朝日奈 ときなさん……この学校の副会長で、生徒の憧れで、せつなのお姉さんで、せつなの色んな意味で「きっかけ」になった人。

こうして、まじかで見るとやっぱりせつなに似てる。顔立ちはもちろん、体形まで。

……出るとこはでていて引っ込んでるところは引っ込んでて、姉妹そろってうらやましい。

せつなの憧れた長く綺麗なストレートの髪は、触るまでもなくさらさらで一本、一本細やかに映えていて、美しいと言う言葉はこの髪のためにあるんじゃないかって気までしてきちゃう。

「へぇ、ここが、あの子の部屋なんだ。実は入るのって初めてなのよ」

 私たちの部屋に足を踏み入れ、最初発したのはその言葉だった。

 私は、ときなさんにクッションを用意しながらも頭では別のことを考えていた。

 どうして、せつなと一緒に実家に帰っているはずの人がここにいるんだろう。

 ときなさんがこっちにいるってことは、もしかしたらせつなも……

「心配しなくても、せつななら、戻ってきてないわ」

「え?」

 まだ何も言っていないのに、ときなさんは私の心を見透かしたように教えてくれた。

「そんな顔、してたわよ」

「そ、そうですか」

 せつなは戻ってきてない。

 その事実に、私はほっとすると同時にどこか残念な気分にもなった。

 残念?

 せつなが戻ってきてないことが?

 今はまだ会ってどうしたいのかもわからないくせに?

「今日は、あなたに会いに来たのよ」

 ときなさんはそんな私の心情を知る由もなく目的を告げる。

「私に、ですか?」

 嫌な予感が、する。

私に会いに来た、それだけで用件は予想がつく。

「そう」

 私がクッションを用意するまでもなくときなさんは腰を下ろしていた。片手でテーブルに頬杖を突き上目遣いに私を見てくる。私もあわてて、向かい側に座った。

 人を見下ろしながら話すなんて言語道断。

 まして、ときなさんはせつなのお姉さん、失礼なまねをして嫌われるなんてことあっちゃいけない。

「単刀直入に聞くけど、あの子と何があったの?」

 やっぱり。

 しかも、「何か」じゃなくて「何が」事件があったことを前提に話をしている。

「…………」

 私は口を閉ざす。

 あの夜のことは例えときなさん、ううん、誰であっても話せない。

少なくても、せつなともう一度会うまでは。

 黙りあったままお互い視線を合わせようとしない。

 ときなさんも無理に聞くべきことじゃないというのは察しているのか、促してはこなかった。

 そのまま三分くらいたったかもしれない。ついにときなさんが、口を開いた。

「本当はね、こんなこと私が聞くべきこと、聞いていいことじゃない、ってそう思ってる。あなたとあの子の間に何があったのかは知らないけど、それは二人の問題だから私が口を出すべきじゃない、とも思ってる」

 そこで、ときなさんは一旦言葉を区切ってから「でも……」と続けた。

「実家に帰ってからのせつなは、とても見てられるものじゃなかった。これが、本当にあの子なの? って思うくらいに。だから、今日あなたに会いに来たの。……何があったか話してくれない?」

「……見てられるのもじゃなかった……って、せつな、どんな様子だったんですか?」

 ときなさんの質問を無視して、そのことを聞いた。

聞かざるを得なかった。

「……一言でいうなら、悲惨よ。家にいてもほとんど部屋に閉じこもって、夜になるとも電気もつけず、ベッドで泣くばかり。私がどうしたのって聞いても、ほとんど答えてくれなくて、たまに『ひどいことした』とか『涼香に、嫌われた』とか、『もう、あそこに帰れない』とか言って、果ては学校もやめるみたいなことまで言ってきて……見てられなかった」

「本当……ですか?」

 あのせつなが……

「……本当よ」

 想像できなかった。

 せつなが泣いたのは二度見た。

 せつなが風邪を引いて寝込んだときと、おとといの、夜。

 確かに二度の涙は見た。でも、それ以外のせつなはとても強くて、自分の中に芯があって、ときなさんが言うような姿は想像できなかった。

 ときなさんが嘘を言ってるはずはない。

(わ、私が…………)

 途端に、あの夜に感じたような形容しようのない罪悪感がこみ上げてきた。

 私のあの一言が?

