「う〜、緊張するー」

 私は美優子の家の前でインターホンと向き合っていた。昨日思ったとおりクッキーを作ってここまで持ってきたはいいけど、いざここまで来ると不安になる。

 そもそもよく考えれば、美優子は私と部屋で二人きりになるほうがよっぽど怖いんじゃないの? こっちは何かする気なんてまったくなくても美優子はそう思ってくれないかもしれないし。

 ……でも、悪いのは私、か。こっちが悪いのに自分が不安だからって逃げるわけにもいかないよね。

 私はよしっと意気込んでチャイムを押した。

 ピンポーンとなじみのある音が響く。

「………………」

 そのまま十数秒がたった。

「………………………………」

 さらに沈黙。

 ……もしかして、留守?

 私は頭を壁につけてくた〜と脱力した。

 そりゃ、そうだよね〜。アポとってないんだしこうなるかもしれないってわかってたじゃない。

「どうしよ?」

 ってどうするもなにも帰るしかないか。いつ美優子が帰ってくるかなんてわかんないんだし。

 私は落胆のため息をつくと回れ右をして帰途につこうとして、

「すず、か、さん?」

 丁度美優子が帰ってきた。

 パステルグリーンのチアタンクトップに、ブルーグリーンのカットソー。いつも学校帰りに直接きちゃうからあんまり私服を見ないけどよくこんな風なフリルのついてるのを着てる気がする。

ま、確かに美優子には可愛い系のほうが似合うよね。せつなとか夏樹じゃこうはいかない。

本屋にでも行ってきたのか手には大手書店の袋。

「美優子、よかったぁ」

「あの、何か御用ですか?」

「うん、ちょっと話したいことあって。ていうか、用なければここにいないと思うよ?」

「そ、そうですね。あ、待ってください今あけますから」

 美優子は落ち着きないところを見せながらも思ったよりは冷静に鍵を開けて応接室に通してくれた。

 私は手さげに入れてきたクッキーを見えないように隠しながらソファに座らせてもらう。

 美優子の家はシステムキッチンでさらに応接室も隣接してて、今美優子がお茶を入れてくれてるのが見える。手伝うといっても断られてしまったのでおとなしくしてるしかない。

「おまたせ、しました」

「うん、ありがと」

 運んできてもらった緑茶を受け取ると美優子は向かい側じゃなくて、隣に少し距離を置いて座った。

 私はまず、一口お茶を飲んでみる。

(うん、おいしい)

 やっぱ、日本人は緑茶だよねー。これで醤油煎餅か大福でもあれば最高なんだけど。あ、おはぎとか団子でもいいな。クッキーとかだけじゃなくて今度和菓子も作ってみようかな。

(って今はそんなこと考えてる場合じゃないよね……)

 せっかく美優子と二人きりになれたんだから早く言っちゃわないと。

「美優子」

「は、はい」

 くっ。名前呼んだだけでビクつかないでよ。

 出鼻をくじかれた気分になりながらも私は鋭く、深く息を吸い

「美優子、ごめん!」

 はっきりとそういって思いっきり頭を下げた。

「え、あ、あの、涼香さん? えっと、何のことですか?」

 美優子が不思議そうに声を上げる。どうしてあやまられてるんだかわからないとでも言いたげに。

「え、と。だか、ら……その、この前泊めてもらった、時ぃ……みゆこに、あんな、その、い、いきなり、キス、しちゃったこと」

 顔を見れるはずもなくて、でもどこかに視線を定まらせることもできず、途切れ途切れになんとか、『キス』って言えた。恥ずかしいし、あんまり口にも出したくなかったけどそのことだってちゃんと言わなきゃいけないような気がした。

「あやまって許されることなんかじゃないなんてわかってるけど、本当にごめんなさい! あの時の私どうかしてて……わ、忘れていいから、あ、あんなのノーカウントだからね」

 許してくれるわけないし、忘れることなんて出来るわけがないってわかってる。私だって自分のははっきりと覚えてるし、正直あのことに関してはせつなのこと許してない。

「ぁ、あの、涼香さん、顔上げてください」

 美優子は控え目に言ってくれるけど私は申し訳なくて顔が上げられない。

「わ、わたし、怒ってなんていませんから。その、あの、キ、ス…のことすごくびっくりしちゃいましたけど……わたし……も…ちゃい…したし……それに…れた……のだって……ぜん……じゃなかった……ですから」

