普段は閑散とする食堂に唯一まとまった人だかりが出来る朝。
六人用のテーブルに私は陽菜と隣あって座り、今日の朝食。スクランブルエッグにウインナー、お味噌汁に御飯という、まるで漫画で見るような食事を取っていた。
「……ふぅ」
ただし、朝から元気に御飯を食べている陽菜とは対照的に私の手の進みは芳しくない。
緩慢と御飯を食べ、たまに思い出したかのようにおかずを取る。
「なぎちゃん……」
「ん? なにかしら? 陽菜」
もうほとんど食べ終えている陽菜が私を心配そうに呼ぶと私は、普通に答える。
「元気、ないね」
「ふ、昨日の今日よ? 当たり前でしょ?」
「うん……、でもなんだか、昨日よりも元気ないっていうか。それに……えと、……んと……」
言葉にするか迷っているわけではなく、陽菜は続きの言葉を見つけられていないようだった。
「昨日とは、わけが違うって言いたいの?」
「えと、うん、そんな感じ」
「まぁ、そうね。落ち込んでる理由はちょっと違うわね」
「違う、って?」
「そう、ね……」
ここで陽菜に話したところで何の解決にもならないと思うところはやっぱり私の悪い癖なのだろう。
「あ……」
どうしようかと逡巡していた私の目にある人の姿が映った。
「朝比奈先輩、だね」
丁度、食堂の入り口に朝比奈先輩と………
(友原先輩……)
の姿があった。
どうも二人で来たらしい。
珍しいことではない。同室なのだし。…………親友なんだから。
向こうはこちらに気づいていないらしく、二人会話をしながらまずは入り口近くのテーブルに席を取った。
「……………ね、陽菜」
視線が合ってしまうことへのなんともいえない不安がありつつも視線を外せなかった私はそのまま陽菜に問いかける。
「なぁに?」
「……どうして、朝比奈先輩は、友原先輩と普通に話ができてるのかしら?」
「なぎちゃん……」
「だって、普通はきまずくなるもの、でしょう? 陽菜、だって、朝比奈先輩とたまには話すわよね、どうして、できるの?」
それは暗に昨日の寝る前に考えたことの相談をしているようなものだった。
言いながら少し嫌な気分になっていた。
こんなことを人に話す自分がいることが信じられない。もっというならば、こんなことを考える自分が信じられない。
「私に朝比奈先輩の気持ちはわからない、けど……私は、後悔してないから、かな?」
「後悔?」
「うまくは、言えないけどね、ちゃんとじゃないけど告白もしたし、悲しかったけど……でも、よかったって思えてるから。……なんて、ただ、諦めちゃっただけかもだけど」
「なら、……私は、後悔してるから、なのかしら……?」
そして、朝比奈先輩も後悔してないから、友原先輩と話ができる?
私はこんなに胸が痛い。それは告白してしまったことに未練があるから、こんなに胸がいたいの?
でも、それは、つまり
「でも、それって、諦めてないってことだよね」
「っ、そう、ね」
心の中で考えようとしていたことを陽菜に先回りされる。
昨日陽菜にそういったときとはこちらの心の状況が大分違ってはいるけど、それは変わっていない。
あの人の側にいたいと思う自分はまだまだ心を占拠している。
「私にはなぎちゃんがどうしたいのかわからないし、どうするか決めるのはなぎちゃんだけど、なぎちゃんがしたいことをすればいいって思うな。って偉そうだけどね」
「……そうね」
「っ……」
「でも、ありがとう」
「もう、なぎちゃんは」
人の心っていうのは臆病、ね。
そうしたいと決めていても一人ではそうできない。
誰かに背中を押してもらえないと、自分のしたいことすらできない。臆病な私。
背中を押してくれる相手がいるのはありがたいことなのだけれど。
「にしても、なぎちゃん」
「ん?」
私のありがとうで少し場の空気が緩んだのを敏感に察した陽菜は少しおどけたように口調をしてきた。
「普通、そういうことって言う前に考えない? 駄目だったらどうしようって」
「駄目だったらなんて思ってなかったから」
「え!?」
「冗談よ。初めてだもの。色々段取りも悪くなるわよ」
「……なぎちゃんが変わってるだけな気もするんだけど」
「否定はしないわ」
軽口を叩きながらも私は相変わらずこちらに気づいていない朝比奈先輩に強い視線を送るのだった。
食堂のことがあってから私は、積極的に朝比奈先輩に話しかけた。そのほとんどが冷たい視線を向けられて無視をされてしまうけれど、その時は引き下がっても、時間を置けばまた懲りずに話しかけた。
そんなことをしてしまう自分に少しだけ、嫌気を感じながらも先輩への気持ちは止まらない。
(にしても、これってストーカー?)