 私のあの「怖い」が、せつなをそうまでさせたの?

 そんな奈落の底に落ちたみたいにさせたの? 

そこまで追い詰めたの?

(私がせつなを…………)

 違う! 

そうじゃない。

私はせつなにひどいことなんてしてない。

仕方なかったの! 本当に怖かったの!

いきなりあんなことされたら誰だって、怖いって思う。

思ってしまう。

(だってそれが普通じゃない! 私は……)

私は悪くなんてない。

(でも……でも)

 せつなの姿が思い浮かんでしまう。

 暗い部屋でひとりぼっちで泣いているせつなの姿が。

 実際にそれを見たわけじゃないのに、頭にその光景を思い浮かべるだけで、全身が竦む気がした。

「友原さん?」

 ときなさんの一言で思考の檻から解放される。

「は、はい」

「私ね、あの子がこの学校に来ること、反対だったの」

 唐突にそんなことを言い出した。

「どうして、ですか?」

 突然話題が変わったので、ときなさんの言葉の意味を考えもしないで、そのまま聞き返す。

「簡単に言えば、私の後を追って欲しくなかったから。あなたには言うまでもないかもしれないけど、入学した頃のあの子はひどかったでしょ?」

「え、えっと……」

 出会った頃のせつなは、確かに今とは違って髪も長かったし、人にも自分にも厳しく、そして、盲目的だった。でも、そんなせつなを私は内心クールでかっこいいとも少し思っていた。

「気を使わなくていいわ。……せつながあんな風になったのは私のせいだって、中学生の頃から気づいてはいたけど、私はあの子に何もしなかった。あんなに頑張っていたのに、私からやめなさいとは言えなかった……」

 なんとなくだけど、わかる気がする。目標としてる人から、そんなこと言われたら、どうすればいいのかわからなくなってしまう。きっと、もっと、もっと頑張らなきゃって思っちゃう。

「だから、私はこの学校に来たの。ここなら、距離的なことも、実力のことでも、あの子には無理だって思ったから。……けど、あの子はここに来た。あの子が合格したとき、何でもっとちゃんと反対してなかったんだろうって後悔したわ。これじゃ、また三年間あの子は私の影を追ってしまうってね」

 どこか遠くを見ながら、思い出話でもするかのような表情でときなさんは語る。さっき後悔したと言っていたけど、そこに後悔の色は見えない。

「でもね、今はそんなこと思ってない。せつながこの学校に来てよかったって思ってる。どうしてだか、わかる?」

 優しい目で問いかけてくるときなさんに私はただ首を振った。

「あなたがいたからよ」

「え……?」

「この学校にあなたがいてくれたから、あの子と同じ部屋で過ごし、友達になってくれた。あの子を変えて、ううん、本当のあの子にしてくれた。それだけであの子がこの学校にきてよかったって思える。最近はこっちでも、あの子とよく話すようになったけど、あなたの話をするあの子はとても楽しそうで、嬉しそうだったわ」

 ときなさんの言葉はこそばゆくて、聞いてると、とても恥ずかしくなってくる。多分、今私の頬はりんごかさくらんぼのように赤くなってると思う。こんなこと真面目な顔で言われるもんじゃない。

『ば、ばか! そんなこと真顔で言わないでよ』

 私が以前せつなに、大好きって言った時、せつなはこういった。せつながこの時点で私にそういう感情を抱いていたのかは知らないけど、あの時のせつなもきっとこんな気持ちだったのかもしれない。

 そう考えると口元に笑みが浮かんだ。

「……そんなせつなが、今は見る影もない。嬉しそうに涼香が、ああした、こうした、こんなこと言ったなんて話してくれたせつなが今は、あなたに嫌われたって言って、部屋の中で縮こまって、泣いてる。昔、あの子が苦しんでいた時に何にもしないで、今さら『姉』をしようだなんて虫がいいかもしれないけど、今度も何にもできないなんて、嫌なのよ。だから、もう一回だけ聞く、せつなと何があったの?」

