一日の仕事を終えた絵梨子は、木枯らしの吹く中寮へと向かっていた。

 数週間前には色づいていた周りの木々は今は色を失い、一年の終わりが近づいているのだと嫌でもわからせてくれる。

(ときな……)

 思っているのは様子のおかしかった恋人のことだ。ただ、今寮へ向かっているのはその相手と会うためではない。

 コンコン。

 絵梨子は寮にたどり着くと、挨拶をしてくれる何人かと軽く話した後入口から一番近い部屋の扉をノックした。

「はーい。どうぞー」

 誰だかまでは知らない部屋の主の答えに応じ、絵梨子は部屋に入っていく。

「っと、絵梨子」

 畳の床に、大きく構える炬燵。寮生の部屋よりも一回り大きく、しかも一人部屋であるこの部屋の主で、学生時代の絵梨子の先輩にして、寮の管理人である宮古はやってきた後輩を少し意外そうに見つめる。

「ちょっと、いいでしょうか?」

 アポイントもなしにやってきた絵梨子はドアを閉めながら遠慮がちに言った。

「可愛い後輩を追い返すほど冷たい人間になったつもりはないわ」

「ありがとうございます」

 言いながら、絵梨子は部屋の中央に向かって行って炬燵に入っていく。

「にしても、ここだけ炬燵があるってずるくないですか? 生徒たちは炬燵もエアコンもない部屋で頑張ってるっていうのに」

「いきなりご挨拶じゃないの。いいのよ、若い子を甘やかしちゃいけないわ」

「否定はしませんけど」

 自分たちも当時は同じ状況だったのだ。自分たちが耐えてきたのに、今の世代に甘えを許すのは面白くはない。もっとも、自分がそうだったから相手もそうであるべきだ、などというのは人間の最も悪いところの一つではあるだろうが。

「で、そんな話をしに来たんじゃないんでしょ」

「えぇ」

「何? 今年もクリスマスに来てもいいかって話?」

「いえ、今年は……」

 去年はときなに会うために寮のクリスマスパーティーに出席した絵梨子ではあるが、いくら学校の教師とはいえ、それを監督する宮古に無断で出るわけにもいかず去年の同じ時期にはその許可をもらいに(正確にはときながクリスマスに寮から出られないことを知って慌てて)来ていた。

「あぁ、そうね。今年は、来る理由ないものね」

 歯切れ悪くそうじゃないと言おうとしていた絵梨子に宮古は何かを思い出したかのようにそう言った。

「ま、まぁ、そうです」

 そう、今年は理由がない。

 言うまでもなく去年クリスマスパーティに出たのは二人きりでないにしろときなと過ごすためだったが、今年はときなのほうに予定がある。

 と言っても、それは絵梨子が独占するようなことではなく、まぁ、平たく言えば受験だ。

 年明けてからが受験の本番ではあるが、今回ときなが受けようとしているのは一般受験ではなく、絵梨子が通っていた女子大の特待生受験で、それが運悪く(と言ってもどうせ絵梨子と二人きりになれるわけではないが)クリスマスに当たってしまっているのだ。

 だから、絵梨子はクリスマスにこの寮に来る理由がない。

「じゃ、なんのよう? あんたが呼ばれてもないのに来るのは大体、ときなさんのことだろうけど」

「……ぅ」

 教師として、生徒が住むこの寮の管理人である宮古に会いに来ることは珍しくはないが、そういうときは大抵約束を取ってから訪れる。

 約束もなしに来るのは言われたとおりときなに関する時がほとんどだった。

「その、最近とき、朝比奈さんの様子はどうですか?」

「朝比奈さん? せつなちゃんのほうかしら?」

 一応、ときなとの約束を順守しようとする絵梨子に二人の関係を知っている宮古はいじわるくそう口にする。

「ときなです!」

「はいはい。わかってるわよ。っていっても、別に変ったところはないと思うけれど?」

「そう、ですか」

「まぁ、この時期に何も変わったところがないっていうほうが変わってるのかもしれないけど」

 それは、そうだろう。

 大学受験と言えば、人生の大きな岐路であり、また初めてぶつかる大きな壁でもある。進学校であるこの天原女学院では、さまざまなプレッシャーも存在するのだ。

 毎年、一人や二人は心を病んでしまう生徒が出るほど、生徒たちが感じるものは重いはずだ。

 その中で何も変わってないように見えるというのは……

(多分、意識的にしてるんだろうな)

 ときなはそういう人間だ。

 自分からは決して弱みを見せようとしない。また、自分で解決もできてしまう。今回だってそうだろう。立場的にときなの成績は見れてしまうが、まるで問題ない。

 ほとんどすべての大学を合格する力はあるだろう。

(やっぱり………)

 朝の一件が絵梨子の頭をよぎる。

(卒業が、目の前って言いたかったんだろうな……)

