風が頬を撫でる。

 真夏の陽射しが照りつけるこの場所では、とても心地いい。

 私は、寮の屋上にいた。端のフェンスの所で景色を見ている。三階建ての屋上だけあってそれなりに見晴らしはいい。右手には校舎が見えて、下を見れば寮の周辺にある木々が青々とした葉っぱをつけ、風に揺られている。空には大きな入道雲が綺麗。寮の入り口方面はあえて見てない。

 せつなは今日、帰ってくる。一昨日ときなさんが連絡をくれた。

 現在は、一時半。せつなが帰ってくるちゃんとした時間はわからないけど、ときなさんはこれくらいだといっていた。せつなが私と会うのを嫌がってこっちに戻ってこない可能性もあるけど、ときなさんは言ってた通り何が何でも私の前にせつなを連れてきてくれると思う。

 問題はここに来てくれるか。

 なんでこんな所で待ってるかというと部屋で会いたくはなかったから。部屋じゃどうしてもあの事を意識しちゃう。私はもちろん、せつなは特にいい気分じゃないと思う。

それに、ありえないとは思うけどまたいきなり変なことされたらたまったもんじゃない。

屋上に来てと、ときなさんに伝言を頼んだわけじゃなくて、部屋に一枚置手紙をしてきただけ。例の「ごめんなさい」の紙のごめんなさいに二本線を引いて、隣に屋上に来てと書いておいた。

別に屋上である必要はないけど、とにかく絶対に二人きりになりたかったのでここに来てもらうことにした。この季節の、しかもこの時間にわざわざ屋上に来る人もいないだろうし。

せつなが置手紙を見て来てくれるかはわかんないけど、そこはもうせつなのことを信じるしかない。

 来てくれるまでいつまででも待つつもりだけど、できるなら早く来て欲しい。今日はそんなに暑くないとはいえ、太陽は照ってるんだから日焼けとかしたら嫌だ。

 そんな風に少しだれ始めると、後ろからカチャという控えめな音がした。

 一瞬体がビクッと震える。

 頭の中をせつなとの光景が駆け巡っていく。

私はぎこちなく振り返り、視線を音の方向に向けた。

 金縛りにも似た感覚が私を襲う。

 視線の先、屋上の入り口。

 

 そこに、一週間ぶりのせつなの姿があった。

 

 

 

 胸が、ドキドキしてる。

 体中が水の中にでも放り込まれたかのような重さにとらわれる。

 せつなはドアを静かに閉めて、ゆっくりと、本当にゆっくりと私に向かってきた。その間私に視線を向けることはない。

 駆け寄りたい衝動も起こったけど、体が動かなかった。やっぱり私もまだせつなのことが怖いのかもしれない。

 少し、痩せたようにも見える。気のせいなのかもしれないけど、一週間前より心なしか小さく見えた。

 嬉しさと不安が私のなかでせめぎあう。。

 私の目の前まであと少しという所でせつなは止まった。距離にして二メートルくらい。話をするのに十分な距離とはいえない。これが今のせつなの限界なんだと思う。

 私は大きく一歩近づいた。

 せつなは離れはしなかったけど、私を目の前にしても私のことを見てくれない。

「……おかえり。ひさしぶり、だね」

 さっきまで会ったらまず何を言おうとか、色々口上とかも考えてたのに、実際にせつなを目の前にしたら全部どっかに吹っ飛んでしまいこんなセリフしか出なかった。

 胸が詰まってしまい、言葉が出てこない。

「…………うん」

「元気、だった?」

「…………うん」

「…………そう」

「…………うん」

 私の言葉はまったくせつなに届いていない様だった。心が磨耗しきってしまっているかのようで、ここにいながらいなかった。

このままじゃ、私の気持ちを伝えるどころじゃない。

 まずはどうにかして私のことを見てもらわなきゃ。

 私は両手でせつなの右手を取った。

せつなの体が震える。

 細長くて、たおやかで、夏だというのにちょっと冷たい。これが、せつなの手。

 私の胸を、触った手。

「あの、ごめんね」

「………………どうして、涼香があやまるの?」

 私の不可解とも言えるセリフにせつなはやっと別の反応をした。そして、ようやく顔を上げてくれた。

「だって、怖いだなんていっちゃったから。一週間もあやまれなくて……ごめん」

 言い終わると同じくらいに手を振り払われた。

「……らないでよ」

「…………………」

「そんなことで、あやまらないで! 私は言われて当然のことしたのよ!? もっとひどいこといわれても仕方ないことしたの! 涼香の気持ちも無視してあんなことをしたの! それなのに……どうして、どうして涼香の方があやまるのよ!?

