結婚。

 ときなを好きになってから、それを考えたことは一度や二度ではない。ただ、深くそれを考えたことはなかった。

 いつもすぐに打ち消していた。

 どうせ無理だと、現実的ではないと、諦めていた。本気で好きで、ずっと一緒にいたいと思うのなら考えなければいけないはずなのに。

 ……諦めていた。

 だが、ときなが自分から離れようとしていることを知って、決心できた。

 自分がときなを誰よりも愛していることに改めて気づいた今、離れるなんて考えられなかった。ときなのいないところに自分の幸せはない。また、ときなもそうであると思った。それほどの時を、想いを過ごしてきた自信はあったから。

 だから、もう手を離さない。気づいたから、気づけたから、距離は離れても、ときなの心を離したりなんかしない。

 そう。

(ときなを私のものにしてみせる)

 

 

「け、っこん…………」

 薬指にはめられた指輪を見つめながら、ときなは現実感を失ったようにつぶやいた。

「そう。結婚」

 対照的に絵梨子は力のこもった声でときなに同じことを告げた。

「私、ときなが好き。大好きで、愛してる。ときなといるだけで嬉しいし、幸せ。でも、ときながいなかったらそうじゃない。ときながいないと嫌よ。さっき、私に幸せになってほしいって言ったわよね」

「………………」

 ときなは何も答えない。ただ、左手の指輪を、エンゲージリングを見つめる。

「私の幸せはときなと一緒にいることよ。他の誰でもだめ。ときなじゃないとダメ。ときながいいの。ときなと一緒に、これからを歩いていきたい。楽しいことも、嬉しいことも、つらいことも悲しいことも、幸せも、全部をときなと一緒に過ごしたいの。この三年間そうだったように、これから先もずっと、ときなと一緒がいい。一緒じゃなきゃ、いや」

 まっすぐ心から心への最短距離を行く絵梨子のプロポーズ。

 これが、【本物】でないことは絵梨子自身わかっている。わかっているから、あきらめていた。打ち消していた。勇気が、なかった。

 しかし、今は違う。

 今は、これが絶対の気持ちだと言える。これから先、何があっても変わることのない愛だと根拠がなくとも確信だけはできた。

「だから…………」

 三度同じ言葉を口にする。

「結婚、しよう」

 ときなの左手を両手で包み込みながら、愛そのものを込めた言葉を。

 それに対しときなは

「ふざけないでください!!」

 絵梨子の手を振り払って、受け止めきれなかった気持ちを溢れさせる。

「ふざけてなんかない。本気よ」

「っ! ふざけてますよ! こ、んな……こんなの! ふざ、けてます……先生は、私の気持ちを全然わかってない、私は……私が! どれだけ、悩んだって思ってるですか!? どれだけ苦しんだって思ってるんですか!? ここに来るまで、すごく、不安で……怖くて、絶対に言いたくないことだって、言った、のに……」

 ときなは必死だった。声を荒げ、言葉に感情を載せ、絵梨子を歪んだ視界でにらみつける。

「大体、これがっ……け、っこんが、なんだっていうんですか!? こんなことしたって何も変わらないんですよ! 距離が縮まるわけじゃない、会えないのが変わるわけじゃない! なんにも変らない!!」

 卒業という別れにときなも、絵梨子と同じことを、結婚を考えたのかもしれない。こうしてもらうことを考えたのかもしれない。だが、ときなは諦めたのだろう。

 一度ならずとも、それを考え否定したからこそときなは絵梨子の申し出にこう反応するしかなかった。

「……そうね。変わらないかもしれない」

「っ!!!」

 絵梨子のその言葉にときなの視線が一層厳しさを増す。だが、おそらく涙にゆがみ絵梨子の姿を捉えきれてはいない。

「でも、変わるって思う。ううん、変わるわ。二人で変えていける。……これはその証なの」

 言って、絵梨子はエンゲージリングにそっと触れる。

 ときなはその手を払ったりはしなかった。

「どこにいても、どれだけ距離が離れても、私がときなを想う証。離れても、またこうして一緒になろうって証。私がときなを愛してるって証なの。どんな時でもこれを見て。私がときなを愛してるんだって思い出して。そうしたら、きっと大丈夫。変わるわ。ときなが怖いって思ってることも、嫌だって思ってることも全部」

