「あぁ……うん」

「ま、便りがないのは元気な証拠ともいうじゃない」

「別に心配されるようなことしてないってば」

「うん……ま、たまにはこっちからも電話するようにするから」

「え……、そう、なの……」

「……わかった。来週の土曜日ね」

「うん、楽しみにしてるから。あ、ごめん、人待たせてるからもう切るね」

「……うん」

「それじゃ、さつきさん。また、来週に」

 

 

 ガチャン、と受話器を置いて私は疲れたように息を吐いた。

「来週、か……」

 電話の内容を思い出して、誰がいるわけでもないのに不安げに視線を彷徨わせる。

 夏休みだって一回も帰らなかったし、いつかはこんな日がくるとは思ってた。でも、いくら心構えをしてたって動揺や不安、なによりこの不快感が消えるなんてことはない。

「……部屋もどろ」

 今さら避けようのないことをうじうじ考えても意味がない。

 私は、無言のまま部屋に戻っていく。幸いにして、廊下を歩いている間は特に仲のいいひととはすれ違わなかった。なんか今は顔を出てしまいそうで、人と話したくなかったから。

(まぁ、部屋に戻れればせつながいるけどね)

 ……せつなならいっか。

「ただいま……」

「おかえり」

 ドアを開けると、せつながめずらしく寝転がっている。お昼のあとだしたまにこういう姿を見る。

「電話って誰からだったの?」

 こうやって聞いてくるのは友達としても別に当たり前のことだと思うし、私だって聞かれることくらいは覚悟していた。

「あぁ、うん……」

 自分にとっては思い出したくないものだから、どうにも歯切れが悪くなってしまう。

(……そうだ、せつななら……)

 私はいつものようにテーブルを挟んでせつなの正面に座った。

「私の、保護者、って言えばいいのかな……ほら、昨日美優子に雑炊作ったときに話したでしょ」

「あぁ、たまにかかってくる……あの人が涼香のえぇと『恩人?』だったの」

 せつなも体を起こして私と向き合う。別に寝転がったままでも気にしないけど、せつなは人と話すときはちゃんと向き合ってなんて考えてるみたいでこうする。

「うん、雨宮 さつきさんっていうの」

「ふ〜ん、どんな人?」

 せつなはあんまり私の学校以前のことを聞こうとはしないけど昨日も話題に上がったせいか、これくらいは聞いてもいいと思ったのか興味ありげな瞳で私を見てきた。

「どんなっていわれると……なんだろ色々すごい人」

「なにそれ?」

「小学生だった私に家事全般押し付けて、しかもずぼらで、たまーに私のことを家事手伝いくらいにしか思ってないんじゃないかって思わせるような人」

「なんか、涼香の言い方が変なだけだと思うけど、それだとひどい人に思えるわね」

「ま、ひどいかもね。でもさ……」

 私は遠い目をして窓の外を眺めた。

 確かに、色々すごいで私をびっくりさせることもあったけど。

「私のこと、すっごく大事に思ってくれるの」

 そして、私の、特別な人。

 「……なんか、今の涼香の表情だけでどんな人かわかった気がする」

「え?」

「涼香、ものすごく幸せそうな顔してるわよ」

 私は悪いとは思いつつもせつなの言葉をおかしく思った。正確には、せつなのというよりも自分をだけど。

 多分、せつなの言うとおり私はそんな顔してると思う。

 少しさつきさんのことを思い起こすだけでそんな幸せそうな顔になれる自分がおかしくてたまらない。できるだけ考えないようにしてきたくせに、せつなの前ですらこんな風になっちゃうなんて。

「……で、何か話したいことがあるから来週会いに来るんだってさ」

 普段なら、電話の内容もそもそもさつきさんのことすら話をしないけど今日は聞いてもらいたかった。

「へぇ、よかったじゃないの。夏休みも帰ってないんだから、半年近くあってないんでしょ?」

 せつなが悪気なくそんなこと言ってるのはわかる。私の心内を知らないんだから、これくらいは当然の言葉。

 私は、髪留めに手をやって指先でクルクルと髪をいじった。それから、少し気落ちしながら髪留めを掴む。

「ま……ね。……そうだ、せつなも一緒に来ない?」

 私は意を決してこの言葉を口にした。このことが言いたかったから、普段は話さない電話の内容まで話したんだから。

「せっかくだけど遠慮するわ。私が行っても邪魔になるだけでしょ」

 けれど、せつなの答えは淡白なものだった。

「私は気にしないし、さつきさんだってそんなの気にする人じゃないから大丈夫だよ」

「いいって、さっきの涼香の顔見たら多分誰だって遠慮するわよ。これは、割り込んじゃいけないって思うもの」

「だ、だからそんなの気にしなくて」

「いいから。久しぶりに会えるんだから他人なんて挟まないで水入らずで楽しんできなさいよ」

 せつなは、テーブルに片肘をついて諭すように言ってきた。ときなさんも以前やってたけど、この姉妹はこういうことが似合う気がする。

 せつなは、私がせつなに気を使って誘ってるだけだと思ってる。私がさつきさんに会いたがって疑っていない。

「……うん、わかった」

 これ以上食い下がるってもせつなを不機嫌にさせるだけだ。

 でも……

(察してよ……一緒に来て欲しいんだって……)

