「あの、ここ、です」

 バス停から木々の生い茂る住宅街を十分程で美優子は足を止めた。

 外観はこじんまりとした普通の一軒家で、なんとなくだけど美優子が住んでいて納得っていうような家だった。落ち着いた雰囲気で自己主張することなく周りの住宅や自然とあっている。

 家には誰もいないのか美優子は財布から鍵を取り出そうとするけど、片手なのでやりずらそうにしている。

「…………美優子、もう手離してもいいんだけど。逃げたりなんてしないからさ」

「えっ? あっ! す、すみません!!

 まるで今まで腕を握ってたことを忘れてたみたいに慌てながら手を離した。

 美優子に手を引かれたまま歩くなんてなれないことだったけど、人肌が触れ合っていると少しだけ気持ちが落ち着いた。さすがに、もう涙も止まってるし。

「ど、どうぞ」

 玄関を開けてもらってまた美優子に案内されるままに美優子の部屋に向かった。玄関すぐの階段を上って、廊下を左に一つ曲がって二つドアがあるうちの手前が美優子の部屋らしい。

「えと、ここがわたしの部屋です」

 白い壁紙に、綺麗な木の床。まったく散らかってない部屋の中や本棚、机が美優子の人となりを表している気がした。まぁ、ベッドと服のタンスの上にある大量のぬいぐるみは気になったけど。特に、枕元にあるでっかいライオンもどきみたいなやつは存在感がある。

(……寂しいとぬいぐるみとか欲しくなるっていうもんね)

 これは美優子がそうだったなごりなんだろうか。

「どうぞ」

 美優子がクッションを用意してくれて、それに座ると沈黙が訪れた。

(……さて…と、どうしよう)

 連れられるまま美優子の部屋まで来ちゃったけど、ここに来てどうしようとかなんて全然考えない。一人でいるなら、気持ちの整理をつけようとするけど美優子が目の前にいちゃ集中できない。多分、泣いちゃうと思うし。……すでに美優子には泣くところ見られちゃってるけど。

「友原さん、あの……今日どうしたんですか?」

 考え事をしてると美優子が心配そうに話しかけてきた。

「どうしたって?」

「その、さ、さっき泣いてたのもそうなんですけど……なんかいつもの違うっていうか、変だったから……」

「そ、そんなことないよ」

 一応笑顔で否定するけど……泣いたの見られておいて、これは今さらか。

「それに、ずっと笑ってばっかりなのに全然楽しそうじゃなかったですし。あ、も、もしかしたらわたしの気のせいかもしれませんけど……でも、やっぱり今日の友原さん無理に笑ってたっていうか、その…少しおかしかったと思います」

「………………」

 私は美優子のことが見れないでうつむいた。

 自分じゃ普段どおりの私を演じてたつもりだけど美優子の目にはそう映らなかったらしい、いやそれとも自分じゃうまくできてるつもりでもそんなの私が勘違いしてるだけで誰の目からみてもおかしかったのかな。

 さつきさんたちからみても……

(……………っ)

 まだ脳裏に焼きついてる。

さつきさんのあの顔が……少し考えるだけでどうしてもあの幸せそうな顔が浮かんでしまう。

「あの、わたしじゃなにも力になんてなれないのかもしれませんけど、でもお話を聞くなら……」

 こっちが精神的にまいってるときに優しいこと言わないでよ。

甘えたくなっちゃうじゃない。

 これまで誰にも話したことなんてないし、話したいとだって思ったこともない。だって、話すっていうことはそのことを思い出すってことだから。思い出したくないことを、嫌なことを思い出すってことだから。

 でも美優子のことを私の都合で連れまわして、あんな姿を見せちゃったからにはそのくらい話すのが私の責任なのかな。それに、美優子がするとは思わないけど学校とかでこのこと言われても困るし。

 美優子に話したところで何も変わらないし、多分美優子が困っちゃうだけだと思う。いくら友達だからって聞いて楽しい話じゃないだろうし。

 ……でも、一人で我慢するのって疲れちゃった。

 不安や心配事、悩みっていうのは人に聞いてもらうだけで楽になるっていう。例えなにも変わんなくても少しでもこの辛い気持ちが吐き出すことで楽になれるのなら……

「私さ……」

 私は気づけば口を開いていた。

「さつきさんのこと、好きだったんだ」

 そして、言葉にする。数年間誰にも話せず、一人で溜め込んできた気持ちを。

「……好き、だった?」

 少しポカンとしながら美優子が聞き返してくる。

「うん、どんな風にって言われると困っちゃうんだけどさ。とにかくね、大好きだったの。あ、もちろん今も好きだけどさ、今は一緒にいてもつらいだけ。さつきさんが私のことを一番に見てくれないから、あの二人の間に私の場所がないから……私が我がままなだけだっていうのはわかってるんだけどさ、さつきさんには私のことだけを見て欲しかったの」

 考えたくないことではあるけど、一旦話だしたら今度は止められなくなって私は早口に言葉をつむいでいく。

「……だって、さつきさんが私に『世界』をくれた私の一番大切な人だから」

 そう、さつきさんがいなければ文字通り私はここに、この『世界』にいなかったかもしれない。

「『世界』をくれた?」

 私の不可解な言葉に美優子は首をかしげる。

「うん。私ね、ちっちゃい頃虐待されてたの」

「え……?」

「あ、さつきさんじゃないよ。ほんとの、『友原』の親のほう」

 驚きを隠せない美優子に対して私は少なくても声だけは明るくする。

 っていうか、無理にでも明るくしないとこんな話してらんないよ。こんな、話すほうも聞くほうもつらいだけの話なんて。

「お父さんは私が生まれて結構すぐに死んじゃったんだけどさ、母親は最低な人だったよ。物心付くくらいにはほとんど毎日はたかれたり、殴られたりしてたし。ナイフで切られたりしたこともあったよ。虐待の理由なんて知らないし、今さらどうでもいいけど、とにかく毎日地獄だった。ま、幸い傷は残ってないけどね。心以外は。………ってうまいこといったつもりなんだから少しは反応してよ」