ふと、そんなことも思ってしまう。明らかに先輩は嫌がっているというのに、その気持ちを無視して立ち向かう。
程度はともかく、そういわれても仕方ないかもしれないわね。
もっとも、そんなこと言われてたら片思いのほとんどはそういった類のものになってしまうのかもしれないけれど。
コンコンコン。
「っ?」
陽菜のいない部屋で、一人考え事をしていた私はノックの音に反応し顔を上げた。
「どうぞ」
ノックをするくらいだから陽菜ではないな程度に考え私はそう口にするが。
「邪魔するわ」
その視線の先に移ったのは
「っ!? あさひな、先輩」
一番ありえないはずの人物だった。
学校帰りからすぐなのか制服のままで、凛とした静かな、でも少し冷たくも感じる空気を纏いながら先輩は部屋の中へと入ってくる。
「なんの、御用でしょうか?」
話すことを望んでいたはずなのに、どこか棘のあるような口調になってしまうのはなんとも私らしい。
「少しだけ、あなたと話がしたくて」
「話、ですか」
そう、と短く答えながら先輩はベッドそばにいた私から少し距離をとって座った。
(……どう考えても、私に愉快な話じゃない、でしょうね)
それは状況から考えても当たり前だし、なにより……そういう目をしている。
私は黙って嫌なことが発せられるであろう先輩の唇に視線を移しその唇が開かれるのを待った。
「………」
(……嫌な沈黙ね)
私にとって嫌なことが言われるのはわかっているのに、その時間が長ければ長いほどその話が重いもののように思えてしまうもの。
……もう話しかけるなとはすでに言われてしまっているけれど。
「…………もう、」
と、先輩の形いい唇が重苦しそうに開く。
「やめたほうがいいわよ」
妙な言い回しだった。
やめてではなくやめたほうがいい。
「どういう意味ですか?」
「そのままよ」
「表面的なことを聞いているんじゃありません」
「……水谷さんのためにならないから。このままでいても」
先輩は私に視線を送らない、というよりもどこか別のものを見ているような瞳だった。
「…………私は、私の一番があなたになることはないわ」
「っ――」
「絶対に」
念を押す先輩に、先輩が何を言おうとしているのか少しだけわかったような気もしていた。
「片思いで自分を縛り付けても、意味がないわよ。まして、こんな望みのないものなんて……」
「……………」
言い返す言葉がないわけじゃない。けれど……
ここで言い返せる人間がいたら、人間じゃないわね……
なら、あなたはどうだったなどと。
それを口にすることができてしまうのは人としてどうかしているといわざるを得ない。
「それだけ、それじゃ」
普通に考えれば、だ。
「待って、ください」
私はどうかしているのかもしれない。先輩が好きだというのなら、口を閉ざすべきなのかもしれない。なぜなら、先輩自身わかっていないはずはないはずだから。
それをこちらから指摘するなど、先輩を苦しめようとしているだけかもしれない。
「先輩の言っていること、わからないわけではありません」
すでに立ち上がっている先輩は部屋から出て行こうとしないものの振りかえりもせずに立ち尽くす。
「けど、」
「私は!」
「っ!!?」
ビクっと体を震わせる。
「涼香が好きなのよ。想っていたい」
前にも同じようなことを聞いた。のに、これは……
……これは………
「だから、ありえないのよ。絶対、他の人を好きになるなんて、絶対ありえない。だから、もうやめて」
ブラックホールを見つめるような気分になった。
この人の前じゃ、何も言ってはならない気分にさせられるようなそんな、悲しい気持ちになった。
(……悲しい……?)
そう、悲しくて、悔しい。
(……悔しい)
なら、一生友原先輩のことひきずるんですか? それこそ、望みのない片思いじゃないですか。これから、ずっと縛られ続けて、ただ友原先輩を想うっていう……………………自己、満足、に浸って生きるんですか?
そんなの悲しすぎるじゃないですか!
(言えない……絶対に)
本当に先輩が好きなら、いうべきなのかもしれない。力になりたいと想うのなら、ここで言わなくてもいつかは言わなきゃいけないことかもしれない。
(……でも、……)
言えない。
そんな勇気がない。
「…………それじゃ」
そんな勇気、私には……
「……………」
パタンと軽くしまる音が、ゴォンと鋼鉄の扉が閉まったようなそんな音に錯覚させられ、
「っ……」
私は悔しさに唇を噛むのだった。