【宣戦布告】
それは戦いの合図。
それを相手に告げることで、もうそれは自分だけの問題ではすまなくなる。
もっとも、あの宣戦布告は通常のものとは違うけれど。
あれは、友原先輩に朝比奈先輩のことが好きと伝えたのは友原先輩に宣戦布告をしたわけではない。朝比奈先輩でもない。
あれは、他の誰でもない私に向けたもの。
私が私の戦いを始める合図。
私が朝比奈先輩へと向かうための儀式。
私はこれからあの人に嫌われるかもしれない。いえ、今もうすでに嫌われているのは知っているけれど。
って、これは前にも思ったわね。
正直言って、自分が信じられない。これから私がするのは私があの人のためだと思うこと。勝手に、そう思っていること。
けれど、それは朝比奈先輩を知る人ならほとんどの人が思うことだ。
そして、それを口に出来る人はいない。
私以外には。
(……皮肉ってこういうことを言うのかしらね?)
好きだから、先輩に嫌われてもいいって思える。嫌でも、それが先輩のためなら……嫌われたっていい。
私は想いを伝えよう。
思うだけじゃだめ。伝えなきゃいけない。
想いは言葉にしなくては、伝えない想いはなかったのと一緒になってしまう。
少なくても、相手にとっては。
だから
(覚悟してください、朝比奈先輩)
場所は決めていた。
時間は私にはどうしようもないことだったけれど、場所は宣戦布告をしたときに決めていた。
この寮で一番高い場所。
朝比奈先輩にとって大切な場所。
朝比奈先輩が何かを抱える場所。
屋上だ。
朝比奈先輩がふと、世界から孤立する場所。
今日、その瞬間を見た私は朝比奈先輩に気づかれないように後をつけ、朝比奈先輩が屋上に出て数秒後。
そのドアを開けるのだった。
パタン。
ことさら静かにというわけではなかったけれど、緊張してたせいもあってかほとんど音を立てずにドアを閉じた。
「…………」
朝比奈先輩は気づいていない。ドアから数歩の位置に立ってまっすぐに前を見つめていた。
(……先輩)
その後姿は、儚げでちゃんと二本足で立っているのに少し風に吹かれただけでもそのまま飛んでいってしまいそうなほど頼りなく見えた。
………こんなのは気のせいだろうけど。
ありえるはずないって、断言できるのに。
このままふらふらと屋上から飛び降りてしまいそうにも思えた。
「先輩」
「…………」
「先輩!」
「っ!?」
最初のはあえて無視したのではなく、気づいていなかったらしい。
ここで朝比奈先輩が見せた反応は予想外のものだった。
「あ……っ……」
見られたくないものを見られてしまった。違う、見られてはいけないものを見られてしまったという顔。
それは一瞬だけだったけど、泣きそうになっていた。心の一番弱い部分を見られてしまったのだって思う。
「っ」
朝比奈先輩が動こうとした瞬間、私は先回りをして前に立ちはだかった。
「どいて」
低く、感情を抑えながらも本気のこもった声。
「どきません」
私はそれを正面から受け止め、はっきりと返した。
「私の話、聞いてもらいます」
朝比奈先輩に比べて背の低い私は下からにらむような視線を送る。
「……なんなのよ、あなたは。なんなのよ」
どこかいらついたような先輩の口調。
「私は、水谷渚です。あなたのことを想う後輩ですよ」
あえて先輩を刺激するような言い方をした。
「ふざけないでよ」
「ふざけてなんていません。事実を述べただけです」
「……っ」
まるで好きなる前のような態度を取る私に先輩はいらいらしている。小さな動きだけれど、唇を噛むことと、片腕で隠しながら体をつねっているのが見えた。
そして、なによりこの目がそれを物語っている。
怒っているのでもなく、嫌悪しているわけでもなく、私を動揺しながら見つめる目が。
「先輩」
私は切り出そうとする。嫌われるだけではすまないかもしれないようなことを。
「先輩は……」
「……私」
「っ」
それをわかっていたかのように、先輩は私の言葉をさえぎった。
「水谷さんのこと、嫌いじゃなかったわ」
「え?」
「はじめは、何なのって思った。人の気持ちも知らないで勝手なことばかりを言うって。でも、そうできるあなたはうらやましかったし、強い子だって思っていた。他の誰と話すとも違う何かがあって、あなたのこと嫌いじゃなかった」
複雑な言葉だ。嬉しくないかといわれれば、嬉しいことなのかもしれないけれど。
「……好きって言われたとき、あの時本気で嫌いになったわけじゃないわ。自分でも馬鹿なこと考えてるって知ってるけど、そのことに二度と触れないのならまた前みたいに話しができるかもなんて考えていた」
「え……?」
それはあまりに予想外だった言葉だ。あの時にはもう完全に嫌われたと思っていた。嫌われたに決まっていると思っていた。
じゃあ、何がそんなに?
