超然的な声を出してときなを呼び止めた絵梨子ではあったが、心の中ではときなの言葉に傷を負っていた。
ある程度予想はしていた。いきなり会いたいということもさることながら、この部屋に来てからの態度を思えば、こんなことを言うのだろうということは。
しかし予想してたからと言って、それが悲しくないはずはなかった。言われたことももちろんだが、言わせてしまったことも絵梨子にはつらいことだ。
最愛の恋人にこんなことを言わせてしまう、それは恋人として罪と言ってもいいだろう。
(……でも、いいわ。全部、受け止めてあげるから)
「……離して、ください」
腕を掴まれながらも振り返ろうとしないときなは、まだまだ震えたままの声でそう言った。というよりも、短くそう口にするのが精いっぱいだったのだろう。
絵梨子には見せないが、瞳の奥に熱さを感じている。潤んでいるのはときな自身自覚はある。
「いや、もう離さない。絶対にね」
それはもちろん、この手を二度と離さないという意味ではない。ときなもそれを察して
「……やめて、ください」
心から悔しそうな声を出した。
その理由は絵梨子にもわかった。
「い、った、じゃない、ですか。無駄、だって、いくら、先生が…、私を【助けて】くれても変わらないって、また、繰り返すだけだって」
多分、このまま一人にしたらときなは泣き出すだろう。だが、今は泣かない。泣いてしまったら絵梨子への弱みになってしまうから。
「それが、何?」
「っ………」
「ときながつらかったら、苦しんでたら私は助けるわ。絶対。何があったってときなのところに駆けつける。何度でも」
「…………」
「まして、今目の前で泣いてるなら、なおさら、ね」
「……………」
実際に涙を流していないときなではあるが、絵梨子の言葉を否定することすらできない。
「ねぇ、ときな」
ときなの心が揺れ動いていることを悟った絵梨子は、今までのどんな言葉よりも優しくときなのことを呼んだ。
もうこんなことをさせないために。
しかし、
「やめてください!」
絵梨子の腕を振り切り、絵梨子と再び向き合ったときなは大きな声を出して絵梨子を遮った。
「無駄だって、言ってるでしょう! いくら先生に優しくしてもらったって、私は……先生のことを信じられなくなる時が来るんですよ! 好きで、好きでたまらなくても、離ればなれになるのが怖くて、離れた後のことが信じられなくなって、苦しくて、痛くて……こんな想いをするのが嫌で、そんなのに耐えられなくて……そうですよ。私は、痛いのが、苦しいのが、嫌だから、これからもそんな思いをするのが嫌だから、もう先生とはいたくないんです。そんな、自分のことしか考えられないような人間なんですよ!? だから、先生は早く私のことなんて忘れればいいんです!」
それは必至な訴えだった。それが心からの本心ではないだろうに、ないからこそ言葉だけは必死にそれが本物のように見せかけた。
だが、絵梨子はそんなときなの気持ちをあっさりと見透かして
「ときな」
優しく、抱きしめた。
「……………っ」
離せ、とすら言えずときなは悔しそうに視線を下げる。
「私もね、臆病だった。前ときなにそんな風に言われて、どうすればいいのかわからなかった。……ちょっとだけ、同じ風に考えたりもしたのよ。私なんかと違ってときなにはこれからがいっぱいある。なら、私が身を引いた方がときなのためなんじゃないかってね」
「…………」
「でもね、やっぱりそんなの嫌。私は、ときなのことが好き……ううん、愛してるもの」
「っ………」
絵梨子は自分の腕の中でときながわずかにビクンとするのを感じた。ときなの心に言葉届いたのを感じた。
「……多分、私ずっと望んでいたって思う。でも、いろんなものが邪魔して決めきれなかった。……その時だけになって、ときなとの未来をちゃんと考えてなかったんだと思う」
今まではただの恋だったのかもしれない。別れるという想像をしていたわけではないが、本当に未来まで考えていたかと言えば、それは今口にした通りだ。
「でも、決めた。もう、絶対に離さない」
引き留めたときと同じことを繰り返し
「ときなを私のものにする」
伝えたかったことを素直に伝えた。
「………………せん……せ」
絵梨子の言葉が頑迷に閉ざしたはずの心の扉を開けようとしていることを思い知りながらときなはそれでもその扉を閉めた。ときなとて、浅い決意でここにいるわけではないのだから。
「だからね、受け取ってほしいものがあるの」
そう言って絵梨子はときなから一度離れた。今なら、そうしても逃げ出したりはしないという確信を持ちながら。
すぐに絵梨子は目的のものを手にする。
小さな、手のひらに乗るサイズの箱を手にした絵梨子はその箱を開き、ときなの手を取る。
そして、逃げはしないものの絵梨子を見てはいないときなの左手にリングケースから取り出したそれをはめる。
左手の、薬指に。
「結婚、しよう」