思うことがある。
それは以前からわかりきっていたこと。それをこの前の友原先輩との改めて思い知らされてしまった。
(……何も知らないのよね、私)
今さらながらにそのことを思う。
陽菜に励まされ少しは落ち着けてた私はお風呂の中で、膝を抱えていた。
最近、お風呂の中で考え事をすることが多くなった。陽菜のことを邪魔だとか疎ましいとか思ったりしているわけではないけれど、部屋でいるときよりもここのほうが集中できる気がする。
(……何も知らない)
私の知っている事は、結果だけ。朝比奈先輩が友原先輩にふられたという結果だけ。
そこにあった理由も、過程も何も知らない。
知らないくせに朝比奈先輩を好きだという気持ちだけが膨らんでいって、何も知らないくせに友原先輩に一方的な敵意を向けている。
(バカみたいね、私……)
「なーぎさちゃん」
「っ!?」
急に聞きなれない声で名を呼ばれた私はバシャっと水面を揺らしてその人のほうを見た。
「種島、先輩……」
「隣、いい?」
「私の場所ではないので勝手にどうぞ」
「ふふ、渚ちゃんって面白いね」
「っ……」
いきなり現れては面白いなどと評され、私は顔をしかめた。そんな風に言われるなどあまり経験のないことだ。
「何か御用ですか?」
「用がなかったら話しかけちゃだめ?」
「そうは言いませんが、用があるから話しかけてきたんでしょう?」
それ以外は考えられない。何せ私はこの人となんて話したことがないに等しいのだから。
隣に居座った種島先輩のことを私はほとんど見向きもしないで、胸の内で心を決める。
「渚ちゃんってさ、せつなちゃんのこと、どう思ってるの?」
(ほら、やっぱり)
こういうことだとは思っていた。昼間友原先輩にあんなことをして、その友人である人が今まで接触のなかった自分に話しかけてくるということはそういうことくらいしか考えられない。
「…………好きですよ、いけませんか」
もう相手も答えがわかっているであろうことを隠しても仕方がない。どこまでこの人が知っているかはわからないけれど、これを思っているから話しかけてきているはずだ。
「うん、いけない」
「っ!?」
容赦なく告げられたことに私は狼狽して初めて、隣に来た種島先輩をはっきり見つめた。
(っ、なに、この人)
種島先輩は笑顔だった。それは私を小ばかにしたりとかそういうものではなさそうだけれど、何故笑われるのかがわからない。
「冗談、いけないなんてことないよ」
「…………」
言っていい冗談と、悪い冗談とかいうわけではないけど、ここでこんな意味のない冗談をする必要があるの?
「でも、涼香ちゃんにしたことはいけないかな」
「っ。それ、どうやって知ったんですか?」
「涼香ちゃんから聞いた」
「……随分と口が軽いことですね」
「………」
コン、と頭を小突かれた。
「本気で言ってるわけじゃないってわかってるつもりだけど、一応ね」
「…………」
私は気まずくそっぽを向く。
言われたとおり本気ではないし、小突かれた理由もわかってる。だからこそ、面白くない。
「……涼香ちゃんはね、せつなちゃんのこと大好きだよ」
「…………」
突然語られ始めたことに私は耳を傾けながらもそっぽを向いたまま閉口する。
私が朝比奈先輩のことを好きでなければここで、ふったじゃないですかと事実だけを述べることも出来たかもしれないけれど、この人の意図はともかく朝比奈先輩に関しての話をさえぎる気にはなれなかった。
「昔……って言っても入学した頃だけどね、せつなちゃんってちょっと怖かったんだよ? 渚ちゃんにみたいにね」
「私は別に怖くなってありません」
「そ。そんな感じ。冷たいってわけじゃなかったけど、近寄りづらいっていうところはあったかな?」
「それが、何だっていうんですか」
「でも、涼香ちゃんと一緒にいるようになって変わったよ、せつなちゃんは。それってせつなちゃんにはすごくいいことだったって思うな」
「……そんなの、あなたの勝手な想像なんじゃないですか? 朝比奈先輩がそういったんですか?」
結局は、友原先輩に捨てられて、傷ついただけじゃないですか。
まだ冷静なつもりの私は最後に思った事は胸の奥に止め、無意識に床のタイルを引っかく。
「うん。そうかもね。でも、そうだって思うよ」
根拠は、ない。しかし、それが正しいと思える。いや、実際に正しいのだろう。一年以上、二人を見てきたのだから。
(…………信じられないわね、ほんと)
そのことを考えた瞬間そう思った。一年も知らない時間があって、一年を過ごした人がいる。それはただの友達という立場だとわかっているのに、寂しくもうらやましくも思ってしまうのだから。
「だからね、渚ちゃんには【今】だけを見て欲しくないな。今だけを見て、涼香ちゃんにひどいこと言って欲しくない。……涼香ちゃんやせつなちゃんの気持ちを考えてくれなきゃ、ね」
「………っ」
唇をかみ締める。爪が痛くなるほどにタイルをかく。
そんなことがわからないほど馬鹿じゃない! 今でも二人はお互いを大切に思ってることが見抜けないほど、鈍感でもない。簡単に入り込めない、入り込んじゃいけないことだっていうのがわからないわけじゃない!
