テストは終わった。

(終わった、のに……)

 テストの最終日、生徒たちの晴れやかな顔とは対照的に絵梨子はテスト前よりも落ち込んでいた。

 このテスト明けの休みこそ先約があるといっていたときなだったが、もしかしたらテストが終わったら会いに来てくれるのではと甘い期待を持っていた。しかし、教室を訪れてみてもすでに姿はなかった。

「はぁ〜〜」

 ときなを疑うつもりは一切なくとも、不安というのは勝手に膨らんでしまっていくもの。

 ありえないとは思ってももしかしたら嫌われてしまっているのではという気持ちすら生まれてしてしまう。

「…あれ?」

 落ち込みながらも仕事をサボるわけにもいかない絵梨子は生徒会室に取りに行くものがあってきていたのだが、ドアに手をかけると首をかしげる。

(どうしてあいてるのかしら?)

 テスト最終日のこの日は、採点のこともあり生徒はかえらなければいけない日なので普通に考えれば誰もいないはず。

 不思議に思いつつもドアを開けた絵梨子はそこで最近色々頭を悩ませてくれる相手を見つけてしまった。

「とき、朝比奈さん」

「あ、桜坂先生」

 ときなは一人机に座ってなにやらプリントと向き合っていた。

「どうしたの?」

「いえ、少しやっておきたいことがあったので。心配しなくても許可はとってありますよ」

「そう」

 やはりクールに振舞われているが、なるべくそれを気にしているのを悟られないよう自分も目的のものを探し始めた。

「……そういえば、久しぶりじゃない?」

 しかしやはり気にはしてしまい、あえてときなに背中を向けながら絵梨子は声をかけた。

「ほとんど毎日あっていると思いますけど」

「そうじゃなくて、こうやって二人きりになること」

「かもしれませんね。この一週間はテストで早く帰ってたし」

「テスト、どうだった?」

 何気ないことを聞いているはずなのに、絵梨子の顔はさえなかった。

(……こんなことしか言えないなんて)

 ときなに気づかれないよう小さくため息をつく絵梨子。このところときなに少し冷たくされている現実が絵梨子を臆病にさせてしまっていた。

「いつも通りだと思いますよ。確かなことはいえませんけど」

「そう。さすがね」

(あ、もう見つけちゃった……)

 取りに来た書類を発見した絵梨子だが、目的のものを発見してしまったことにあせりのようなものを感じてしまう。

 ここにいる理由がなくなってしまったから。

 今までならときながいるというだけで理由になったのに。

(……やっぱり、もっとときなと話したい、わよね)

 心でそう思うと絵梨子は書類は回収しつつもまだ何かを探しているような振りをして見せた。

 最も、ときなは絵梨子がここにいる理由を知らないので振りなどする必要はなかったがそのことに気づかないほどに絵梨子は動揺していた。

「あの、朝比奈さ……」

「んー」

 声をかけようとした瞬間ときなは腕を高く掲げ伸びを見せた。どうやら作業が終わってしまったらしい。

「さて、じゃあ、私はそろそろ行きますね」

「あ……あの」

 まるで絵梨子のほうが年下のように絵梨子は不安そうな顔でときなを呼び止めた。

「何か?」

「よかったら、少し話していかない?」

 このところのときなに対し多少臆病になってしまっているとはいえ絵梨子は自分がときなに好かれているという自負はあり、ここで引き止めるくらいの力はあると考えていた。

「あ、すみません。今日もこれから友達と約束があるので」

 ときなは申し訳なさそうにはしていた。これがここから離れるための嘘じゃないことはわかる。もちろん、前にデートの誘いを断られたこともたまたま予定が合わなかっただけと理解はしている。してはいるのだ。

「あ、そ、そう……」

 ときなはすでに立ち上がって荷物をまとめ始めている。そんなことに時間がかかるはずもない。

「約束があるんじゃ、仕方ない、わよね」

「っ?」

 絵梨子は言葉とは裏腹に荷物をまとめている手を取ってしまった。

「先生?」

 今自分の前から去ろうとしているのは決して自分といたくないからじゃないことはわかっても、デートを断られたのは間が悪かっただけと理解はしても。

「……ときな、最近冷たい」

 いじけた様に本音を言ってしまうのをとめることが出来なかった。

「? 先生?」

「……こんなこと、年上の私がいうなんてはしたないかもしれないけど、ときな、最近全然私にかまってくれてないじゃない。デートだってもうずっとしてないし……」

(やだ……こんなこと……子供じゃないんだから)

