ゴーーっとバスの走行音が聞こえる。明るい陽射しの中、私は青いイスに美優子と並んで座っていた。車内にはほとんど人がいなくて、閑散としていた。
「…………………」
車内が静かなのと同様私たちも話そうとしない。私は、あちこちに視線を泳がせながらたまに美優子を見る程度だし、美優子は美優子で、調子悪いのか、私と二人なのに緊張してるのか、ほとんどうつむいたままで私が見てることに気づくとビクッとしたように体を震わせる。
(ねむ…………)
この微妙な振動、暖かな陽射し、どっちも眠気を誘うには十分だし、何より昨日はほとんど寝てない。
私は無意識に左頬に手をやった。
(まだ、痛い気がする)
そこは昨日、あの時にパニックになった美優子から思いっきり殴られたところで一夜明けたいまでも気のせいではあるんだろうけどヒリヒリする気がした。
まぁ、心が痛いってことで。
(それにしても、グーで殴らなくてもいいのに……)
さすがにあんな状況だったせいか普段の美優子からは想像もできないほどにいいモノをもらっちゃった。私がせつなに「された」ときはこんな激しい抵抗どころか声すらまともに上げられなかったのに。
しかも、その後には美優子の叫び声を聞いた人がワラワラと集まってきて、しまいには寮長さんが合鍵まで持ってきて部屋に皆が入ってくる始末。
寮の人たちは美優子に好意的な人が多くて美優子がパジャマをはだけさせたまま梨奈や、せつな、寮長さんに泣きつくと、彼女たちは白い目で私を見てきた。私はしどろもどろで説明したけど、私の主張が簡単に受け入れられるはずもなくて、私は別室で寮長さんに事情聴取、美優子は梨奈が引き取っていった。
寮長さんには一応の納得をしてもらったけど部屋に戻ってもせつなが色々聞いてくるし、とても美優子がいなくなったとはいえベッドに寝る気も起きなくて、いつかのように入り口のロビーでぼーっとしていたら朝になってしまった。
で、そんな状況だったのになんで今美優子と二人きりなんかでいるのかというと、梨奈が一回ちゃんと話をしてみろって言ったから。周りは微妙に心配そうな目で見てきたけど、美優子もそれでいいといったのでこうしているわけ。
ま、梨奈が最後に「二人きりだからってまた変なことしちゃだめだよ」なんていってたのが気に食わないけど。
するわけっていっての。
でも、話しろっていっても美優子がこんなので何を話せばいいのよ……
「美優子」
と、試しに呼んでみても。
「は、はいっ!?」
と、裏返った声を返される。
話づらいことこの上ないけど、よく考えると昨日のことをちゃんとあやまっていなかったのを思い出す。
「昨日は、ごめんね」
「い、いえっ。わたしこそ早とちりしてすみませんでした……」
「あ、誰かから聞いた?」
「はい、種島さんが多分そうなんじゃないかって。そうですよね、友原さんがそんなことするわけないですよね」
「さぁ? どうだろうね」
美優子はあまりに自分が悪かったように言うので、ちょっといじわるにそんなことをいってみた。
「え…………?」
すると、美優子は怯えたように体をすくませると私から離れるようにずっ、っと体を窓側へ寄せた。
「じょ、冗談だってば。そんなに本気で怯えないでよ」
「そ、そうですよね……あの、ところで友原さん」
「なに?」
「あの、怒ってないんですか…………?」
美優子は少しまごまごとすると意味不明なことをいってきた。
「? 怒るって? 私が? 美優子に? どうして?」
逆ならわかるけど、私が美優子に怒りを感じる理由がどこにあるんだろう。
「その、昨日のこともそうですけど、前にもこんな風にわたしが調子悪くて学校に来たとき、友原さん、そんな調子で学校にくるなって、怖い顔したから……」
「え、いや、ね、確かにそんなこと言ったかもしれないけどさ……って、もしかして昨日ロビーで勉強してたときに私が来てから急に顔が赤くなったのって私に怒られるのが怖かったから……?」
「えっと……あの……」
美優子は言葉にできないみたいだけど、反応を見れば一目瞭然。
美優子の中の私って、そんな凶暴っていうか怖いイメージだったの? だとしたら、ちょっとっていうかかなりショックかも。
「……クス」
でも、そのことに気づくとなんか肩の力が抜けてしまった。
私が美優子の気づかれないよう心の中で笑っているとバスが終点である駅の名前を告げる。
「あ、降りなきゃね」
