どこをどう走っているのかもわからず、とにかく走った。こんなに騒がしく走ったら周りに迷惑だとか、尋常じゃない足音を聞いて誰かでてくるじゃないかとか、考える余裕もなくひたすらに走った。

 就寝時間にはなっていなかったけど、幸い誰にも会うことはなかった。

 次第に息が上がり、走るペースが落ちてくる。

「はぁはぁ、はぁ……ここは……?」

 もう限界という所で私はやっと足を止めた。

 そこは、昨日せつなと一緒に梨奈と話をした入り口のロビーだった。

 外が近くのせいか、廊下よりも冷たい空気が肌に触れる。

(涼しい……)

 それは火照った体には気持ちよく、私は窓の側まで行き、体を冷やした。

 カーテンをあけて、ほとんど光源のない外を見つめる。服が汗で体に張り付いたのは気持ち悪いけど、今はそれが一層体を冷えしてくれる。

 しばらくそうすると今度はちょっと寒くなってきたので、窓を離れソファに寝転がった。

 右手の甲を額に当てて天井を見つめる。

こうして体を動かすのをやめると嫌でもさっきのことが頭に浮かんでくる。

(……せつな……泣いてた……)

 わけわかんない。

「泣きたいのは、こっちだよ……」

 小声で呟く。

(いきなり、キス、されて……ブラの上からとはいえ胸まで触られて……)

 無意識に、唇に指を当てた。

(……せつなの唇、柔らかかったな……)

 頭の中がぐちゃぐちゃなのに、何故かそのことははっきりと印象に残っていた。

(あー、もう何考えてるのよ)

 頭をぶんぶんと振って、寝返りを打った。転がった視線の先には窓の外が見える。けれど、暗闇の中にうっすらと木々が見えるだけ。ここからじゃ星を見ることもできない。

 キスは、ファーストキス。

 ファーストキスに何か思い入れがあったわけじゃないけど、まさか、こんな形ですることになるなんて夢にも思ってなかった。

『私……涼香が好き……』

 せつなはそういった。世界で一番私のことが好きだって。

「せつなは…………」

 せつなは、思ってたのかな。

 あんな、無理やりな形かどうかはともかく、初めての相手は私がいいって(せつながファーストキスかどうかは知らないけど)そう、思ってたのかな。

「好きって……何?」

 私だってせつなのことは好き。

 私の「好き」とせつなの「好き」、同じ言葉なのに、きっと意味は全然違う。

 私がせつなのことを好きっていうのは、友達、親友として好きという気持ち。

 せつなの好きは、友達っていうことも、もちろんあるだろうけど、それだけじゃない。

 それは、以前私が藤澤先輩に持っていた感情に近いのかもしれない。でも、あの時の私は、先輩にキス、したいとか、直接体に触れたいとか思ってなかった。ただ二人一緒にいられればいいという甘い、子供のような「好き」でしかなかった。

 せつなの好きは違う。

どんな風に違うのかなんてわかんない。ただ、私の知らない「好き」がせつなの「好き」には込められていた。だからこそ、せつなにあんなにも恐怖を感じてしまった。

(そういえば……)

「ひどいこと言っちゃったな……」

 

 「怖い」

 

 まさか、あんなことを言っちゃうなんて。

 仕方なかった。

 心の底からそう思ってしまった。

 せつなのことが怖いって。

 得体の知れない感情をぶつけてくるせつなが。

 せつなが泣き出したのは、そのすぐ後……

 目いっぱいに涙を溜め、顔をゆがめ、体を震わせながら、せつなは泣いた。

「……私の、せい……なの?」

 罪悪感が体の中に入り込んでくる。

 私が怖いって言ったから?

 それとも、

 私が、せつなのことを受け入れなかったから?

 どっちにしたって私のせい……?

 私が、せつなを泣かせたっていうの……?

(………………)

 そんなのってない!

 一方的にキスされたのも、無理やり胸触られたのも私なのに、何で私のほうが悪いことしただなんて思わなきゃいけないの。

(そりゃ、確かに私もひどいこと言ったかもしれないけど)

 でも、それでも……

(……頭が、パンクしそう……)

 もうやだ。

 深くため息をつき、視線を落とし、固く目をつぶった。

 なんか、もうなんにも考えたくない。

 「好き」っていうことについても、キスされたことも、胸を触られたことも、せつなが泣いたことも、もう考えたくなかった。

 今は、何にも考えず眠ってしまいたかった。

 ううん、正確には眠ることで思考を止めてしまいたかった。

 けど、そう思えばそう思うほど頭の中に色々な考えが生まれてきて、結局眠れたのは空が明るくなり始めるころだった。

 

 

 夢を見た。

 意識がおぼろげで本当に夢だったのか、よく覚えていないけど、せつなが出てきて、こう言ったのだけは覚えている

 

 さよなら、と。

 

 

「……かちゃん、涼香ちゃん」

 誰かが、私を呼んでいる。それと体が揺さぶられているのがわかった。

 この声は。

「ん……り、な?」

 覚醒してない頭で声の主を呼ぶと、体の揺さぶりがとまった。

「あ、起きた?」

「う、うん。あれ? 私、ここで何やってたんだっけ……?」

 どうも、まだ頭がうまく働かない。

 寝ぼけ眼に梨奈の姿を確認しながら、上半身だけを起こした。

「そ、それはこっちが聞きたいんだけど。どうしたの? こんな所で寝て、それに朝ごはんにも来なかったし」

 寝る、こんな所、朝、朝ごはん?

 そこで私はハッとなり、梨奈に掴みかかった。

「今、何時!?

「え? じ、十時すぎたところだけど……?」

「十時!?

 私はソファから飛び起き、自室へと駆け出した。

「あ、す、涼香ちゃん!」

「ごめん、梨奈! 起こしてくれてありがと!」

 振り向きながら礼をいって、全速力で部屋に向かった。

 確か、せつなは十時くらい寮を出ると言っていた。もうその時間は過ぎているけど、もしかしたらまだいるかもしれない。

 会ってどうしたいのかはわからない。

正直言えば、今はまだ会いたくない。

でも、一言、何か一言、言いたかった。

昨日のことじゃなくて、いってらっしゃいでも、またねでも、何でもいいからとにかく何か言いたかった。

せつなに言った最後の言葉が「怖い」のまま別れたくなかった。

そんなセリフのまま一週間もせつなに会えなくなるなんて嫌だった。

「せつな!」

 ドアを開けると同時に私は叫んだ。

 けど、そこにせつなの姿はなく、テーブルの上に

   

 ごめんなさい。

 

 と書かれた紙があるだけだった。

 

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