととはいい意味も悪い意味でも別のこと。
でも、それでも……
「……ありがとう、美優子」
思っていた通りさつきさんに想われていることを知った私は、それに気づかせてくれた美優子への感謝を述べながら頬に涙を伝わせるのだった。
「美優子」
あの日から、まだ遠くはない日。
あの日にすでに決めていたことのために美優子と別のところで待ち合わせって決めていたのに、美優子はせつなが言ったとおりに玄関すぐのロビーにいて、私が近づくと少し緊張したような顔をした。
「涼香さん」
「どうしたの? わざわざここまで来て、駅で待ち合わせって言ったよね?」
「は、はい。でも……」
「あ、もしかしてあれ? 私が怖気づいて来ないんじゃって監視しにきたの?」
「い、いえ! そういうわけじゃ……」
美優子は最初の一言だけ大きな声をだして、その後は対照的にごにょごにょとはっきりしない声になった。
……力強く否定されると逆に、ね……
とは、口に出さない。多分、それは本当のことだから。
これから私はさつきさんに会いに行く。
怖いよ。正直言って。
美優子とせつなのおかげでさつきさんがどうしてあの女に味方……というか、言うことを聞いたのかは知った。
それでも……私の心がすんなり晴れ渡るはずはない。想われていることを再認しても、知ったことで思ってしまうこともあるから。
「涼香、さん?」
「あ、な、何?」
「あ、なんでもない、です」
「そ。……ほんとは、私のこと心配してきてくれたんだよね。ありがと」
「え、えっと」
図星なんだろうけど、それを認めるのはある意味さっきの監視しにきたっていうのを認めることでもあって、美優子はあたふたとする。
「っていうかさ、美優子」
「は、はい?」
「何で美優子まで制服なの? 別に美優子がそうする必要はなくない?」
まぁ、私も実際はないんだけど。
「あ、えっと……その、せっかくだから、ちゃんとした格好のほうがいいかなって。制服でご挨拶したことなかったですし」
「ご挨拶って。なんかそれって……」
「?」
「ううん、なんでもない」
心には続きというか、美優子に伝えたいことへの扉をくすぐられたような感覚になっていたけど、今はまださつきさんと会う不安に覆い隠されてその扉は開かなかった。
でも、言えるかも。今日なら、さつきさんと会えたあとなら。
「ちょっと、早いけど、もういこっか」
「は、はい」
遠巻きに好奇心とも、応援とも、たたの興味ともしれない視線をいくつか感じていた私はそう美優子に提案して寮から出て行くのだった。
私のとても大切な人に会うために。
こっちでさつきさんとまともに会うのは二回目だ。
美優子は三回目ってことを考えるとなんか妙な感じ。
さつきさんは私の【お母さん】なのに美優子の方が多いっていうのも妙な話だ。
一応、私も三回目といえば三回目だけどこの前は話せたなんて言えないもん。
今日は、……今日は、どうだろう。
「涼香」
「っ………」
駅前でさつきさんを待っていた私たちは、時間通りに来たさつきさんに発見されて顔を、背けた。
「いらっしゃい……」
「……うん」
私は顔を背けながらそういうだけで美優子から半歩下がった位置を取っていた。
「…………」
一瞬の間。お互いにどんな顔をしていいのかわからず、不自然な空気が流れる。
「え、えっと、お久しぶりです」
そんな様子を見かねたのか美優子は私を庇うように少しだけ前に出てさつきさんに挨拶をした。
「うん、美優子ちゃん。あ、今日制服なんだ……うん、可愛いわね。……涼香も、似合ってる」
「は、はい、ありがとうございます」
「…………ありがと」
やっぱり、簡単じゃないや。嬉しいけど、単純に喜べない。
「…………」
「…………」
「と、とりあえず、どこか入りませんか?」
さつきさんが控えめに私を見つめるのと、私がそれを感じながらも決してさつきさんのほうを見ないという明らかに重い空気の中美優子は自分だけはしっかりしなきゃとでも想っているのか積極的にそう提案してきた。
どこかといっても、そこまで選択肢があるわけではなく私たちが入ったのはいつもの場所。駅近くにある喫茶店だった。