 ときなさんの声にこれまで以上の力がこもった。

 ここでときなさんに話したとしても、多分私やせつなにとって悪いようにはならないと思う。

でも

「……ごめんなさい」

 やっぱり話せない。

ときなさんのせつなへの想いは、すごく伝わってくる。こんなお姉さんがいるなんて、せつなは幸せだ。昔、せつなが言って通りの自慢のお姉さん。

 ときなさんは私の拒否の言葉を聞くと、軽く嘆息をついて「わかったわ」と呟いた。

「……じゃ最後に聞くわね。私は、あのこの様子から思うに、今回の事で悪いのはあの子のほうだと思ってる」

 と、また急に話題を変える。

「そ、そんなことは……」

 ない、とはっきりいえない自分が半分うらめしく、半分情けなかった。

「いいの。そう解釈した上で聞くけど、あなたはせつなその『ひどいこと』をされて、あの子がいうように、あの子のことが嫌いになった? もうこの部屋で一緒に生活なんてしたくない? もうあの子と会いたくなんかない?」

 そのセリフに頭の中が爆発した。

「そ、そんなことはありません! せつなを嫌いになったりなんて、そんなこと絶対にない!」

 今度ははっきり言えた。

 確かに、ファーストキスは奪われたし、胸は触られるしで、嫌いになるには十分のことはされたかもしれない。でも、それに対する恥ずかしさや戸惑い、怒りはあっても、せつなのことを嫌いになるなんて、そんな考え、生まれもしなかった。

 せつなは私の親友。それは私の中で変わることはなかった。

「あ、す、すみません……怒鳴っちゃって……」

 激情に駆られて、つい熱くなってしまったけど、ときなさんは、私の態度に不快感を示すどころか、逆に、

「ふふ、いいの。……ありがと」

 笑った。

「あ…………」

 その笑顔を見て、私はハッとなった。

(せつなと、おんなじ笑い方……)

 わかった。

 この人は、ときなさんは、本当は今の言葉を、私がせつなのことを嫌いじゃないっていう言葉を聞くために、そのためだけに今日ここに来たんだということが。

(なんだ……そうだったんだ)

 そのことを理解した瞬間、急に肩の力が抜け、私はときなさんから視線がはずせなくなった。

そして、ときなさんにどうしたの、と聞かれるまで、私はときなさんを、ときなさんに重ね合わせたせつなを見続けたのだった。

 

 

 ときなさんは私と話終えるとすぐに玄関へと向かった。私もそれについていく。

「あの、もう帰っちゃうんですか?」

「ん? どうして?」

「あ、えと、友達とかに会っていかないのかな? って」

「会いたくないわけじゃないけど、時間もないし。今日は向こうの友達と遊びにいくって言って来たから、あんまり遅くなれないの」

 じゃあ、ときなさんは本当に私に会うためだけに、私の「嫌いじゃない」を聞くために来たんだ。

 ほんと、いい「お姉さん」だ。

 せつながうらやましくなるくらいに。

「それじゃ」

「あ、あの、ときなさん」

 扉を開けて出て行こうとするときなさんを呼び止める。

「なにかしら?」

「……せつなに、伝えて欲しいことがあるんです」

「えぇ」

「……待ってるから、って。せつなの帰る場所はここだよって。私はせつなに会いたいんだよって、そう、せつなに伝えてください」

 せつなにされたことを許したわけじゃない。正直に言えば怒ってる。会えばまた何かひどいことを言っちゃうかもしれない。でも、それでも、私はせつなに会いたい。会って話をしたい。

ここで、私たちが四ヶ月一緒に過ごしたこの寮で。

 ときなさんは大きく「うん」と頷いた。

「必ず伝える。でも、そんなこと言われちゃ、何があってもあの子をあなたの所に連れてこなきゃね」

 ときなさんは苦笑をしながら言った。

こういっているけど、多分私が言うまでもなく、ときなさんは私の嫌いじゃないって言葉を聞いた時点で、何が何でもせつなを連れて帰ってくるつもりだっただろう。それこそ、首に縄をつけてでも。

それじゃ、またねと、ときなさんは帰っていった。

私もそのまま寮の中には戻らず何をするでもなく外へ足を向けた。

暑い。

当然の感覚なのに、この数日は忘れてた気がする。

空を見上げながら、深呼吸をした。

両手を広げて、全身にめいいっぱい陽射しを浴びる。

今度の陽射しは、数時間前とは違い私の心の中まできちんと照らしてくれるような気がした。

 

 

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