私は胸にたまっていた重苦しい息を吐き出すと美優子の手をとってバスを降りていった。
美優子の家には駅で乗り換えるのが近いらしくて、私はそこまではとバスターミナルを美優子に案内されるままについていった。
「まだ、ちょっと時間あるね」
バスは十五分くらいの周期みたいでまだ十分ほど時間があったバス停周辺には時間的に街の外側へ行く人が少ないのか人がほとんどいない。
バスが来るまでの時間は、ターミナルの待合室で美優子と雑談をして過ごした。相変わらず美優子が少しビクついたようにするのは気になったけど、原因はわかってる分大分気が楽。
「美優子、さっきはちゃんと言えなかったけどさ」
「はい?」
「私が前に美優子のこと、怒ったっていうか怖い顔したっていうのはね、怒ったんじゃなくて、ただ美優子のことが心配だっただけだよ」
「そう、なんですか……?」
美優子は様子を窺うように私の顔を覗きこむ。
なんか、あんまり信じられてなくない? あんなことがあった後じゃ信用なくしてても仕方ないけど。
「あれはね、調子悪いんだったら無理して学校なんかに来ないで、ちゃんと治して欲しいってことで、えぇと……」
うーん、次に言うことはあるんだけど、これを真顔でいうっていうのも……。でも、いつまでも美優子の私へのイメージが怖いってままじゃやだもんね。
「美優子はさ、もう私の大切な友達なんだから、美優子が学校や寮に来てくれないと寂しいよ? でもね、それ以上にその大切な友達がつらそうだったりしたら、嫌に決まってるでしょ。だから、無理して一日くるよりちゃんと治して一日でも多く会いたいの」
我ながら恥ずかしい上に要領の得ない言葉だなと思いつつも、正直な気持ちを伝えてみた。
「大切な、友達……?」
「そ、美優子といるのって楽しいしね。でも、出来れば繰り返さないで欲しいな」
美優子が噛み締めるように言うもんだから、こっちの恥ずかしさも倍増。そこは流してよ。
妙な空気が流れて二人で黙っていると美優子のちょっとした異変に気づいた。
「あれ? 美優子、また熱でも出てきた? 顔赤いよ」
「そう、ですか?」
美優子は自覚ないのかほぅっと赤くなった顔で首をかしげた。美優子は元々肌が白いから赤くなるとすぐわかる。
「うん、ちょっとごめん」
私は、手を私と美優子のおでこにやるとん〜っと熱を確かめてみる。さっきの「大切な友達」発言のおかげかいつものようにビクついたりしない。
「そう、でもないかな? 昨日より熱くないような……でも、やっぱり一応家までついていこうか?」
「あ、い、いえっ。バスですぐですし、降りてからも近いですから大丈夫ですよ。あ、丁度バス来ましたし」
美優子は少し慌てて席を立って待合室から出て行く。私はそれに少しハテナを浮かべながらついていった。
「じゃあ、美優子しっかり休んで、ちゃんと元気になってから来てね。今度こんなことあったら怒るかもよ?」
「はい。友原さん、今日は本当にありがとうございました」
私の冗談を真に受けることもなく、バスの搭乗口前で深々と頭を下げると美優子はバスに乗り込んでいった。
私はバスが発車するまで遠巻きに見て、発車すると美優子に向かって手を振った。美優子もそれに気づいて手を振り返すと、私は軽くなった心で自分も寮へと帰っていった。
私は今の生活は楽しいって思う。
友達も、親友もいて、学校の授業はちょっと面倒だけど、寮での生活は楽しいし、充実した毎日をおくれているって思う。
こんな日常がいつまでも続けばいいのにって思う。
でも、幸せな日常なんて何か一つきっかけがあっただけで、脆くも崩れてしまう。所詮は砂のお城だったんだとわかってしまう。
あの時が、そうであったように。
「ただいまー」
私は部屋のドアを開けていつものようにただいまという。
「あ、涼香。おかえり。タイミング悪いね」
「ん? 何が?」
「さっき涼香に電話があったわよ」
「ふーん? 誰から?」
「えっと、誰だっけ? 私も人から涼香が帰ってきたら伝えてって言われただけだから」
誰からも何もなかった。この寮の番号を知っていて、私に掛けてくる人なんて一人し思いつかない。つけない。
「ま、またお昼ごろ電話掛けるっていってたらしいから。とにかくそれまで用がないなら出歩かないようにって」
「ん、りょーかい」
そう、日常なんて一つのきっかけで変わってしまう。
こんな些細な電話の一本でですら……
変わってしまうのだ……