せつなが実家に戻って一日がたった。

 思ったのは、静かだなということ。

 部屋にいても、ご飯を食べていても、何をしていても、静かだった。

 せつなのいないというのがこんなにも、退屈で、私を憂鬱にさせてくれるものだとは思わなかった。

……憂鬱になっているのは別の原因かもしれないけど。

私は、テーブルの上の一枚の紙を見た。

そこには、ゆがんだ字でごめんなさいと書かれている。

せつなは、どんな気持ちでこれを書いたのだろうか。

ごめんなさい。

 それは謝罪の言葉。

 せつなは、あの時の何を謝っているんだろう。

 謝るっていうことは、後悔してるってことなんだろうか。

 コンコン。

 答えの出ない問いに頭を悩ませていると、ノックの音がした。

「どうぞ」

 鍵はかけてないので、ノックをした主たちは各々お邪魔します的なことを言って部屋に入ってきた。

「いらっしゃい、梨奈、夏樹」

 儀礼的な言葉で二人を迎えるのと、視線も二人に向ける。

梨奈はなにやらビニール袋を持っていて、夏樹は何故かポットを持っている。

「何か用?」

「あの、お茶でもしない?」

「お茶? 何でまた急に」

「えーと、その、な、何となく」

 梨奈が歯切れ悪く答えていると、夏樹がポットをテーブルにドンと置いた。

「梨奈があんたの様子が変だって言うから、心配になってきてあげたの」

「そう……」

 まぁ、確かに昨日は何をしても上の空ではあった。里奈はそれを単にせつながいなくなってさみしがっているだけとは見てくれなかったみたい。

 梨奈にはロビーで寝てたのを見られてたし当然かも。

「でも、それならわざわざこの部屋に来なくても、二人の部屋に誘えばよくない?」

 お菓子はともかくポットをわざわざ運んでくるなんて無駄な労力じゃ。

 私のもっともとも言える言葉に梨奈は戸惑いをみせた。

「ええと、それでもよかったんだけど、なんかそれじゃ断られちゃうような気がしたから……」

 その言葉にドキッとした。

 その通りかもしれない。実際にその状況になったわけじゃないけど、もし、梨奈たちが私たちの部屋でやるから来ない? といってきたら多分、断っていた。

 梨奈ってこういうのが鋭い。

「そういうわけでカップ借りるよ。ん、なにこれ……?」

 私の了承を得る前に、夏樹はテーブルに常備してあるカップを取ろうとして、あるものに気づいた。

 せつなの置手紙に。

「っ!!

 私は、夏樹がそれに手を伸ばそうとする前にすばやくそれを回収した。

「な、なに、急に」

「あ、えと、ほ、ほら、こんな所に紙があったら邪魔じゃない?」

 明らかに挙動不審な私を二人は訝しげに見てくる。

 最近の私は深く考えないで、行動をしてからどうしようとなることが多い気がする。どうにか誤魔化そうと考えていると、梨奈が手際よくビニール袋に入っていたお菓子を広げ、お茶を淹れだした。

「二人ともとりあえず、お茶にしよ。話をするのはそれからでもいいでしょ?」

「あ、うん」

 何とも、同い年とは思えないほど梨奈はできた子だなと思ってしまう。大人と言うか、場の空気の作り方がうまい。

 梨奈が淹れてくれたのはアッサムティーで、芳醇な香りが部屋を満たし、透き通った紅い液体は視覚を楽しませてくれる。

「あの、でね。涼香ちゃん」

 三人が一杯目を飲み終わると、頃合いを見計らっていたかのように、梨奈が切り出した。

「なに?」

「せつなちゃんと、何かあったの?」

 遂にきた。さっき夏樹は心配だからとか言ってたけど、多分、この二人はこの話をしに来たんだろう。

「べ、別に……なんでそんなことを思うの?」

 私はとても正直に答える気が起きなく逆に聞き返す。

「なんとなく……気のせいならいいの」

 梨奈はこう言ってるけど、確信があっていってるんだろうし、こんな言い方をしてるのは話したくなければ、話さなくてもいいと、暗に言ってくれてるんだと思う。

(……どうしよう?)

 とても、この二人に話すことじゃない。でも、せっかくここまで来てくれたのにあっさり追い返してしまうのも悪い気がする。

「あ、そうそう。あたしもそれ気になってたんだけど」

 せっかく梨奈が気を使ってくれてるというのにこの娘は……。梨奈にも「夏樹ちゃん!」と小声で制されている。

「いいよ、梨奈」

「あたし昨日部活の朝練行くとき朝日奈見たけど、なんていうか、死んだ魚みたいな目してたよ。涼香さ、朝日奈とけんかでもしたの?」

 夏樹は梨奈に制されても、かまわず質問を続ける

(けんか、か……)

 それだったら、どんなに楽だっただろう。

 私は、二人には気づかれないよう自虐的にくちびるの端を吊り上げた。

「そんなんじゃないよ、私はいつだってせつなとは仲良しなんだから。そりゃ、二人のラブラブさに比べれば負けるかも知れないけど?」

「い、いきなり何言うのよ!?

