テレビから、熱のあるラブソングが流れ沈黙する私たちの間を通り過ぎていく。

 美優子の瞳は情熱的に潤み、顔も火が出るどころか燃えるように上気していた。

 冗談、だよね。とすら口に出せない。

この美優子をみたらそんなこととてもいえない。

 何を言えばいいの? 何をすればいいの? 今美優子に、私は、何を、どうすれば。

「ぁ……」

 うわ、声がでないよ……。ううん、何を言えばいいのかわからないから出しようがない。

 美優子はさっきの言葉にすべてを込めていたのか、私の返事を待っているのか、少女のように小さな体を小刻みに震わせていた。

 でも、決して想いの込めた瞳を私から背けることはしなかった。

 何か、何か言わなきゃ。

「みゆ……」

「あ、わ、わたしお風呂はいっちゃいますね」

「あ、う…ん」

 私が美優子の名前を呼ぶのとほとんど一緒に美優子は言ってそそくさと部屋を出て行ってしまった。

 一人残った私は呆然としながら無意識に美優子が抱きしめていたクッションを手にとってぎゅむっと抱えた。微かだけどやわい美優子の香りがするような。気のせいのような。

 そのまましばらく呆ける。

(何か美優子勘違いしてる、よね?)

 美優子の言い方だと私から「したい」って誘ったみたいじゃない。言ってない、言ってないよ私。泊めてっていったときのあれはもちろん本気じゃないし、そもそもあれだけでそんな風に思うなんてありえないでしょ。

 美優子は私が、美優子のことを「好き」だって思ってるんだよね。そうじゃなきゃ、あんなこといえるはずがないもん。して、いいだなんて。

 なんで美優子まで私にそんなことを望むの?

(私に、私……なんかに)

 クッションに爪を立てて強く抱きしめる。唇を噛み締めて、目をぎゅっと瞑る。そのままソファに横たわった。

(……私は、好きになってもらえるような子じゃないのに)

 特別可愛いわけでも、何か人に好かれるような特技も特徴もない。性格だってきっとせつなとか美優子は勘違いしてるよ。私はみんなから思われてるような人間じゃない。だって私なんて……

「ふ……ま、美優子にはしょうがないかもね」

 自嘲するような笑いが口からこぼれてしまう。

 襲うようなことして、一緒のベッドで寝て、キスして、恋人つなぎして……言葉だけで見ると順番がおかしい気もするけど美優子が私に好かれてると思うのはおかしくないかも。

 そりゃ、美優子のこと好きだよ。友達だもん。嫌いなわけない。嫌いだったら友達なんかならない、一人にするのが心配で泊まるなんて言わない。

 でもそもそも私は……

 ガラッ。

(え?! もうっ!?

 家の隅から脱衣所のドアがスライドする音が聞こえた。

 考えてたのよりずっと早く美優子がお風呂から出てきてしまったらしい。美優子がいなくなってしばらくは呆けてたけどそれでもそんなに時間がたったとは思えない。

 ペタペタと素足と素足でフローリングを歩く音と共に、薄い青色でゆったりとしたデザインのパジャマを着た美優子が応接室に戻ってきた。

上と下が別れているからネグリジェじゃないけど、パジャマもフリルっぽい装飾がある。ま、好みなのかたまたまなのかまではわからない。

まだ乾いてない髪がしっとりと肌につき、美優子にしては色っぽく見えた。

「ず、ずいぶんはやいね」

「涼香さんを、お待たせしちゃいけないと思って」

 普段から静かな感じではあるけどさらにしとやかに見えた。

「あ、いや、私もお風呂もらおうかなって思ってたんだけど」

 お風呂でもどこでもいいから、とにかく少しでも今の状況を整理して、どうするか一人で考える時間が欲しかった。

「あ、そ、そうですよね。やだ、じゃあもっと綺麗にしておけばよかった……」

「そ、そんなの気にしなくていいから! えっと、き、着替えまた貸してね。じゃ、じゃお風呂行ってくるから」

 そして、私は美優子から逃げるようにお風呂へ向かっていった。

 

 

 ブクブクブク。

 私は鼻の頭まで湯船につけて息を吐く。

 白い壁に囲まれた湯船は広くはないけどどうにか普通に足は伸ばせる。けど、私は膝を曲げて体育座りをするかのようにしていた。

 湯船からは湯気が立ち上り視界をぼやけさせる。

「……ぷはっ。はぁ……あっつ」

 美優子、どうかしてるって。大体私が誘ってるなら、そんな日の夕食にカレーなんて作るわけないっての。

「匂いは、大丈夫だよね?」

 ちゃぷ。

 体は洗ったけど、それでもなんか不安で二の腕あたりの匂いを嗅いでみる。

 ん〜、お風呂の中じゃわかんないよ。

 って! そんなことよりどうするか考えないと。

『おかしなこと』

 言い方はともかく美優子のいってるのがどういうことだかは知ってる。女の子同士のだって漫画とかでそういう描写はみたことあるし、梨奈からすこーしだけ話を聞いたこともある。でも、もちろん経験なんてないし……せつなのあれは当然ノーカウントに決まってる。未遂だけど。あの時は本当に怖かった。

(……どうして、あんなに怖かったんだろ?)