「本当?」

 後半のほうはやけにもごもごとして断片的にしか聞こえなかったけど、私は前半の部分にだけに反応してそう問いかける。

「はぃ……」

 その声に呼応するように顔を上げてみたけど、美優子は思いだしてしまったのか顔をさくらんぼ色にしてる。キスのこと意識しまくってるのは一目瞭然。

「えと、遠慮しなくてもいいんだよ? ほら、美優子が寮に泊まった時みたく一発、っていうかもっとされる覚悟くらいしてるから」

「そ、そんな、嘘なんかじゃないです」

 美優子の様子は真剣そのもので遠慮や気を使ってるようには見えない。

「……わかった。美優子のこと信じる。あ、じゃあこれ」

「これは?」

「クッキー、手作りだよ。プレゼント、この前のことのお詫びとお礼に、ね。受け取ってくれるかな?」

「は、はい、もちろん」

 クッキーの入っている袋を美優子の小さな手にのせる。

「美優子、あの時はごめ……ううん」

 私は軽く首を振って笑顔を作った。

 あの時に何度もいった言葉、どれだけ重ねても伝え切れない。美優子への感謝の言葉。でも何度でも伝えたい。

「ありがとう」

 

 

 美優子はすぐクッキーを一緒に食べようと誘ってくれて緑茶にクッキーなんていうアンバランスな組み合わせで食べていると私はあることを思い出した。

「そだ、怒ってないっていったけどさ。私のこと避けてたのって、やっぱり怖かったから?」

「あ、あれはっ!? その、怖かったとかそういうのじゃなくて……」

「そうなの? さっきも言ったけど気を使わなくてもいいんだよ?」

「ほ、ほんとに違うんですっ!」

 何でこんなにあわててるんだろ? そこまで言いたくないってことなのかな? 聞いていいかなってし気はしないでもないけど、理由もわからないまま避けられるなんて嫌だし。

「じゃあ、なんで?」

「えっ……と、それは……その……な、なんでもないです」

「なんでもなくて避けられるとちょっと悲しくなっちゃうんだけど。何かしたならあやまるから。このままじゃ美優子に嫌われてるみたいで、いやだからさ」

「そ、そんなことないです!!

 美優子は思わず立ち上がって珍しく声を荒げた。すぐに我に返ったようにすみませんといって座るけど、この反応が余計に興味を引かれる。

「まぁ、言いたくないならいいよ」

 とはいえ、嫌がってるのを無理やり聞くのは趣味じゃない。

「あぅ、すみませ……」

 トゥルルル。

 美優子が頭を下げるなんて来た時と真逆の状況になっちゃってると、よく聞く電子音が部屋に響いた。

「あ、失礼します」

 音の正体、電話は応接室の中にあって美優子はあわてて受話器を取りに行く。

その間私はすることもなく、何気なく美優子を見てるとなんとなく電話の相手が想像できた。

十数分で会話を終えると美優子はトテテと私のところへ戻ってきた。

「お母さん? 今のって」

 開口一番にそういってあげると、美優子は驚いたような表情をした。

「は、はい。え、どうしてわかったんですか?」

「美優子の反応がそんな感じだったから。何だって?」

「あ、今日は帰らないから戸締りとかしっかりしてとか、そんな感じです。たまにこういうことあるんです。二人で日帰り旅行いくつもりが遅くなっちゃいそうだから一泊って」

 けろっと話す美優子に私は気になる言葉を見つけた。

「二人でってことはお父さんも帰ってこないの?」

「はい、そうですけど?」

「え、ちょ、何当たり前みたいに言ってるの。じゃあ今日美優子一人ってことでしょ?」

「そうですよ?」

 美優子はまたも当然だとばかりに首をかしげる。私のほうがおかしなこと言っているみたいに。

 美優子がなんで当たり前そうなのかは知らないけど

「だめだめ。このご時勢に女の子が一人で留守番なんて、私は許さないからね」

「す、涼香さん? だ、大丈夫ですよ、良くあることですし。戸締りはちゃんとしますから」

「そういう問題じゃないの」

 あ〜、もうっ! 美優子危機意識ゼロ。今までは何もなくても絶対に大丈夫ってわけじゃないでしょ。

 私は口元に手を当ててむ〜っとある考え事をする。

「決めた。私今日泊まるから」

 そして一番始めに考え付いたことを躊躇なく口にした。

「え? す、涼香さん!?」

「何かあったとき二人いたほうが。いいでしょ。大丈夫、ご飯とかは私が作るよ」

「え? え?」

「あ、一応言っとくけど別におかしなことしようとか考えてるわけじゃないからね」

 状況についてきてない美優子に向かって私は軽い冗談を飛ばす。

「…おかしな、こと……」

 美優子は私の耳には届かない大きさでなにか呟いて、しばらく考え込むと泊まっていいといってくれた。

 私は軽く安堵し、そしてこの発言がまずかったと数時間後に思い知ることとなる。

 

 

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