五話〜〜rencontre〜〜

 

 

 

「涼香ちゃん……もう怖がらなくていいからね。私が守ってあげるから」

 

「涼香ちゃ……やっぱ涼香でいっか、もう家族なわけだしね」

 

「うっん……」

 私は今夢を見ているらしい。

 いや、夢と言えるのかもわからない。

 断片的で、おぼろげで、すべてに霞でもかかったようなのに、なぜか妙に現実感を感じさせる。

 こんな風に夢を見るなんて初めて。

 体はそこにある気がするのに動かすことすらできず、記憶を辿るように断続的に現れる光景を延々と見せられ続ける。

 

「涼香、お腹すいたーご飯作ってー」

 

「涼香、疲れたーマッサージしてー」

 

 それがいい記憶だろうと、そうでなかろうと、お構いなしに流れていく。私はそれに目をそらすことも、耳を塞ぐこともできない。

 私にできるのはただ見ることだけ。

 

「涼香ッ! 少しはそこで反省しなさい!

 

「涼香、そんな風に自分からあきらめたら、何も変わらないわ。遊んで欲しかったら、一緒に遊んで欲しい。友達になってほしかったら、友達になってほしいって自分で言わなきゃ。あんたがそんな風につまんない顔してたら相手だって楽しい顔できないでしょ?」

 

 繰り返されていくあの人の言葉、記憶。

 甘く、蜜に溢れていた、日常。

 私が一番幸せだった時間。

 

「涼香、あの……」

 

(…………っ!!?

 それまでどこか無感情に見ていられた私は「この光景」を前に初めて動揺した。

 私は知ってる。この後あの人がなんて言うのかを。いつも何につけても無頓着で、無節制で恥ずかしいって言葉が辞書にないようなあの人が、休みの日だと平気で下着で過ごしちゃうようなあの人が、唯一といっていいほど、恥じらいとためらいと戸惑いを見せた言葉。

 どんなに忘れようとしても忘れられるわけのない言葉。

 私が一番忘れてしまいたい言葉。

 私の幸せが壊された言葉。

 

 

「私……結婚する」

 

 

 

(なんで、あんな夢みたんだろ?)

 窓辺で頬杖をつきながら私はそのことを考えていた。いつもは眠気を誘うバスの走行音も微妙な振動も今は気にもならない。

(ずっと、ずっと忘れていたかったのに)

 何で、今さら。

「……ずか、涼香、聞いてる?」

「………えっ? あ、ごめん。考え事してた」

「……なんか今日は朝からぼけっとしてるわね。誘ったのを涼香でしょ。しっかりしてよね」

 せつなと仲直りしてから一ヶ月近く。今じゃもうほとんど一学期の頃と変わらない関係に戻れていた。例の「好き」に関してはまだ全然保留だけど、せつなは何も言ってくることはない。

 せつなからしたら当たり前だろうけど、ね。

今日は八月三十一日、夏休み最後の日。この日はせつなとは街へ遊びに行く約束をしていた。約束っていっても昨日私が唐突に言い出したに過ぎないけど。

今はその街へ向かうバスの中。バスはそろそろ行程の半分くらいで、窓の外は自然の風景から人工的な建物へ変わっていく。

「で、何考えてたの? 明日のテストのこととか?」

「悪いけど、私はせつなみたいに真面目じゃないから……今日見た夢のこと。ちょっとやな夢みちゃったから」

「ふーん、どんなの?」

「……昔のこと」

「昔って……あっ……ごめん」

 それまで興味ありげにしていたせつなが急に少し申し訳なさそうになった。体ごと私に身を寄せていたのを自分の座席に戻してシュンとなる。

「いいよ、別に」

 せつなに昔、この学校に来る前や、そのさらに前のことをきちんと話したことはないけどたまに断片的に話すことはあった。そのたびに、私がすぐに打ち切ったりしてたので、せつなはいつしか私の昔のことになると必要以上に遠慮しようとするようになっていた。

 必要以上に遠慮されても困るけど、思い出したくないのは事実。

 あの、楽しく、甘く、幸せで、そしてなにより、

 地獄だった日々を。

「そ、そんなことよりせつなさっきなんていってたの?」

 私はブンブンと首を振って「昔」を振り払うと、できる限りの笑顔でせつなに話しかけた。

 せつなの言うとおり今日は私が誘ったんだから、笑顔でいなきゃ。私が仏頂面してたらせつなだって楽しい顔できない。

 私はそう思うと夢のことを忘れるため、せつなとの会話に没頭するのだった。

 