あの時に、お腹とか胸を触られたときに感じた恐怖は、脈絡もなくファーストキス奪われたことやそのまま押し倒されたことを差し引いても説明できない気がする。

(相手が美優子だったら?)

 私からしたキスは、とにかく恥ずかしいっていうことしか考えられなかった。

 せつなからされたキスは怖くてたまらなくて、美優子にされたのは怖くなかった。

 なら、美優子になら触られたって大丈夫なのかな?

 ちょっとだけその光景を想像してみ……

「っ!!!

 バチャっと大きく音を立てて肩を抱いた。

「……やだ」

 怖い、怖い。怖い!

 相手が誰かなんて関係ない。お腹でも胸でも背中でも触れられるって思っただけで体が考えられないほど竦んだ。

「なん、でだろ?」

 私は思わず掴んでしまった手をゆっくりと解いた。

 そういえば今思うとほとんど誰にも触らせたことない気がする。小さい頃さつきさんと一緒にお風呂はいることはあっても体を洗ってもらったりはさせてない、小学校や中学校のときも絶対に触らせるどころか傷もまだ少しあったし見せることすらなかった。寮のお風呂でももちろんない。

 触られたのはせつなにされたときだけ。

 別に体に触れられるのが嫌なわけじゃないはず、顔とか手とか腕なら大丈夫だもん。ただ、主に服に隠れるようなところに触れられるのが嫌。

 私は理由を考えながらまた膝を抱えた。

(…………そっか、そう……なのかな?)

そういう所に、何かされたのは、せつな以外じゃあの女しかいない。あの女が私の殴るとき、はたくとき、蹴るとき、切りつけるとき。

 顔をやられることもあったけどほとんどは服の下、見えないところだった。

だから、怖いんだ。体が覚えちゃってるから。無意識にまた痛いことされるんじゃないかって恐怖を感じてしまう。

こんな状態で『する』なんてとてもできない。

ううん、そもそもはじめから望んでなんかない。

美優子が大切な友達でも、好きでも、キスしちゃってても、恋人つなぎをしてても、私は美優子とそんなことしたいなんて思ってない。

それが私の気持ち。

「けど……」

 今ここで美優子のことを拒絶したら……

 私は浴槽の縁に腕を置いて、くたっとそこに顔を乗せる。

(傷つくよね……美優子……)

 それこそ、あの時のせつなみたいに。

 あの時のせつなをときなさんは見てられなかったっていった。私もそう思った。ほんの数分の会話だけで、せつなの絶望が痛いほど伝わってきた。

私のせいでまた誰かをあんな風にするなんて嫌。

 怖い。けど、美優子のことを傷つけるのは嫌。特別、だもん美優子は。

(……私が我慢すればいいんだよね?)

 私が怖いのなんて我慢して美優子のこと受け入れればとりあえずは美優子が傷つくことはない。

 でも、それって私はもちろんだけど美優子にとっていいことなのかな。それに、美優子のことを受け入れたあと学校や、寮のみんな…せつなと今まで通り過ごせるの?

 私は『今』が好き。『今』を壊したくない。せつなや美優子、梨奈や夏樹と友達のまま楽しい生活を送りたい。『今以下』も『今以上』も私はいらない。『今』が、学校が、寮が私の世界なんだから、逃げてきた結果見つけた居場所なんだから。

 美優子を受け入れれば今の関係が壊れるかもしれなくてもそれは絶対じゃない。確実なのは美優子を拒絶すれば美優子が傷つくこと。『今』が壊れてしまうこと。

 私が、耐えればいいんだよね。私一人が我慢すれば少なくても今日はどうにかなる。

 我慢するのは得意だもん、大丈夫。あの女から虐待されてたときも、さつきさんの家にいるときも私がずっと我慢してきた。どんなことだってしようと思えば我慢できるはず。

「………うん。大丈夫、だよね」

 私は覚悟を決めるとようやく湯船から立ち上がって脱衣所へ出ようとした。

「わっ、っと」

 立ち上がって歩き出した瞬間、立ち眩みを感じてふらふらとお風呂の壁に寄りかかった。

(のぼせた…かな? おさまったし、平気だよね)

 私は改めて立ち上がると今度こそお風呂から出て行った。

 

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