「っ……はぁ……はぁ」

 胸が、苦しい。

「はぁ……はぁ、……は、ぁ」

 胸が、痛い。

「っく……ぅ、っく」

 肩が、震える。

「ひっく……ひぐ……っぅ」

 痛い。痛い。痛い。

(心が、痛い……)

 胸を押さえながら、うずくまるときなはほとんど泣きながら、涙を流すことだけは耐えていた。

(私の、バカ………)

 朝、絵梨子を待ち伏せして、自分で勝手に決めたことを押し付けたときなはまだ若干呆然としていた絵梨子から逃げるように去って、教室に向かおうとしていた足は、少しずつ早くなり、いつしか駆け足になって、教室ではなく気づけばいつも絵梨子と密会をしていた四階の踊り場に向かっていた。

 そこで、自分のしたことに後悔している。

「……何が、【ごめん】……よ」

 泣いてしまいそうな自分を自覚するときなは少しでも感情を吐き出すかのように、数分前の絵梨子に同じ、文句を言う。

(……何も、悪くないくせに)

 うずくまりながらときなは何かに怯えるように自分を抱いた。

 そう、悪くない。

 一年前とは異なり、絵梨子に悪いところなんて何一つない。

(悪いのは、全部………………全部、私じゃ、ないですか)

 絵梨子はときなを信じてくれていたのに。寂しいとは思っても、不安になんか思ってなかったのに。

(勝手に、不安がって……怯えて…………傷つけて)

 全部、自分の都合で!

 絵梨子が、恋人が信じられない、から。

(違う! 信じてる、のに)

 誰よりも、信じてる、のに。愛している、のに。

 別れが、怖くて、離ればなれになった未来を信じられない。信じきれない。

 そして、そんなことを考える自分があまりに情けなくて……悔しくて、悲しくて。

「……っ…」

 また、涙が出そうになる。

「……………………先生」

 さらには、先ほどさせてしまった表情を思い出しては………

(………すごく、悲しそうだった)

 ついに一筋の涙をこぼす。

 自分が最愛の人にさせてしまった、もっともさせてはいけない顔。

 誰よりも信じている相手に、線を引かれ、その一線を越えることを拒絶された絵梨子の表情は、ときなに重すぎるほどの罪悪感を与えていた。

「……っく……ぅ……」

 顔をゆがめ、心から湧き出る暗く鬱屈とした気持ちにときなは耐えきれず声をあげずに泣き始める。

 わずかに涙を流し、小さく肩を震わせ、もれそうな嗚咽をとどめる。

「っ……く……は、ぁ」

 それでも時折絵梨子の表情が頭に入ってきて、こらえきれずに声が漏れた。

 そうして、しばらくの間誰にも気づかれずにときなは泣き続けた。

 

「…………………」

 落ち着いて、しまう。涙を流すことで人は、どれほどつらい出来事があっても一定の落ち着きを見せてしまう。

 涙が止まってしまったときなは力なく立ち上がったときなはふらふらと壁にもたれかかった。

「……………さぼちゃった」

 泣き止んでから最初に口にしたのは、絵梨子とはまったく関係ない言葉だった。

(……二回目、ね)

 だが、関係ないはずの言葉だったのにときなはそこから絵梨子を連想してしまう。

 最初はあの時だ。

 恋人になった日。

 絵梨子に救われた日だ。

「……………先生」

 浮かんできてしまう。その人を悲しませてしまったことに泣いていたのに、絵梨子のことはきっとどんなものからでも連想できてしまう。

 それほど、ときなの中に絵梨子との思い出は大きく、かけがえのないものだ。

 その自覚はあるのに……

「………っ」

 泣いたことで少しだけ落ち着いていたはずの心がまた揺れ始め、ときなはそれに耐えるように唇を噛んだ。

(……悲しませた)

 大好きな人のことを、一方的な理由で。

(………きっと、これからだって)

 悲しませる。

 今のときなにはそんな未来しか想像ができない。

 今回助けてもらおうと、これから何度だって悲しませる。

 そのたびにまた助けてもらったとしても、また悲しませる、傷つける。

 繰り返してしまう。

 そんな想像が頭に浮かぶたび、ときなは自分への罰のように腕に爪を立てるが、その程度のことでは心をヘドロのようにへばりつく気持ちは散らされることすらない。

(……そんなの、まともじゃないわね……)

 絵梨子を悲しませたことに、自分自身深く傷ついているときなは、自分をそしることに抵抗を覚えられない。

(……そんなの、耐えられないわ)

 悲しませ、助けられ、そんな自分を自分で傷つける。そんな未来、耐えられない。

「ふふ……」

 ときながめったにすることなかった自虐的な笑い。嘲るように、自分を笑う。

「………向いて、ないのかもね」

(人を好きになるのが)

 ここまで人を好きになったのは初めてのことだった。本当に、大好きで……愛とよべるものだと思っていて、一緒に未来を歩けるとも思えていた。

 だが、現実はこうだ。

 別れに怯え、好きになった相手すら、好きでいる自分すら、信じられない。

(……きっと、本当の恋人、心から相手を愛しているのなら……違うんでしょうね)

 離ればなれになるからなどと、そんな程度で相手を信じられなくなったりしない。自分を信じられなくなったりしない。

 世の中の人間がみんな自分みたいであれば、遠距離恋愛なんて言葉すら存在しないだろうし、恋人関係や、結婚をすることだって無理だろう。

 自分は特別で……それも悪いほうに特別。

 弱り切ったときなは自分をそう当てはめてしまう。

「………………」

 いつの間にか、涙は止まっていて乾いた心には悪魔のささやきが入り込んでいく。

「……向いてないなら………しょうが、……ないか」

 無意識に小さくつぶやいたときなは、今度は心のなかで、それに、と付け加えた。

(……先生のこと、傷つけ続けるなんて、耐えられないもの)

 そして、まだまだ子供のときなは一人でそんなことを決めてしまうのだった。

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