「……もっと、私を好きって気持ち、頂戴よ。ときなが私に気を使ってくれてるのはわかるけど……やっぱり、好きな人に素っ気無くされたら悲しいのよ」

(いや、こんなの嫌われちゃうかも……)

 穴の開いた風船から空気が飛び出していくみたいに絵梨子は溜め込んでいた気持ちをときなに吐き出してしまっていた。

 自己嫌悪にその好きな相手すら見ることのできない絵梨子。

「先生……」

 そんな絵梨子の耳にときなの優しい声が響き、

「んっ……」

 次の瞬間には唇を重ねられていた。

 柔らかな唇を重ねあう二人。

 いつの間にか指と指を絡めあわせ、瞳を閉じてお互いを感じあった。

「っはぁ……」

 キスを終えたときなはうっとりとした声をあげて、絵梨子に熱い息を吹きかける。

「すみませんでした。でも、私は先生のことちゃんと大好きですよ」

「あ……うん」

 屈託のない笑顔とまっすぐな言葉を向けられてしまった絵梨子は頷くしかできなかった。

(……やっぱり、ときなって優しい)

 少女のような我がままを言ってしまった自分を恥じながらも、ときなの気持ちを再確認して絵梨子は幸せな気持ちになれた。

 その幸せな気持ちのまま、仕事に戻ろうとした絵梨子だったが

「?」

 ときなが絡めた指を離してくれなかった。

「あの、ときな? ……っ!?

 ときなの意図がわからずに問いかけようとした絵梨子の唇にときなの指が当たる。

「朝比奈さんですよ? 今の私は」

 立場が逆転したかのように諭され、

「ん、む……!?

 再び唇を奪われてしまった。

「ん、ちゅく、ちゅぷ」

 しかも、今度は容赦なくときなの舌が侵入してきて舌を絡め取られてしまった。

「じゅぷ、チュブ…クチャ」

「ん、ふ、くちゅ、ちゅぱ」

 二人きりの生徒会室に官能的なキスの音が響く。

 ここが、学校で今はまだ人が残っている時間というはわかっていても一度キスをしてしまったらとめられなかった。

「ん、ふぁ……はぁ」

「んふふ、キスなんてほんとに久しぶりでしたよね。ん……」

 楽しそうに言ってときなは目を閉じると三度唇を近づけてきた。

「ちょ、ちょっと待って! ときな」

 先ほどキスをしていたときにはキスのほうが優先だったが、正気というかしていない状態ではさすがに立場や理性など様々なものにとめられてしまう。

「もぅ。何ですか」

「ま、まずいわよ。こんな……」

「ふふ、誘ってきたのは先生じゃないですか」

 ときなは器用に体を寄せてきて、いつのまにか絵梨子は机に座らされてしまう。

「で、でもときな…っ」

「だから、朝比奈さんです」

 また、指を唇に当てられ

「ね? 桜坂先生」

 その指をゆっくりと下にもって行き、胸にまで持ってきた。

「ほ、ほらときなは約束があるんでしょう? 私なんかにかまってないで……」

「先生と友達。天秤にはかけられても答えは決まってますよ」

「じゃ、じゃあ早く行ってあげなきゃ」

 ときなの妖艶な雰囲気に飲まれつつも何とかごまかす言葉は口する絵梨子だが、

「本当に先生がそう思ってるなら、行っちゃいますけど?」

「そ、れは……」

 机に座らされている絵梨子にときなは指を絡めたまま体を密着させてくる。互いの鼓動すら感じられる位置で絵梨子は顔を背けることが精一杯だった。

(だ、だめよ。ここは学校で、私たちはここじゃ教師と生徒なのよ?)

 すでにその神聖な学び舎でキスを交わしてしまったという背徳感に絵梨子の胸は早鐘を打っている。

 寂しかったのは本当で、もっと一緒の時間は欲しかった。キスをしたかったのも本音。

 しかし、今ここでときなにされようとしていることを望んでいたかといえば……

 絵梨子は一度目を閉じると高鳴る鼓動を抑えようとする。

「……ときな、あのね……っ!

 ときなの問いに答えようとしていたところにカッカッカっと元気のよい足音が廊下に響いてきた。

『…………』

 その足音に心当たりのある二人は密着させていた体を離して微妙な距離をとった。

 ガララ!