でも、結果として朝比奈先輩は傷ついたじゃないですか! 届かない思いを抱えているだけじゃないですか!
(……そう、見えるんですよ)
「……こ、んなの。間違ったことだって、わかっています。でも……」
あぁ……やめなさいよ。
「なぁに?」
こんなことをこの人に言ったところで何にもならないじゃない。卑しい人間だっておもわれるだけよ。
「朝比奈先輩が友原先輩からもらったものは、悲しみや苦しみのほうが多いんじゃないですか? あんなに傷ついているじゃないですか。それでも、友原先輩は……悪くないっていうんですか……大切に思いあってるっていうんですか? ……朝比奈先輩が、不幸じゃないっていうんですか……」
人と目をそらしたいことはたくさんある。だけど、私はこういう時に逃げるのは嫌でまた水面に波を立てて相手の顔をはっきりを見つめた。
「うん」
「っ……」
なんでですか!! 私にはそんな風に思えない!!
(だって……何も知らないもの!)
二人に何があったのか全然知らない。知らないんだもん。
バシャ!
一瞬、お湯に顔を打ち付けられることも気にせず膝を抱えて頭をつけた。
「? 渚ちゃん?」
「…………教えて、くれませんか? 二人のこと……」
「……どうして私に聞くのかな?」
少し含みをもたせたようないいかた。
もしかして、この人は……
「そんなこと、わかって、ます。でも……」
やだ、声が、震えて、る、瞳の奥が熱くて、喉がキュウってなって泣きそうになってる。
「知りたいんです、二人のこと。少しでもわかりたい、朝比奈先輩のこと」
「…………」
種島先輩が私をじっと見つめている。私は涙に濡れた瞳でそれを受け止める。
「……うん。わかった」
「ん、は、ぁ……」
火照った体で顔を真っ赤にしながら私はベッドで横になっていた。
(……友原先輩と、朝比奈先輩と、西条先輩……)
三人の間にあった三角関係。
そして………友原先輩の過去。
お風呂で聞くには長く、重い話だった。
友原先輩は私が望むのであれば話していいといっていたらしい。それを人づてにしたのも友原先輩の配慮だろう。多分、あの人だったらまともに話なんか聞いていられなかったから。
(あの時、泣いていたのはそういうことだったのかしら……)
あの時、あの人を好きになるきっかけにもなった日。友原先輩を支えるのは自分じゃないと思ったんだと思う。友原先輩を想う気持ちは負けていないっていう自信は絶対にあったはずでも、それでも朝比奈先輩は友原先輩が西条先輩といることがいいと思った。
そんなことは私の想像だし、朝比奈先輩にすら明確は答えは持っていないかもしれない。
ただ、結果としては私の今までの認識と変わりはない。
朝比奈先輩だけがそこに取り残され傷ついているという事実は。
そして、
(……結局、何かができるわけじゃないのよね)
知りたかった。あの人に何があったのかを。
しかし、それを知ったからといって何かができるわけではない。知ったとしても、あの人の心に近づけるわけではない。
あの人が私に振り向いてくれるわけではない。
「……朝比奈先輩」
紡いだ名に私は熱を込める。
わからないけど、わかる。先輩の気持ち。一年以上もあの人は恋をしてきた。友原先輩を思い続けてきた。それを別の人になんて簡単には向けられない。それどころか、想いを捨てることだって簡単にできるわけもない。
けど、だからってそれが幸せなの? それが朝比奈先輩の幸せなの?
そんなのはきっと違う。
……友原先輩だって、朝比奈先輩にずっとそんな風でいて欲しいなんて思ってるはずがない。
(…………)
もやもやする。むかむかする。じんじんする。
胸にある恋は一向に落ち着いたりはしないし、むしろいろんなことを知ったせいで余計にこんがらがってるかもしれない。
ただ、その中で私が思ったのは。
(……やっぱり先輩の力になりたい)
最初から思い続けたことだった。