 叫ぶせつなを私は複雑な表情で見つめる。

 そう言われても、私はせつなに私の正直な気持ちを伝えようって決めちゃってる。このごめんだってその一つ。

 私はもう一回せつなの手を取った。

「それでも……ごめん」

 せつなにここまで言わせてるのも、私のせいだと思うと胸が痛む。そりゃ全部私が悪いって訳じゃない、っていうか、八割はせつなのせいかもしれないけどこんなせつなを見てると自然と口から出てしまう。

「あやまらないでって言ってるでしょ!」

 今度も勢いよく手を振り払われる。

「何よ、涼香は全部自分が悪いって思ってるの? 私にキスされたのも、あんなことされたのも、全部自分が悪かっただなんて思ってるの」

「そんなこと……」

「思ってないでしょ!? 怒ってるんでしょ!? 本当はもう、私のことなんて見たくもないんでしょ! なら、はっきりそう言ってよ!」

 ヒステリックに叫ぶせつな。

 それから次の言葉までには時間があった。

「……どうせ……どうせ……私の、こと……なんて、もう嫌い……なんでしょ……」

 心の奥底から搾り出すかのような声。

 耳に、痛い。

(せつな……泣いてる……)

 しゃくりあげながら、小刻みに体を震わせている。

 こんな風に取り乱すせつなを見るのは初めて。完全に自分の殻に閉じこもってしまってる。

ときなさんの言ってた通り、とても見てられるものじゃない。見てるだけで、胸が苦しく、つらくなってくる。

 私は、そのつらさに耐えられなくて、

 せつなのことを、

「…………っ?!!

抱きしめた。

 ちゃんとお風呂にも入っていないのか、いつものシャンプーの香りがしない。

でもその分、せつなの匂いがする気がした。

「……怒ってる。急にあんなことされてびっくりしたし、言われたとおり怒ってるよ」

 突然の抱擁にパニックになったのか、せつなは私の腕を振りほどこうとした。私は抱く腕に力を込めて、せつなを離さない。

「……でも、でもね、せつなのこと嫌いになったりなんて……してない。せつなのことは今でも好き、だよ」

 この言葉を伝えたかった。私の口から直接。私の答えを伝える前に。

 せつなの抵抗が止まる。

「…………うそ」

 その声にこもるのは多分、九割の不安と一割の希望。

「ほんと」

「うそっ! ……気休めなんて、やめてよ」

 今のせつなには私の言葉すら、ううん、私の言葉だからこそ信じてもらえない。

 こうなったら……

「うそじゃない……嫌いな相手にこんなこと、できると思う?」

 今から私はすごいことをしようとしてる。嫌、というわけじゃないけど、こんなことしようとするなんて考えもしなかった。

 私は抱いてる腕を解き、肩を優しく掴んだ。

 せつなの体がビクってなる。

せつなの顔を正面から見つめた。目いっぱいに涙がたまっていて今にもあふれ出しそう。けれど、泣いていたってせつなの持つ魅力が衰えることはない。

私は、せつなを安心させるように微笑むとゆっくりと瞳を閉じ、

 

せつなの左頬にそっと口づけをした。

 

 本当に、一瞬。触れたか触れないか私でもわからないくらい。

でも、確かにした。私からせつなに、初めてのキスを。

 顔を離すのと一緒に体もせつなから一歩離れた。

(……は、恥ずかしすぎ……)

 ほとんど突発的な感情だったからするまではそんなでもなかったけど、実際にしてしまうと恥ずかしいなんてもんじゃない。

もう、こっちがここから逃げちゃいたいくらい。

 せつなは自分が何されたかわかってないのか、呆然としてる。

 私には唇にしたくせに、自分がされるとなるとほっぺでこんな風になっちゃうなんて。もしかして、何が起こったのかまだ理解できてないのかも。私が最初にされた時そうだったように。

「せつな」

 せつなはあの時の私同様名前を呼ばれたことで我に返ったのか、「……う、うん」と頷いた。

「せつなさ、私に『好き』って言ってくれたよね」

「………………」

 さっきのキスで、嫌いになってないってことを信じてくれたのか、あるいはまだ頭が働いてないのか、私の言葉に妙な癇癪を起こしたりしなかった。

 今なら、私の話もちゃんと聞いてもらえると思う。

「……私ね、ときなさんにせつなの様子聞かされた日からずっと、そのこと考えてた。せつなが私に伝えてくれた『好き』ってなんだろうって。私はそれにどう答えたいんだろうって。私は、せつなのことどんな風に思ってるんだろうって。ずっと、それこそずーっと考えてた」

