「っ、はっ……はぁ」

 ありえない。いくらなんでも、ありえるわけがない。だって、こんなに雨が降ってるのよ!? どれくらい寝てたかは知らないけど、いくらなんでもずっとあのままなんてことは。

 屋上までの階段を祈るような気持ちで駆け上がっていた私は、先輩が雨に濡れているところを想像しては打ち消しながら一分とかからずにそこについていた。

「っ、はぁ……すぅ……はぁー」

 ほんの少しだけ息を整えるのと、心の準備をして私は屋上のドアに手をかけた。

 ザァアア

 すぐに耳を突く大きな雨の音と、涼やかな空気。それに冷たい雫が降り注ぐその場所に

「っ!! 先輩!!!

 呆然と立ち尽くす先輩の姿があった。

 あの時と同じ場所、同じ姿勢で。

 違うのは雨をすって重くなった服と髪。冷たくなっているであろう体。

 の、はずなのに。

(っ先輩!

 一瞬、屋上があまりにも広く感じ、その中にいる先輩がとても小さく見えてしまった。

 もちろん傘を持っているはずのない私は濡れるのもかまわず、そんなことすら考えられる先輩のもとに駆け寄っていった。

「なにやってるんですか!! こんなところで、こんなびしょ濡れで……」

 近づいてみてわかった、感じた。先輩がずっとここにいたっていうのが。髪や服から滴っている雫。雨を吸ったものがさらにそこから落ちてきているのだ。どれくらいだかはわからないが、本当にあの時から一歩も動かないでいたとしか思えない。

「と、とにかく中に入ってください」

 私は先輩の手を取り、戦慄する。

(冷たい……)

 人の体温とは思えないほどに冷え切った手。こんなになるまで先輩は。

「…………………」

「っ!? 先輩?」

 何も答えようとしない先輩をひっぱっていこうとした私だったけれど、先輩は動こうとはしなかった。その場に根を張り逆に私のほうが反動で先輩の方を近づく。

「先輩……風邪、ひいちゃいますよ……」

 いや、それどこか、もしずっとこのままでなんかいたら、それだけですまないような。それは風邪とか、そういう意味じゃなくてもっと……別の何かに先輩が連れ去られてしまいそうな……

「っ……」

 ぐっと今度は力を込めて手に力を込めたけれど、先輩はそれに抗って一向に動こうとはしなかった。

「せんぱい……」

 俯いていて、先輩の表情はわからない。覗き込むことはできるだろうけど

 ……不可能だ。私にはできない。

「…………」

「…………」

 サァアアア

 雨の音。

 それだけが場の空気を支配していく。何をいっても何にもならなさそうで黙るしかないけれど、先輩をほうっておけるはずもなく私も冷たい雨に体をさらした。

 そのまま数分がたち

「………………………………わかって、た」

 先輩が小さく口を開いた。

 雨の音にかき消されそうなほどに小さな声。けれど、私にははっきりと聞こえた。

「……ずっと、このままじゃいけない、なんて……そんな、こと……涼香が望んでるわけ、ないって」

 声が震えているのは寒さのせいじゃない。

「でも、……こうするしか、なかった。こうするしか、なかったのよ!!

 重く湿った髪を振り乱し、先輩は顔を上げた。

(……先輩)

 どれだけ、泣いていたのだろう。赤くなった目、流れる雫。

 人は泣き続ける事はできないらしい。涙と一緒に、その原因も流れていってしまう。どれだけ辛いことがあろうとも、泣いてしまえば気持ちが落ち着くのは人の体のメカニズムだ。

 だが、それでも先輩は泣いている。

「あなたの言うとおり、いつも私は涼香を気にしていた。涼香が笑っていられるように、笑うしかなかった。こんな生き方、つらいだけってわかってても……私には……こうするしかなかったのよ……」