すいている中わざわざあまり人目のつかない奥の席に座った私たちは、明るい雰囲気の店内で異彩を放つ。
さつきさんはさつきさんでらしくもなく所在なさげで、悪いことをしてしまった子供みたいにも見えて、私は朝は強がれていたのにいざさつきさんを目の前にして色々なことを頭によぎらせた。
「お待たせいたしました」
店員さんが注文したものを運んでくると、その重苦しい雰囲気はさらに強まった。
(こんなんじゃいけないって、わかってるけど……)
こんなことをするために今日さつきさんと約束をしたわけじゃないってわかってるけど……
だって仕方ないじゃない!! 美優子から話は聞いたよ!? 私のためにさつきさんは苦しんでいたってわかってる。でも、だからって簡単に受け入れられる話じゃない。今まで信じていたものをある意味根幹から崩すものだったんだから。
私は本当にさつきさんに感謝してる。今、こうして笑ってられるのはさつきさんのおかげだってずっと想ってた。あの女から助けてくれたさつきさんのおかげって。
でも、だからって、直接の原因じゃないにしても……あんなこと聞かされたら……
「っ!?」
どんどん自分の中に入っていこうとしていた私はまた、果てしなく落ちていくような感覚を覚えていたけどその手を取られた。
美優子はさつきさんからは見えないテーブルの下で私の手に自分の手を重ねてきた。
(……………わかってるよ。美優子……わかってる)
そう、だよ。今の私には横で支えてくれる人がいるんだから。
「さつき、さん」
「っ!? な、なに……?」
「話、大体は美優子から、聞いた」
「そ、そう……」
「でも、もう一回聞きたい。ううん、聞かせて。さつきさんの口からちゃんと」
美優子から聞いたことを疑ってるとかそういうことじゃない。話を聞いたときに美優子からも言われたけど、やっぱりさつきさんの口から直接聞きたいの。それがさつきさんにとっても私にとっても辛いことだっていうのはわかっててもそれでも。
「……わかったわ」
話は美優子から聞いたものとそれほど変わるはずもなく、私は美優子に手を握ってもらいながら時折目を閉じたり、頼んでいた紅茶を飲んだりしながら一言も発しないままさつきさんの話を聞いていた。
さつきさんは苦しそうだった。それは当たり前すぎることだけど、言葉を詰まらせたりすることはなかった。
私にまっすぐに、真剣に話をくれた。
「…………………ごめん、なさい」
話を終わるとさつきさんは搾り出したようにそう告げた。
「……………」
さつきさんはずっと苦しんでいた。私がさつきさんに感謝をすればするほど、ううん、私がいるだけでもさつきさんは罪悪感に襲われていたはず。
そして、それがあるからこそさつきさんは私を守ろうとした。去年の年末に帰ってくるなっていうのもあの女と会う約束があったかららしい。
理解したくもないけど、さつきさんからすればあの女に逆らえないのも理解できる。そこまで子供じゃないから。
「……………」
そして、大人でもない私は割り切れない。心の中に、この人のせいであの地獄があったんだと思ってしまう部分があるのは否定し切れなかった。
本当に辛かった。あの女に怯えるだけの地獄。何をするのも、声を発するのすら怖かった。いつあの女にまた痛いことをされてしまうのかって。
そこから救ってくれたさつきさんが原因の一つを、ううんもしかしたらすべてを作り出したかもしれない。
それがショックじゃないのなら、その方がどうかしてる。
だけど……
「さつきさん……」
私はあえて美優子の手から逃れてから小さいながらも気持ちのこもった声を出した。
「一つ、聞かせて」
「えぇ」
「……今回のことがなかったらずっと黙ってるつもりだったの?」
「それは……………ごめんなさい、わからない」
さつきさんは本当に申し訳なさそうに否定も肯定もせずそういった。
告げることも告げないことも私を想ってのことだと勝手に解釈した私は、うんと小さく頷いた。
「一つだけ、言っておくね」
さつきさんはコクと神妙に頷く。