 

 バス停に降り立つとまず周りを見回してみる。

そんなに大きな建物があるわけでも、ものすごい人ごみになっているわけでもないけど駅近くで夏休みの最終日ともなれば、それなりにがやがやとうるさく都会の喧騒といってもいい。

「さて、と。どうしよっか?」

 人の通りから離れて落ち着いたところに来ると、せつなに問いかけた。

「どうしようって、なにも考えてないわけ?」

「うん、全然。今日はせつなといたかっただけだから。思い出作りっていうわけじゃないけど、今日はなんか寮でみんなとだらだら過ごすより、せつなと二人でぶらぶら遊びたかったの。別に何かしてなくてもせつなといればそれだけでそれなりに楽しいしね」

「そ、そう……相変わらず無計画ね。じゃ、じゃあ、どっかその辺でお昼でも食べながら考えましょうか」

 せつなは一瞬頬を赤らめると、私から顔をそらして歩きだした。

「おっけ」

 私はそれ気づいて少しおもしろいなと笑ってせつなについていった。

 当面の予定が決まったといっても、時刻は十二時をまわったところ。軽く周辺を歩き回ってみたけど、どこもかしこも人がいっぱいですぐには入れそうにない。しかも、夏は終わりに向かっているとはいえまだ八月。晴れてることもあって正直、こうして意味もなく歩くのは結構つらい。

「せつなー、ご飯後回しでもいいからどっか入って涼まない? 汗かいちゃいそうでやだし」

 街中を当てもなく歩いていたけど、このまま歩きまわっても埒が明かないと思った私はせつなに提案した。

「そう、ね。じゃあ本屋行っていい?」

「本屋ぁ? そこの信号渡る前にあったじゃない。もぅ、そのときに言ってよ」

 暑さのせいで微妙に不機嫌になってる私は普段ならスルーしてしまうようなことにも不満を言ってしまう。

「まぁ、いいや。いこっか」

 せつなは私に文句を返すこともなく私たちは来た道を引き返していく。

 そして、交差点に差し掛かると

「あぁ、信号変わっちゃう。せつな走ろっ」

 そう言って小走りに走り始めた。

 

 今日は朝からやな夢みちゃって少し体を動かしたい気分だったし、暑いから早くクーラーの効いているところに行きたかった。そんな軽い気持ちで走りだした私はお世辞にも周りが見えているとはいえなかった。っていうか、むしろせつなを促すために後ろを向いてた。

 

「涼香ッ! !

 だからせつなから注意されたときにはすでに対処不能な状態だった。

「え?」

 

 ドンッ!

 

「きゃぁ!」

 聞こえたのは軽い衝突音と女の人の小さな悲鳴。

 その直後にズサっと体が地面をこする音。

 視界がいっきに暗転した私は何が起こったか理解できない。

(……いっつ〜……)

 目を開けるとコンクリートの地面と女性の腕らしきものがうつった。

 どうも地面にうつぶせに倒れてるみたい。しかも、人を巻き込んで。

 とにかく起きなきゃ。

 まずはそれだろうと手を動かそうとすると右手が不思議な感触を捉えてるのに気づいた。

 少し動かしてみる。

「ひっ……!

 なんだろ。やわらかくて、ふにっとしたマシュマロみたいな手触りで、弾力があって、どこか知ってるような感触。

 正体を確かめようともう少し探ってみる。

 フニフニ。

「や、やめて……ください……」

 すると、くぐもった声でそんな言葉が聞こえてきた。

 ま、まさかこれって……

 その悲鳴にも似た泣き声で、私は今右手にあるものが何なのか大体察した。

 ものすごーく気まずく思いながらゆっくりと右手をそれから外すと、押し倒してる女の人に触れないように丁寧に地面を探し当てる。

 ようやくコンクリートの固い感触を手のひらに感じると両手を使って、体を起こした。

(や、やっぱり……)

 まずさっきまで右手に掴んでいたものを確認すると、恐る恐る視線を上げた。

「………ひっぐ………」

 私の目に飛び込んできたのは、見ず知らずの私に胸を触られ瞳いっぱいに涙を溜めて顔をゆがめる女の子の姿だった。

 

 

4-4/5-2

ノベルTOP/S×STOP