普通恋人の誕生日といったら、一大イベントの一つだ。

 過ごし方は様々であろうが、それを祝わないということはまずありえない。

 ただ、まずありえないだけでまったくないわけではなくここに特異な例もいた。

(……ときなの誕生日って、いつなんだろう)

 暑さも厳しくなってきた夏。空調のない体育館に全校生徒が詰め込まれる中、絵梨子は他の教師が壇上に目を向けるのに反し、絵梨子は生徒会のメンバーが集まる舞台袖を見つめていた。

 ときなは自分を語らないというほどでもないが、率先して話すタイプでもなくまた、人に甘えたり頼ったりというのは苦手だ。

 だから、誕生日というまず一番に知っておいてよさそうなことですら絵梨子は知らないままに今まで過ごしていた。

(でも、今からときなに聞くのも……)

 決していけないことでははずだが、すでに恋人と呼べるようになってからそれなりの時間が経っている。それを今さら問いただすのはなんだか嫌味の一つでも言われてしまいそうだった。それも嫌ではないが、個人としてはともかく年上として教師としてあまりにいいものではない。

 しかし、誕生日を知って祝いたいという気持ちもまた強いものだった。

(それに、理由があればデートとかもしてくれるかもしれないし)

 そんな不順なことすら考えてしまうが、いくらそんな都合のいい妄想をしたところでそもそもその誕生日を知らない現実はかわりようがなかった。

「ぁ……」

 ふと、視線を自分のクラスへと向けた絵梨子はあることに気づいた。

 視線の先にある人物が見える。それはクラスの中でも特別な人物。

 ときなの妹、朝比奈せつなだった。

(そうだ、っと)

 絵梨子は簡単な解決法を思いつくと、丁度終業式の終わりの挨拶をするときなに視線を移すのだった。

 

 

「朝比奈さん、ちょっと」

 終業式が終わり、クラスでの絵梨子の半ば上の空で聞かれてしまう挨拶と悲喜こもごもの通信簿も返し終わり、【夏休み】となった教室で絵梨子はせつなを手招いた。

「少し、いい?」

「はい。何でしょうか?」

 せつなは友人、友原涼香の元から絵梨子の前にやってくる。

「ちょっと変なこと聞くみたいなんだけど、ときなの……ええと、お姉さんの誕生日って知ってる?」

「? そりゃあ、知ってるに決まってますけど」

「あ、そ、そうよね。お姉さんなんだし」

「それで、お姉ちゃんの誕生日がどうかしたんですか?」

「あ、実は……」

(って、あれ……?)

 ときなに直接聞くのは、まずいかなと思ってせつなに問いかけてみたのだがこれがせつなの口からときなの耳に入ってしまうほうがまずいような気がしてきた。

 しかし、今さらせつなに何でもないといったところでもはや遅い。

「え、えっと、その。そ、そう! 今度生徒会の人の誕生日をお祝いすることになったんだけど、誕生日がわからない人もいるから朝比奈さんに聞こうかなって思って」

「………お姉ちゃんに直接聞けばいいんじゃないですか?」

「あ、え、えっと。ほ、ほら内緒でやってあげたほうが嬉しいかなって」

 まったく辻褄が合わないことを口にしているのはわかっているのだが、もはややめることも出来なかった。

「はぁ。まあ、四月二十九日ですけど?」

 せつなは明らかに腑に落ちないといった顔はしながらも質問には答えてくれた。

「あ、そ、そうなんだ……過ぎちゃってるのね……」

「そう、ですね」

「ありがとう。朝比奈さん」

「いえ」

「あ、そういえば朝比奈さんは明後日帰省するだっけ?」

 ときなの誕生日のためだけに呼び止められたと思われるのも得策ではないと考えた絵梨子はときなから聞いていた当たり障りのない話題を口にする。

「……はい」

 せつなはその何でもないはずの話題にわずかな陰りを見せた。

「?」

 それに気づいた絵梨子は、その姿に自分の姿が重なるような気がした。

 一週間もときなと離れてしまう寂しさを絵梨子は抱えている。そんな雰囲気をせつなにも感じたのだった。

(帰りたくないのかしら?)

 普通に考えてそんなこともなさそうだが、

(いえ、違う……?)

 帰るのが嫌というよりも、まず思ったのは寂しそうということ。自分と同じで。

「その……一週間なんてすぐよ?」

 せつなというよりは自分に言いきかせるような言葉。

「……はい」

 絵梨子の心中を察してか、単純に考えたくないだけなのかせつなの反応は鈍く、すでに絵梨子のことなど考えられていないかのようだった。

(友原さん、かしら?)

 寂しそうと見えた。せつなが会えなくなって特別寂しいと思う相手など絵梨子にはそれくらいしか思いつかなかった。

「……先生。すみません、失礼しますね」

「あ、朝比奈さん」

「はい?」

「その……」

 教師として、年長者として、ときなの恋人としてせつなに何かを言ってあげたかったが、以前二人のことは二人の問題だとときなが行っていたのを思い出す。

「ありがとうね。新学期にまた会いましょう」

「はい。では」

 回れ右をして涼香の元へ戻るせつなを見て絵梨子は他人事ではないなと思いながらも、せつなが思いつめなければいいと老婆心ながら思うのだった。

 

 

「はぁーあ」

 一日の仕事を終えて、帰宅のため自らの車に乗り込むと絵梨子は深いため息をついた。

 エンジンをかけようとキーを差し込んだまま、窓から寮の方角を見つめる。

「もぅ、過ぎちゃってるのね……」

 今日の終業式の後に二三言葉を交わしただけのときなのことを思いポツリとつぶやく。

 せっかくときなの誕生日を知ることができたのに、それがすでに過ぎてしまっていた。

 考えてみれば当然かどうかはともかく、せつなが年子であることを考えれば誕生日は早い時期である可能性は高い。

(……一週間も帰っちゃうし……)

 今まで一週間ほとんど会話をしなかったことがないわけではない。しかし、それはあくまで会話をしなかっただけで視界には入ったし、なにより話をしようと思えば機会を作ることはできていた。

 だが、寮からいなくなってしまえばそれはできない。電話で会話をすることはできても、直接会うのとではやはり差があるものだ。

(とにかく、誕生日は……来年かぁ……)

 日付を都合よく変えることなんてできない。

「……来年」

 ふとその言葉に不安を募らせた。

「っ……」

 すると、それを振り払うかのように車のエンジンをかけ少し乱暴に発進させた。

「……………」

 しばらくの間無心に車を運転し、山道を下っていく。

 夏至近くのこと時期ではまだやっと夕焼けになってところで、山を抜ける最後の信号に止められた絵梨子は、正面に物悲しそうな夕焼けを見た。

「……そう、よ」

 その心細い太陽に瞳を少しだけ潤ませた絵梨子は小さくつぶやく。

(今の年齢を祝えるのは、今年だけなんだから。いいわよね)

 自分の中に生まれた別の思考を打ち消すために絵梨子は思考の道を強引にときなへと引き戻した。

 ときなが実家から帰ってきたら誕生日プレゼントをあげよう。

 絵梨子はそう誓って、青信号に車を発進させた。

 

 

3/5

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