「………絵梨子」

「っ……!」

 ほぼ確信していたことを確信に変えると同時に宮古はいきなりやってきて、いきなり黙った後輩の頬をひっぱる。

「にゃ、にゃにするんですか」

「人んところ来ていきなり黙ってんじゃないわよ」

「ぅ、す、すみません」

「というか、さっさと本題に入りなさいよ。ときなさんの様子なんて私よりもあんたのほうが詳しいでしょ。何しに来たのよ」

 付き合いの長さというのは偉大だ。言いたいことをわかってくれる。それは、恋人であるときなとはまた別の安らぎをもたらしてくれる。

 その安らぎにもたれかかるように絵梨子は本題を話し始めた。

「先輩は、その……大学を卒業するとき、どう、でした?」

「何がよ」

「八重さんと、一緒にいられなくなっちゃうって、考えませんでした?」

「………なるほどね」

 その二言だけで宮古は絵梨子が相談に来た理由を察し、得心する。

「ま、そりゃ考えたわよ。それこそ毎日一緒にいたわけだしね。八重をここに住ませるわけにもいかないし。今までこれだけ一緒だったのが、一緒じゃなくなったらどうなっちゃうのかって」

 まさに、絵梨子の悩みと一緒だった。宮古と八重のようにほぼ一緒に住んでいたといわけではないが毎日会っているという点では同じだ。

「やっぱり、割り切ったんですか?」

 どうしようもないのは事実で、変えようがないものだ。結局はそこに行き着く以外はないのではないか。そんな諦めにも似た気持ちが絵梨子の中にはあった。

「さぁ? その言い方がどうかはしらないけど、私たちは会えなくなることを寂しくは思ったけど、悲観はしなかったわね」

「ど、どうして、ですか?」

「ま、有り体に言えば八重を信じてたしね。それだけの時間を積み重ねた時間はあるし、これからだって八重の気持ちが揺らぐことはないって自然に思えてた。貴女たちは違うの?」

「そんなことは……」

 ない。

 少なくとも絵梨子の中では。

 絵梨子は、ときなを信じているし離れたからと言って自分の気持ちが揺らぐことはないと確信しているし、ときなも気持ちも同じだと思っている。

 一年以上前から二人で別れから目をそらさずにここまで来たのだから。

(……でも、きっと、ときなは………)

 違うのだろう。不安に思っている。

 卒業を、別れを。

 別れたその先を。

 そして、ときなはそれを隠したがっている。

 もともと甘えたり頼るのが苦手なときなだ。まして、一度はそれに立ち向かい克服したはずのこと。ときなが言い出しづらいのもわかっているつもりではあるが。

(それだけじゃないような……)

 何か別のものを隠している気がする。それは、確信ではなく絵梨子自身、本当にそんな気がするだけではあるが、それを感じたからこそ絵梨子は一足飛びにときなには向かわずここに来ていた。

「………まぁ、こうしろ、とは言えないわ。私たちがそうだったからとしても、二人がそうするのが正しいとは限らないし。ただ、もう一回ちゃんと話し合うべきじゃないの? 意識しちゃった以上、それを無視してもぎくしゃくするだけだろうし、そんなんで卒業までの時間を浪費することもないでしょう」

「そう、ですよね」

 正論だ。少なくともときなは卒業を不安に思っている。それが事実で、絵梨子もそれに気づいている。一度誓い合ったからと言って、それに目を向けずにいたところで二人の時間が良好なものになるとは考えがたい。

(うん、とにかくちゃんとときなと話をしなきゃ)

 結局、今の状況を打開する答えのようなものはなかったがそれだけは決められた。

 しかし、ときなの本当の悩みに気づくことはできず安易に決めてしまった絵梨子は、後悔することになる。

 

 

「……………」

 十二月の半ばの土曜日。

 学校が休みであるはずのこの日、ときなは朝普段より少し遅めに起きると、軽く朝食をとり、普段と同じように制服に着替える。

 着なれたワンピースの制服。毎年変わったスカーフの色はついに最高学年の赤となり、それも後数か月で外すことにもなる。

 鏡で身だしなみを整えたときなはそんな思いにかられながら、さらに固い表情になって校舎へと向かって行った。

 目的は絵梨子に会うためだ。

 二日前、いきなり絵梨子が話したいことがあると部屋に誘ってきたが、ときなはそれを拒絶していた。

 図書室で勉強するからなどという、教師からすれば言い返しようのない理由を付けたが絵梨子はそれでも引き下がらず、終わってからでもいいと言い出し、ときなは諦めた。

 絵梨子は絶対に話をするつもりなんだろうと。

 それを感じたときなは、じゃあ、学校でとなんとか場所をまだ自分にとって都合のいい場所に指定した。

(部屋なんかいったら……絶対、流されちゃうもの)

 ここ最近、ときなは絵梨子に対する言葉を意識的に悪くしている。それは決して、絵梨子に対する気持ちが揺らいだからではない。

 絵梨子への想いは一パーセントたりとも損なわれてはいない。

 だが、ときなは絵梨子に対して虚心ではいられなかった。

 絵梨子の話がどんなものかはわかっている。絵梨子が自分の望むことを言ってくれる、してくれるであろうこともわかってはいる。

(だけど、それは………)

 もう校舎の敷地に入ったときなは待ち合わせ場所へ向かう歩を緩めはしないものの、心を重くしていく。

 絵梨子の話、行為。

 それは、ときなが望んでいるものであることは間違いない。だが、同時に

(……そんなことされたら、私は………)

 してほしいこと、言ってもらいことを、されたくも聞きたくもないと思う自分は確かに存在していた。

 いや、これから絵梨子と会うことを拒絶したいと思う気持ちのほうが大きい。

 絵梨子を好きであるがゆえにそんな矛盾を心に宿すときなは、これからの絵梨子との対面で自分の不安が的中することを知る。

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