 ときなへと向けられる、どこまでも優しく、特別で、素敵な気持ち。それはきっと二人が積み重ねた時間と想いが形になったもの。

 そして、これからの未来への気持ち。

「……だか、ら……! そん、なのは……無駄、だって……」

 だが、それでもときなはそういった。肩を震わせ、瞳いっぱいに涙をためて。

「こんな、の……結局、なに……も……」

 閉ざした気持ち。傷つきたくなくて、傷つけたくなくて。すべてから逃げようと、心を閉ざしたはずだった。

「先生、は……私の、こと……ぜんぜん」

 だが、絵梨子の指輪はその閉ざした心の鍵となり、絵梨子の言葉は押し殺したはずの心を解き放つなによりの力となる。

「こん、な……、わ、わたし……わたし…う、あ…あぁ…」

 いや、違う。閉ざした心の内から絵梨子への気持ちがあふれて、あふれて、あふれて……

「うわっぁああああん」

 止まらなくなった。

「あああぁあん!! っひっく、せんせい……せんせぇ……せんせぇええ!!」

 やっと流せた涙が堰をきったように溢れだし絵梨子へとすがりつく

「ひっく……っく、うぐ……ひどい、ずるい……こんなの、ずるすぎます……」

もう泣いてることを隠さない声。そこには哀しみとは正反対の感情が乗っている。

「いつも、そうですよ。ぅく……私が、苦しんでるのに、どうすればいいのかわからなくなってるのに……いつも先生はこうやって、ずるいことをする、私の気持ちなんて考えないで、いっつも私の、先にいっちゃう……ほんと、ずるい…」

 すべてを絵梨子に預けながらときなはそうして、心がくすぐるような気持ちを口にした。

 そこにもう悲哀は存在しない。

 それを感じた絵梨子はときなの頭を優しく撫でた。

「だって、私はときなの先生だもの。ときなが迷ってたら、手を引いてあげるわ。一人じゃ出せない答えだって、導いてあげる。これからだってずっとそうよ。そうやって二人で一緒に進んでいこう。ずっと、ずーっと先まで」

 それはときなが今までに聞いたどんな言葉よりも優しい声だった。心から全身に響く、世界で一番素敵なプロポーズだった。

「ひっく……ひぐ……」

 ときなは何も言えなくなってしまった。ただ、絵梨子の想いに涙をする。

「……これじゃ、私が、バカみたい、じゃないですか……ひぐ、本気、だったんですよ……本気で、別れ話をしに来たのに、プロポーズ、されて……こんなに、嬉しく、なってる」

 言いながらときなは左手の薬指の指輪を愛おしそうに右手で包む。

「……ひっく、ずっと、先生に助けられて来たけど、いっぱい嬉しいことをもらったけど、今が、一番………嬉しい。大好き、……大好き、ひっぐ……大好き……」

 眩しすぎて、可愛すぎて、幸せすぎて、まともに見たらそれだけで照れて目をそらしてしまいそうなほど輝いた泣き顔。それは今まで絵梨子が見てきたときなのどんな表情よりも幸せな笑顔。

「ときな……」

 抱きしめた腕の中でときながそんな笑顔をしていることを確信しながら絵梨子も同じように笑顔になる。

 ときなが今までみたどんな絵梨子よりも幸せな笑顔に。

 そうして、ときなの体を一度離し

「……もう一回いうね。今度は、ちゃんと答えを聞かせて」

 指を絡めていく、心をつなげていく。

「結婚しよう、ときな」

 幸せへと向かうその言葉に

「……はいっ」

 ときなは涙でくしゃくしゃになった顔で答えた。

 そして、本当に心から相手を信じあえた時、本当に幸せなときにだけ現れるその笑顔に

「……愛してる」

 永遠を誓う口づけをした。

 

5/エピローグ

ノベルTOP/S×STOP