 友原先輩を諦めたこと、それは嘘じゃないし。そのことに関して後悔だってしていない、はず。

 だけど、これが、現実。

 雨に打たれ、震え、泣く。これが、現実。

「……涼香のことなんて、忘れて他の事に目を向けなきゃいけないっていうのもわかってる。ううん、涼香のこと、一生想い続けるなんて無理だっていうのも、わかってる……ずっと涼香を好きでいられるほど……私は、強く、ない……」

 想像でしか先輩の気持ちを量れない私は胸が痛かった。だけど、考えればそうかもしれない。友原先輩と西条先輩が一緒にいるところを見せられ続け、友原先輩のことを思い続ける。それは、難しいことなんだろう。

「自分の中で、涼香が……小さくなっていく。それが、わかるの……まだ、涼香のことは大好き……でも、ちょっとずつ小さく、なってくの……大好きっていう、気持ちが」

 悔しそうにも、悲しそうにも見える。いや、これは……絶望だ。

 見ているだけで、聞いているだけでこちらまでも悲しみが伝播するような圧倒的な絶望。

「……どう、なるの? 涼香を好きじゃなくなっちゃったら……私は、私の今まではどう、なるのよ」

 涙がこぼれそうになる。触れ合っている先輩の手から先輩の絶望が移ったかのように。

「……はじめて、あんなに人を好きになって……はじめて……キスして、されて……はじめてあんなに悩んで、苦しんで……はじめて、あんなに……嬉しかった、涼香を想うだけで嬉しくて……幸せで………それは……全部涼香を好きになったから………涼香を好き、だったから」

 どうすればいいかわからない。いつもの、あの感覚。

 何をしても先輩には届かないような絶望感。

「それが、なくなったら……涼香を好きじゃなくなったら……どうなるのよ。全部……全部、無駄じゃない……あの嬉しかった気持ちも、悲しかった気持ちも、苦しんだことも……全部!!

 届かない? 遠いから? 本当の意味じゃ先輩の気持ちを理解できてないから?

 違う! 届かないんじゃない。届けようとしていなかった。届かないからって、どうせ無駄だからって。

 手を伸ばしたくらいじゃ、声を張り上げたくらいじゃ、先輩には届かないかもしれない。

 でも

「……全部……全部……無駄、意味なんて……なかったのよ……私の恋、なんて……」

「……無駄になんか、させません」

 なら、近づけばいい。届かないのなら一歩でも、二歩でも先輩の心に近づけばいいんだ。

 私は冷たくなった先輩の体を強く抱きしめた。

「私がさせない! 朝比奈先輩の恋が無駄じゃなかったって絶対に、証明して見せます」

「……………あなたに、何が、できるのよ…」

「先輩を好きでいます。ずっと、先輩のことを好きでいて見せます」

 終わってなんかない。

「私は……朝比奈先輩が友原先輩を諦めたから、そんなことができる人だから好きになったんです。朝比奈先輩の恋があったから、朝比奈先輩を好きになったんです」

 私と先輩の関係、ここから始めてみせる。

「だから、無駄なんかじゃない。辛かったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも全部無駄じゃない。私が、意味を持たせてみせます。先輩を好きでいることで……先輩を愛することで」

 自分でも説得力のないことを言っているのはわかっている。気持ちだけが先行した責任のない浅い言葉なのかもしれない。

 それでも私は私の心からの気持ちを先輩にぶつけた。

「……バカ、じゃないの……あなたのことなんて、なんとも……思って、ない……のよ。あなたに、そんなこと想われたところで……私は……」

 気のせいかもしれない。ただ立つのすらつらくなっていただけかもしれない。けど……少しだけ先輩が私に体重をかけてくれた気がする。私に体を預けてくれた気がする。

「それでも、私はあなたのことを好きでいてみせます」

 バカなことなんだろう。私のいうことなんて理想で、できるかどうかもわからない身勝手な言葉。

 そして、それの意味を決める朝比奈先輩は。

「………………ほんと、バカよ……」

「っ!?

 その言葉を最後に意識をとじらせるのだった。

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