そう自然に上がった疑問はすぐに答えが来た。
「でも、今のあなたはダメ。今のあなたは大っきらい。消えて欲しい。私の前から」
「っ――」
嫌いとか、そういうレベルの問題じゃない。
存在そのものを否定する言葉にさすがに私もうろたえた。
「……何が、なんですか?」
「いらつくのよ。あなたを見てると」
「何が、ですか……」
「…………」
「黙らないでください。聞かせてください。その理由」
あまりにきついことを言われてしまっていても私は、私だった。
ショックでも今の私は、あることを言うためにここにいる。だから、私は私でいられるのだ。
「……私を見ているみたいだからよ」
「…………」
ここで安易にわかるとは言わない。言ってはいけないだろう。頭でわかっているつもりの言葉なんて。
「望みもないくせに諦めない。私にまとわりついて、そんなの無駄だってわかっても想いを止めない。いらいらするのよ、そんなの。そんなバカなことをしているあなたを見ていると」
「…………………」
私の中をめぐった気持ちは少なくない。この沈黙は迷いでもあれば、恐れでもある。
でも私は。
「私と先輩は違いますよ。少なくても、今の朝比奈先輩とは違います」
一番私らしい言葉を返していた。
「先輩のいうことがそれだけなら、私は私の話をさせてもらいます」
私は前に進む。ここで受けたことが私の心にダメージを残してはいる。しかし、そこで立ち止まって躊躇なんかしていたら、それは朝比奈先輩と同じになってしまう。
「私はあなたが好きです」
もう何度か口にした気持ち、想い。
「大好きです」
この気持ちがあるからこそ、私はここまで来て
「だから、言いますね」
前に進める。
「朝比奈先輩はずっと、そうしているつもりなんですか?」
「何が、よ……?」
「朝比奈先輩は一生、友原先輩のことを引きずって生きていくのかって聞いているんです」
パン!
熱さと痛み。
もう何度か受けたことのあるもの。予想はしていたし、されるというのが見えた。
それでも私は避けるそぶりは一切見せず、視線を戻すと。
「……先輩は、よく笑ってますよね」
「なに、を」
「これは私の主観ですし、もしかしたらただの勘違いかもしれませんけど。見てるの嫌なんです。先輩の笑顔」
それは私に向けられないからとかそんなんじゃない。
私は先輩を見つめ続けてきた。一人でいるときも、人といるときも、友原先輩といるときも。
一人のとき朝比奈先輩は、表情を凍らせていた。そりゃあ、一人のときに表情が多彩に変化したらその方がおかしいものだが、そういうことじゃない。色がなかったのだ。
逆に、人といるときの先輩はいつでも楽しそうで、その場に適応していてて……嫌だった。そうしたいからしているのではなく、そう強いられているようで。
「…………」
私のいうことのほとんどに反論していた先輩はここでは口を結んだ。一人のときの表情で。
「友原先輩を想い続けることと、友原先輩に縛られて生きていくのは違うと思います」
「っ!!!??」
強く、迫力を持つ目。
ひるみはした。気圧されそうにもなった。
しかし、その目はほんの少しだけ潤んでいて。
「私は大丈夫だって見せ付けて。そのくせこんな風に独りになって、ずっとそうやっていくんですか? 他に目を向けないで友原先輩のことだけを見て。想って」
「……………うるさい」
「自己満足ですよ。そんなの」
「……うるさい」
「…………」
目を閉じ、口を止めたのは先輩に言われたからではない。
次の一言がどれだけ朝比奈先輩の逆鱗に触れるかというのが最初からわかっているから。
「……友原先輩が、そんなことを望んでいると思っているんですか?」
「うるさい!!」
心が砕けるような怒号。
「あなたが涼香の気持ちを語らないで!! あなたが何を知ってるの!? あなたなんかに涼香の気持ちがわかるの! わからないでしょ!! 私のことも、涼香のことも何も知らないくせに、勝手なことをいわないで!!」
烈火のような朝比奈先輩の言葉。
顔を赤くして、瞳をはっきりと潤ませ時折、悔しそうに唇を噛む。
「……じゃあ、先輩はどう思ってるんですか?」
私は風に吹かれた柳のように冷然と返した。
ドキドキしている。平気な顔を装ってはいても、気を抜けば足は震えてしまいそうだし、あまりの緊張に喉もからからだ。
それでも、これが私にしかできないことならばそれを私はなそう。
「朝比奈先輩は、友原先輩がずっと自分のことを想っていて欲しいって考えてるって思ってるんですか?」
「っ――!!」
不意に心臓でも刺されたかのような顔をしていた。
予想もしないなかった言葉。だけど、考えたことがないことはないはず。
そう、考えたことはあるだろう。
それを考えられるのが一瞬のことだったとしても。
「それが朝比奈先輩の幸せだって、友原先輩が考えてるっていうんですか」
少しだけ語気を強めた。扉の前に立っている朝比奈先輩の背中を押すために。
「朝比奈先輩が好きになった人はそんなことを思う人なんです、っ!?」
「………ひく」
「っ……!!??」
二度目の衝撃が来ることを覚悟していた私は、ある意味正反対のことに驚きを隠せなかった。
「……ひぐ……やめて」
朝比奈先輩は、泣いていた。さっきまで、私を圧していた人の面影はすでにそこにはなく、
「…おねがい、だから……もう、やめてよ……」
大粒の涙を流しながら、懇願する先輩はただの少女だった。
抗えないものに今にも押し潰されてしまいそうなのに、そこから逃げることも助けを求めることもできないようなただの、女の子。
「……ひっく……で、てって」
「………」
「出てって、よぉ……」
包んであげたかった。手を取ってあげたかった。抱きしめてあげたかった。
けれど、どれも届かない。そんな予感があって
「……後悔はしてませんから」
好きな人に何もできることがないとそう思えてしまった私は、伝えきれなかった想いを抱えたままそれだけを残すのだった。