「…………うん」

「せつなのこともいっぱい考えた。こんなことしたなとか、こういうことが好きだったなとか、せつなと一緒にしたこととか、せつなと話したこととか、あの時にはせつなはどんなこと思ってたんだろうとかって考えたりした。そうすれば、せつなに少しでも近づけて、せつなの『好き』のこともわかるかなって思ったから。でも……」

 大丈夫言える。

 想いは言葉にして伝えなきゃ、意味がない。

 伝えなかったら最初からなかったのと同じになっちゃう。

 私がせつなにどう思われてるかわからないように、せつなだって私にどう思われてるかわかんない。

 だから私の想いを言葉にしなきゃ。

 それは私がせつなに教わった大切なこと。

「でも……わからなかった……何回考えても、いくら考えても……どんなに、せつなのことを考えたって、せつなの『好き』はわかんなかった……」

「…………………………」

 長い沈黙のあとせつなは小さく「……そう」とだけ呟いた。微かに涙声だけど、表情は泣いているというよりも、あきらめているといった感じだった。私の答えはせつなの予測していたものだったんだろう。

 ここまでは。

「……だから、だからね。待ってて……欲しい。私がせつなの『好き』のことをわかるまで、その答えが出るまで、待ってて、欲しいの。いつになるかもわかんないけど、それまでは、せつなと友達で、親友でいたい。もしかしたら、今まで通りじゃいられないかもしれないけど、今はまだせつなと一緒にいたい」

 すごくわがままなこと言ってるのはわかってる。

安易にせつなの『好き』を受け入れるのは嫌だけど、せつなと離れるのも嫌。

軽蔑されてもおかしくないくらいに自分のことしか考えてない。

ほんと、自分勝手だけどこれが今の私の答え。

私はおそるおそるせつなの顔を見て、

……びっくりした。

「……ひっぐ……ひっく……」

 なんと、せつなは泣いていた。

「ちょ、ちょっと…………え?」

 「なによそれ!」とか言われて、怒られるんならともかく泣かれるなんてまったく考えてなかったから、激しくうろたえた。

 ど、どうすればいいんだろう。

 さっきみたいに泣いてる理由がある程度でもわかってれば対処の仕様もあるけど、今は何でせつなが泣いてるのかさっぱりわかんない。

 しかも気のせいか、嬉しそうにも見える。

「ね、ねぇ、な、なんで泣くのよ?」

「……だ、だって、キスしてくれたのもそうだけど……ひっく……絶対に嫌われたって思ってたのに、そんな事、一緒にいたいだなんて、言ってくれるなんて……っん……全然、思って、なかったから……」

 その言葉は嗚咽交じりなのに歓喜の色が混じっている。

「で、でも、私の答えが出るのなんて、ほんといつになるかわかんないし、そ、それに答えが出たとしても、そうなったら、せつなのこと、嫌い……にはなんないだろうけど、あの部屋で一緒にいたいなんて思わなくなるかもしれないんだよ!?

 あぁ、もう。せっかくせつなが喜んでくれてるのに、どうして私がそれを否定するようなこと言うのっ。

「それでも……いい。一週間でも、一日でも長く涼香と一緒にいれるなら……」

 その台詞に顔が紅潮していくのを感じた。

 こんなこと言われちゃ、もう何にも言えない。

 私はコクンと頷いた。

「……わかった」

 私の答えは本当はただ逃げているだけなのかもしれない。

 けど、せつなはそれでもいいと言ってくれた。

「せつな」

 名前を呼ぶのと一緒に手を差し出した。

 まだ泣き顔のせつなに「?」が浮かぶ。

「握手」

 普通に考えれば握手するような場面じゃないかもしれないけど、これからいう言葉はせつなに触れて言いたかった。

 せつなは少しだけ戸惑ったあと私の手を取ってくれた。

 私はそれをもう片方の手を重ねて優しく包み込む。

「……色々あったよね。せつなと会ってから。嬉しいこともつらいことも……あんなことされるなんて考えもしなかったけど、でもやっぱり楽しかったし、せつなと会えてよかった。ほんと、今までありがと。それと……」

 

 私は想いを伝える。心の底からの笑みを浮かべて。

 

「これからもよろしくっ」

 

 せつなも答える。

 

「……うんっ!」

 

 私と同じ曇りのない笑顔で。

 

 

 

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