 一人で会いたくないんだって。

 せつながそんなことを察するなんて無茶だってわかってるけど、私はそう思わずにはいられなかった。

 

 

「……………………」

 そして、土曜日。

 約束の日。

 私は一人で駅にいた。小さな時計塔のしたで、時間と自分の格好を気にしながら改札口から吐き出されてくる人たちを黙って見続ける。

 結局、せつなはついてきてくれなかった。あの後も遠まわしに誘ったりしてみたけど、ほとんど流されるくらいで本気で私がついてきて欲しいとは思ってないみたい。

 でもそれをきちんと言葉にはできなかった。一人で会いたくないなんていうのがばれたらまるで私がさつきさんのこと嫌いみたいに思われるような気がしたから。

(けど……やっぱり来てもらうんだったな……)

 私は、改札口に向けていた目を自然と落とした。

 なんだか周りの歩道橋もバス亭も改札も切符売り場も、灰色の壁もいつも以上に無機質な感じがして、すごく心細い。

 ここに来てから、正直今にも体が震えだしそう。会いたい気持ちと、嬉しさと、緊張と、不安と、悲しさが混じりあって逃げたくてたまらなかった。

 藤澤先輩のときやせつなと仲直りしたときもそうだったけど、私はすぐに逃げたがる。自分の中の不安に押しつぶされそうになる。先輩のときはせつながいてくれて、せつなの時は梨奈や夏樹、ときなさんのこともあって逃げずに向かえあえた。

 今は……誰もいない。

 そして、相手は一番逃げたい人。そもそも一人で向かえあえるくらいなら私は今、ここにいない。

 今さら遅いけど、強引にでもせつなについてきてもらうんだった。

 もう改札口見るのも怖い。

 ぷらぷらと足を動かす。

私の中でここから逃げたい自分とそんなこと出来ないって言う自分がせめぎあってて、私は視線を落としたまま目をつぶった。別にこのまま私が気づかなくて、向こうも気づかなければいいとか思ってるわけじゃないけど、もうそんな淡い希望にすがりたいほど私は怖かった。

 周りじゃ駅独特の待ち合わせとかのざわめきがあって、何故かすごく耳障りに感じる。

「あれ? 友原、さん?」

 そんな耳障りの中から知った声が聞こえてきた。

「美優子……」

 顔を上げると目の前に、美優子がいて若干首をかしげながら私の顔を覗き込んでいた。

「何してるんですか? こんな所で」

「ん、ちょっと、ね……人を待ってるの。美優子は?」

 ふぅ、っていうか会う前からこんなに動揺してて大丈夫なのかな私。

「わたしは、病院いった帰りなんです」

「どっか悪いの?」

「あ、いえそういうわけじゃなくて。定期健診みたいなものです」

「ふぅん……?」

 なんか美優子とですらうまく話す余裕がない。

(あ、でもさっき……帰りっていったよね……)

 なら……

「ね、美優子これから時間ある?」

「え? はい、帰るつもりでしたからありますけど」

 せつなが隣にいてくれるのが一番気が楽だっただろうけど、この際美優子でもいい。

「あのさ、実は……」

 私は藁にもすがる思いで美優子にこれからさつきさんと会うことやさつきさんについて簡単に説明した。

「で、よかったら美優子も一緒にどう? お昼くらいは奢ってもらえるよ」

「え、で、でも……わたしがいてもお邪魔ですよね……」

 わかってはいたけど美優子もせつなと同じ反応をする。

「いいから、ほらっ。さつきさんに私にもちゃんと友達がいるんだよっていう所とか見せたいし」

 せつなの時は引き下がっちゃったけどもうここまで来たら、とにかく美優子のことを引き止めたかった。

「え……と、わたし……」

 美優子は美優子で気まずそうに何度も指を組み替えている。美優子は人見知りするほうだし、ましてや同い年くらいならともかく年の離れた人じゃこうなるもの無理ないのかもしれない。

「じゃ、じゃあ挨拶くらい……」

 ……それじゃ、意味がないの。

 私はとっさに美優子の腕を取ってしまった。

「え? あ、あの友原、さん?」

「お願い、いてくれるだけで、いいから……」

 低く、気持ちを吐露するようにして美優子を引き寄せた。美優子が私に触られるのを怖がってるとか考える余裕もなく。

「……友原さん?」

 美優子はどうしたんだろうって顔で私を見てる。心配とかいうのじゃなくて本当に、どうしてこんなこというんだかわからないって顔。

「……お願い」

 もう一度、今度は美優子の目を見て頼みこんだ。

「…………はい」

 美優子は私の迫力に負けてしまったのか恥ずかしそうに頷いてくれた。

「ありがとう……美優子」

 私はその承諾に、ほんの少しだけ胸を撫で下ろして握る腕に感謝の気持ちを込めた。

 

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