「……ショックだったし、正直、まだ今までみたいにさつきさんのこと考えられない」
「……………」
「でも……好き、なのは変わらない、から。私……さつきさんのこと大切に思ってる。それは……本当だから」
それは、私の中にある確かな想いだった。
美優子言われたとおり、好きだったから裏切られたと誤解して悲しかったし、さつきさんが私のことを想ってくれていたのを信じているのと同様に私だってさつきさんのことを大好きで、大切なのは変わらない。変わりようがない。それほどの時間を私たちは積み重ねたから。
だから、これだけは伝えなきゃ。
「……涼香、ありがとう」
安心したかのようにそう告げるさつきさんの声は震えていた。
あの後はほとんど会話をすることもなくさつきさんを駅に送っていった。片道二時間以上かけてもらって悪いとは思うけど、とても雑談なんかできる気分じゃないし、さつきさんのことを大切に思っていても、今はまださつきさんを見てるとあの女のことを考えちゃうこともある。
だから、私はもう改札前だっていうのに美優子となにやら話をしているさつきさんを少し距離の開いたところから見ることしかできなかった。
どう、別れの挨拶をすればいいのかわからない。
またねっていうのは簡単だけど、正直に言ってそのまたがあるか自分でもわからない。今回みたいにさつきさんが来てくれるのなら会うこともできるけど……さつきさんの家に帰るかは
……帰る、か。当たり前かもしれないけど、そう自然に言葉にでるのはちょっと意外だな。
(……あと、三分だ)
急に心が強くなれるわけもなく嫌な思考から逃げた私は電光掲示板を見てそう思う。
……でも、もし帰れないなら……次さつきさんと会えるのなんていつになるかわかったものじゃない。今回みたいに来るのは簡単じゃないだろうし。
それなのに、こんな別れ方。嫌だけど……でも……
「涼香……」
「っ!? な、何?」
どうすればいいのかわからなかった私はいつの間にかさつきさんが目の前に迫っているのに気づいた。
そして、まるで何かを決したような目をしたかと思うと
ガバ!
「っ!!??」
いきなりさつきさんに抱きしめられる。
「ちょ、っちょっと」
いつ以来だったか、その懐かしい感触に包まれながらもここが駅であることが恥ずかしさを呼ぶ。
「涼香……私もちゃんといっとくわね」
「え……?」
でも、その慈しみを持った声にさつきさんのことだけしか考えられなくなった。
「……もしかしたら、信じてもらえないのかもしれないけど、私も涼香のこと大好きよ。はじめは罪悪感や同情だったのは否定しないわ。でも、涼香といて、涼香と過ごして……楽しかった。嬉しかった。姉さんのことなんて関係ない。大好きよ、涼香のこと」
まっすぐな気持ち。
私が一番幸せに感じていたことをされながら、私に世界をくれた人のぬくもりを感じながら、大好きな人からの大好きっていう気持ちを受け取る。それが以前望んでいた好きじゃないとしても。
「……うん……わかってる」
わだかまりがあったとしても、すれ違いがあったとしても、そんなものを吹き飛ばすくらいの嬉しさだった。
「……ありがとう」
私はさつきさんの背中に手を回して抱きしめた。そういえば、多分こんなのはじめただ。抱きしめてもらうのはあっても、抱きしめるなんてなかった。
「ね、さつきさん」
誰よりも特別な人のぬくもりをこの手に得て、体に感じながら私は囁くような声を出した。
「何?」
「私、今幸せだから」
「……わかるわ」
「さつきさんのおかげだから。さつきさんがいてくれたから、一緒に過ごせたから、今幸せなの。……だから、本当にありがとう」
まっすぐな気持ちにまっすぐな気持ちを返す。
思えば、私とさつきさんはこんな風に気持ちを伝え合うなんてしてなかった。
照れても、恥ずかしくても、気持ちを伝え合う。
多分、それって人と人をつなげるものなんだって思いながら、さつきさんが時間になるまでお互いのぬくもりを感じあうのだった。
胸の中で、このきっかけを作ってくれた相手にあることを決意しながら。