 勢いよく部屋のドアが開けられるとそこに一人の生徒が立っていた。

「あれ。ときなに……絵梨ちゃんじゃーん。何してんのー?」

 百五十センチに届くかどうかの小柄な体躯。多少ボーイッシュなショートの髪に大きなヘアバンド。愛らしい外見とは裏腹な周りを圧するかのような独特の雰囲気をもつ少女。

「少し残ってた仕事をしてただけです。会長こそ、どうしたんですか?」

 水無月 祀。まるで中学生のような外見だが、これでも三年生でこの学院の生徒会長。

「あたしはちょっとお菓子取りに来ただけー。絵梨ちゃんはなんでいんの?」

「私も、ちょっとプリントを取りに来ただけよ」

 教師である自分相手に一切の敬語を使われずに話しかけられるがもはや慣れてしまっていることなので絵梨子も自然に答える。

「ところで会長?」

「んー?」

 自称百五十はあるという体で、パソコン脇にあるダンボールからお菓子を取り出していく祀にときなはあきれたような声を出す。

「一応、学校にお菓子とか持ってきちゃいけないことになってますけど」

 それは表向きですでに形骸化していることではあるが、

「あたしは会長だからいいんだよ」

「そういうことじゃなくて、一応先生がここにいますけど?」

 教師である絵梨子の耳に入れば咎めるなりの義務が生じる。

「……ふむ。絵梨ちゃん、手、出して」

「?」

 祀は手を止めると絵梨子の元に近づき、絵梨子の手にアメを握らせた。

「これで絵梨ちゃんも共犯ってことで」

「……こんなことしなくても怒ったりしないわよ。私たちのときからしてたことだし」

「甘いですね。秩序の乱れはいつだって些細なことから始まるんですよ?」

「ほらほら、ときなにそんなこと言わんで。ほれ」

 ときなにもアメを握らせる。

「もらえるものはもらっておきますけどね。あ、来たのならついでにプリントが机に置いておきましたから見ておいてください」

「えー、めんどー」

「どうせ後で見なきゃいけないんですから、目を通しておいてください」

「はいはい。わかりました」

「じゃ、私は帰るので戸締りもよろしくお願いします」

「え…あ、と…朝比奈さん」

 あっさりと部屋の出口に向ってしまったときなを思わず絵梨子は追いかけるがそこでときなに怖い顔をされてしまう。

 二人は関係をことさら隠そうとしているわけではなかったが、公にするべきものでないのは明らかで普段、特に何かと一緒の時間が多くなる生徒会のメンバーの前ではときなは普段にもまして気を使っていた。

 しかし、この時は一瞬で怒気は収束し、代わりにさっきと同じ熱のこもった声をだした。

「続きはまた今度、ですね」

「っ」

「それでは、失礼します。桜坂先生」

 にこやかに去っていくときなにまた絵梨子はどぎまぎとさせられてしまった。

(……続きって、学校ですることじゃないわよね?)

 そんなことはないとは思うのだが先ほどのことが脳裏をよぎって頬が熱くなってしまう。

「はぁ〜〜」

(っ! 忘れてた)

 ときなに心を奪われていた絵梨子は完全に祀のことが頭から消えうせており、そのため息でやっとその存在を思い出すことができた。

「こんなの別にあたしが見なくてもいいことじゃん。ときなが見たんならときながやってくれりゃいいのに、冷たいんだから。絵梨ちゃんもそう思わない?」

「朝比奈さんは色々大変なのよ。それに今日だってわざわざテスト明けだっていうのに来てたのよ」

「そんなことされると会長であるあたしの立場ってものが……ま、ときながそんなだからあたしが楽できてんだけどさー」

「そうそう。だから、水無月さんも朝比奈さんを見習って……何?」

 何か気になることを言った様には思えないが祀が手を止めてこちらをじっと見つめていることに気づいた。

「なーんか絵梨ちゃんはときなの肩もつ気がするなーと」

「っ。そ、そんなことないわよ」

「ふーん」

「そ、それより何でわざわざここまでお菓子なんて取りに来たの? 別に急ぐことじゃないでしょ?」

「今日友達の誕生日だからみんなで集まるのにあったほうがいいんで取りにきたってわけですよ」

「あ、そうなの……」

「でも、こんなことさせられるんだったらこなきゃよかった」

「……誕生日」

 祀から出てきた単語にふと、遠い目をする絵梨子。

(……誕生日、か)

「? 絵梨ちゃん?」

(……誕生日)

 絵梨子はその単語について深く考え出し、思考を完全に奪われてしまう。

「絵梨ちゃーん?」

「……………」

 結局絵梨子は一分後、祀にほっぺをつねられるまで誕生日について考えていたのだった。

 

 

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