「え、あ、あの……」

 美優子が困った表情で話を聞いてたから、ちょっとおどけてみせたけど一層美優子を困らせるだけになったみたい。

「ふぅ……小学校は一応行ってたけどさ、家じゃ何話しても怒られて殴られて、って感じだったからもう自分から何かするのが怖くて、友達もゼロってわけじゃなかったけどほとんどいなかったよ。んで、小学校三年生の時にね、さつきさんが私のこと引き取ってくれたの。今思うと、引きとるっていうか半分誘拐みたいなものだったんだろうけど」

 思い出したくはないことの割には、この辺の話は思ったよりは無感情に話せる。母親なんて嫌いなんて次元じゃないほど大っ嫌いだけど、所詮どうでもいい人間だから。

「最初の内はさつきさんの家でもひどかったよ私、何言われてもビクつくばっかだったし、転校したせいで学校には一人も友達いなくなって、半分登校拒否してたし。家でもほとんど部屋に閉じこもってたけど、さつきさんが毎日遅く帰ってきたり、休みの日とかずっと寝てたりするから、怒られるかもって思ったけど、洗濯とか掃除やってみたの。一応、そん時もあの家から連れ出してくれたってだけで恩は感じてたし。ま、子供のすることだから全然うまくなんてできなかったけど、でもさつきさんがすっごい褒めてくれて、頭撫でてくれて、母親にはたたかれる以外に体に触れられることなんてなかったから嬉しかった。ここにいていいんだって思えた」

 懐かしいって言えば懐かしい、こっちに来てからこんなこと考えようとすらしなかったもん。

 せつなが今の私見たらまた幸せそうな顔してるって言われるのかな。

「褒められるのが嬉しくて、家のことを一生懸命やるようになって、料理とかも頑張るようになってさつきさんが喜んでくれるのがほんと嬉しかった。その度に自分が肯定されるみたいで、たまらなかった。そのうちさ、ずっとさつきさんが喜んでくれることがしたいって、ずっとさつきさんの世話していきたい、なんて思うようになったの。だって、もうほんっと嬉しかったから、えらいとかありがとうって言われるのが。それこそ『世界』が変わったもん。生きてるって思えた」

 私が一番幸せで満ちたりていた日々を思い出すのすらしていなかった。この幸せな時間があったからこそ、次の地獄が辛くなったから。

「そんなんで小学校の頃は幸せだった。さつきさんが私だけを見てくれる、私だけのものだったから。でもね、中二の秋にささつきさん、結婚するっていったの」

 ……声がちょっと震えちゃった。

「私が嫌なら、私があの家を出るまで結婚しないって言われたけどさ、そんなふうに気を使ってくれるのが逆に悲しくて、私、いいよっていうしかなかった」

 やば……抑えきれなくなってきた……

 私はこぶしをぎゅっと握り締めた。

「隆也さんのことは小学校の頃から知ってたし、優しいし、かっこいいって思うけどさつきさんといるときは二人とも大嫌いになった。だってさ、さつきさん私といるときより楽しそうなんだもん! 嬉しそうなんだもん! ……しかも、さつきさんはそれでも私に優しいままで、私といるのが…一番じゃないくせに、私のこと優先してくれて……すごく惨めだった……」

 完全に声が滲んできた。続けたくもないけどここまで来たらとまんない。

「夜に一人で泣いちゃうこともあってさ、気づいたらあの家にいるのがつらいだけになった。だから逃げだしたの、ここに、天原にね」

 だめ、何も変わんないじゃない。つらい気持ちを吐き出しても、思い出した分つらさが増しただけ。

「ともは……すずか、さん……」

「こっち来て、寮のみんなとか新しい友達も出来て最近はあんまり考えなくなれたのにさ…………んくっ…………赤ちゃん、だって……たまん…ないっ、よね。あんな幸せそうなそうにさ……当たり前だけど、私がいなくても……さつきさんは、幸せ…っ…なん、だよね……ひっく……」

 変わんない……美優子に話したって何も変わんない! 辛いだけ、悲しいだけ、やだ、もうやだ……

「ほんと、たまんない…よ…っ?!!

 搾り出すようにそれだけいうと、美優子がいきなり抱きしめてきた。

 優しく、包み込むように。

「み、みゆこ……?」

「あ、あの、違ってたらごめんなさい。でも、涼香さんが抱きしめて欲しいように見えて、だから、その……」

 美優子の声も震えてる。

 私につられて泣いちゃったのかもしれない。美優子って人の痛みまで自分のものって考えそうだから。

(……やわらかい……それに、いい匂い……)

 包み込む美優子の香りが、ぬくもりがほんの少しだけ心を落ち着かせてくれる。

 私は子どものように美優子に体を預けた。

 そして、ゆっくり目を瞑る。

「ううん……違わない……」

 一大決心をして話してみても、何も変わらなかった。つらいだけだった。悲しいだけだった。

でも、今はこんな私を抱きしめてくれる美優子の優しさに甘えよう。

「美優子……ありがとう」

 私はその言葉を最後に堰をきったようにして嗚咽を洩らし始めた。

 

 

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