 夏樹は、私のセリフに顔を真っ赤にしたけど、梨奈のほうは、別段変わった様子もなく、紅茶のおかわりを飲んでいる。夏樹のほうはあっさりと煙に巻くことができても、梨奈は引っかかってくれないみたい。

「冗談は置いておいて、本当、何かあったの?」

 梨奈は、私の顔を、目を見る。

 いつもは穏やかな瞳が今は私の心を見透かすような鋭い光を放っている。

「…………ごめん。心配してくれるのは嬉しいけど……」

 私がそれだけを言うと、梨奈は小さく「そう」と呟いた。

「じゃあ、夏樹ちゃん。私たちはそろそろおいとましようか」

「え? なんで? まだ、全然話聞けてないじゃない?」

「それでも。好奇心で聞いちゃいけないこともあるの。それに……多分、私たちじゃ力になってあげられないと思う」

「そんなの聞いてみなくちゃわからないでしょ」

「夏樹ちゃん! ……私たちは『あの時』他の人に何かしてもらいたかった?」

 その一言で夏樹は意気消沈する。

「……わかった」

 それからの二人の動きはすばやく、あっという間に片付けをしてしまった。

「それじゃあね。急に押しかけちゃってごめんなさい」

「ううん、ありがと」

 部屋を出て行こうとする二人をドアの前まで見送りにいく。

「……涼香。一ついい?」

 私がドアを開けて、二人を送り出そうとすると、夏樹が口を開いた。

「さっき、涼香が隠した紙、ごめんなさいって書いてあったよね?」

 珍しく、真面目な顔をしている。

「うん……」

 やっぱり気づいていたらしい。この分じゃ多分梨奈も気づいていたと思う。その証拠に、夏樹の袖を引っ張っている。

「梨奈、これだけは言わせて。えっと、おせっかいかもしんないけど言っとく。確かに、あたしたちには何があったかはわかんない。事情を知らないあたしが軽々しく言うことじゃないかも知れないけど、でもね、お互いの気持ちをぶつけ合わなきゃ出ない答えってあると思う」

「夏樹ちゃん……それって、『あの時』の……?」

「そ、そういうわけじゃ……と、とにかく、その朝日奈のごめんがどんな気持ちからかはわからないけど、涼香も朝日奈に自分の素直な、正直な気持ちを言えばいいと思うよ」

 夏樹の言葉に私はハッとした。まさか、梨奈からならともかく、夏樹からこんなことを言われるとは。

「それと、あたしたちは涼香と朝日奈の友達なんだから、何かあった時は遠慮なくいってよね」

「そうだよ涼香ちゃん。涼香ちゃんが話したくないなら無理聞こうなんてしないけど、今回のことじゃなくても、私たちで力になれることならいってくれていいんだからね」

「あ、ありがとう」

「あたしが言いたかったのはそれだけ。いこう、梨奈」

「うん、じゃあね涼香ちゃん」

 去っていく二人を見送りながら、私は夏樹に言われたことを考えていた。梨奈の言う「あの時」がなんなのかは知らないけど、あの二人にも、私の知らないことで何かあり、それを乗り越えたからこそ、今の二人がある。そして、その「何か」を解決したのは多分、お互いの気持ちをぶつけ合うということだった。

 身近な相手に素直な気持ちを伝える。簡単そうに思えるけど、すごく難しい。でも、とても大切なこと。

 あの二人には、できた。

 今の私にできる……のかな?

 せつなの「好き」に対して、答えが出ていない私に、せつなと真っ向に向き合うことなんて。

 そんなこと、今はまだわからなかった。

 

 

 翌日、昼食を取り終えた私は、寮の周りを散歩していた。

 部屋で色々と考えたいことはある。でも、部屋にいるとどうしても、せつなの、あの時のせつなのことを思い出してしまう。あれから、二日たっても、部屋にいるとほとんどそれしか頭に浮かんでこない。

 だから、少しでも気分転換になればと思って散歩をしてみた。

 でも、なにも変わんない。

 どこで、何をしていても、せつなのことが頭をよぎる。

 今こうやって散歩していても、せつなに付き合ってこうやって散歩したなぁとか、考えてしまう。

 そして、そのたびに頭から振り払った。

 考えたいはずなのに、その考えたいことが私を苦しめる。私はそれが嫌で目を背け、逃げている。

「はぁ…………」

 ため息をついて立ち止まった。今日っていうか、この二日で何回目のため息だろ。

 寮まであと少し、部屋に戻ればまた昨日みたいに、部屋で悶々と頭を悩ませることになる。それは避けたかった。

一人で部屋にいることは嫌だけど、誰かと一緒にいたいとは思えない。こんな時、夏樹みたいに部活に入っていれば、それに打ち込むことで多少は気分が晴れるんだろうか。

 こんな調子じゃ、何やってもせつなのことを考えちゃいそうだけど。

(気持ちをぶつける、か……)

 それには、まず私の気持ちに整理をつけ、心の中をはっきりさせておかなければならない。頭に浮かべては逃げている今の私にできるとは到底思えない。

 私はとぼとぼと、寮に向かって歩き出した。

 今の私ほどとぼとぼという言葉が似合う人はいないかもしれない。

 眩しい夏の日差し。

 それは、地にあるものすべてを照らしてくれるのに、私の心の中までは照らしてくれない。

もっとも、私自ら心の中にその光を遮る雲を作っているのかもしれないけど。

「え…………?」

 寮の入り口がはっきり見えるところまでくると、私はある人を見つけた。

 動悸がする。

私がその人に気づくのに少し遅れて、その人も私に気づいた。

 おいで、と手招きしてくる。

 何で?

 どうして?

 真っ白になった頭のまま、その人へと足を向ける。

 体が少し震えている。

「こんにちは、友原さん」

 そこにいたのは、せつなのお姉さん。

朝日奈 ときなさん、その人だった。

 

 

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