夏の暑さというのは意外と嫌いではない。
もちろん、暑いのを歓迎したいわけではないけど例えば抜けるような青空だったり、青々とした木々からの木漏れ日だったり、せみ時雨もほどほどであれば悪くないし、夕暮れのあのもの悲しさは夏特有だと思う。
それらに郷愁を感じるのはやはり子供の頃の夏休みを思い出すからなのかもしれない。
私はそこまで外で遊ぶような子供ではなかったけれど、少なくても今よりは外で過ごす時間も多かったし、学校の開放日なんかには図書室に本を借りに行ってわくわくしながら家路を行ったのを覚えている。
だから嫌いではないのだけれど。
◆
「今日もほんと暑いわね」
「…………」
「全く歩いてるだけ汗が出てくるしやってられないわね」
「……………」
「早くクーラーの効いてる部屋に帰りたいわ」
「……………………」
夏の日、私たちは照り付ける太陽の下を歩いていた。
炎天下の外での活動は避けろなんてテレビで言われたりもしてるけど、これはまぁ不要な外出だ。
隣にいる彼女がアイスが食べたいなどと抜かして、歩いて十分ほどのコンビニにいった帰り。
そもそもコンビニくらい一人で行けと言いたいが、すみれが一人で買い物に行くことは稀で大体は私を付き添わせる。
いやまだそれはいい。何よりも問題なのは
「っていうかこれじゃ、アイス溶けちゃうからまた冷やさないと食べられないわよね。暑い思いをして買いに来たってのに、やっぱり車で来た方がよかったんじゃない?」
ほとんど一人でしゃべり、最後に暑いを繰り返す。
「……暑いなら離れなさいよ」
私からようやく出た言葉はそれ。
すみれは暑い暑いと言いながら家を出た時から腕を組んで歩くのをやめなかった。
家を出た直後はそこまで気にはならなかったものの、数分もすれば汗の滲んだ肌のふれあいは気持ちよくはない。
最初は好きにさせてやろうと思っていたが、物理的な暑さに加えて、すみれからもこんなことを言われれば文句の一つも言いたくなる。
「は? 何でよ」
しかもこの態度だ。
「恋人とはいつだって離れたくないって思うものでしょ」
「限度があるでしょうが。そもそも別にいつもこうしてるわけじゃないのになんでこんな時に限ってしてくんのよ」
確かにべたべたとくっついてくることも多いすみれだが、年がら年中ということはない。
「そうしたいから」
「……………」
言葉もない。あまりに直情的で、人間というよりも動物みたいな理由だ。
だからこそ感情の強さがあると思えなくもないが。
「何よ。恋人の私にくっつかれるのが迷惑だっていうの」
(面倒な彼女か)
心で毒づく。
(……実際面倒な彼女だけど)
すみれへの好意に偽りはないが、すみれを面倒に想うことはまぁ多々ある。
恋愛未経験故の未熟さともいえるかもしれないけれど、大半はすみれ自身の気質によるものと言っていいだろう。
(今この場のことで言えば迷惑以外の何物でもないんだけど)
それを言うと必ず怒る。理不尽だろうとなんだろうとすみれはそういうやつだ。
こいつは私と比べてまだまだ子供なのだ。
ここで機嫌を損ねても面倒なことにしかならないし、私が引いてやるべきだが。
「迷惑に決まってるでしょ。この暑いのにくっつかれて嬉しいわけないでしょ。それに部屋の中ならともかく外でこうするのは好きじゃないわ」
「っ………」
私が反論してくるとは思わなかったのかすみれは一瞬固まり、その隙に腕を外す。
「あ………」
その残念そうな声は耳には届いていたものの、聞かなかったことにする。
いつまでも甘やかすのは恋人としては正しくないだろう。
「ほら、さっさと帰るわよ」
してることは恋人というよりは子供のしつけのような感じだが。
「………………」
駄々をこねることなく後ろをついては来るものの、声をかけてくることはなく背中に感じる視線は重い。
「…………」
すみれがスキンシップを多くしたくなる理由は理解はしている。
それこそ気質もあるが、それ以上に私との時間を濃密にしたいのだろう。
それこそ子供の発想だろうがすみれからしたら二十数年の人生の中で私との割合はまだまだ薄い。それゆえ子供っぽいという自覚はあっても少しでも濃い時間が欲しいのだろう。
それもまた私への愛ゆえで。
「……………はぁ」
何も言ってこないすみれの様子を窺おうと後ろを振り返りため息をつく。
(怒ってるのならまだよかったけど)
明らかに沈んでいて。
「…て…」
手を繋ぐくらいならいいと言いかけてやめる。
これもまた面倒な話だがすみれはそういう同情めいたことをされても嬉しくはないだろう。
とはいえ、最愛の彼女にこんな顔をさせたままでは女が廃る。
頭の中はなんとかすみれを笑顔にしてやりたいという気持ちでいっぱいになり、数分前の自らの行動を悔いる自分がいる。
(というか………)
懐かしい感覚だと思い出す。
早瀬との関係は特殊で恋人は大学の時以来、すみれは初恋だが私も恋の経験なんて二度目でしかなく、
恋とか愛とかそういう単純な言葉で表せる関係ではないけど、それでもすみれの一挙手一投足、感情に振り回せる自分がいて。
(恋、してるんだな)
そう思わざるを得ない。
プロポーズすら済ませている仲でも、まだ私たちは発展途上にいるのだと改めて思い知る。
将来を共にする覚悟をしながらもまだ恋をしているというのも少し妙かもしれないけれどそれもまた私たちには似合っているのかもしれない。
「はぁ、すみれ」
私は振り返り、すみれに手を出した。
「外では手を繋ぐくらいにして」
先ほどは躊躇した言葉を吐く。この選択が正しいかなんてわからないし、そもそも正しいなんてあるかすらも不明だ。
これですみれがさらに機嫌を損ねるならその時はまた何か考えればいい。
私は私の感情を優先し、今すみれに手を伸ばしたくなった。それでいい。
せっかくなのだから私も恋を楽しませてもらおう。
そうして素直に手を取ってくれたすみれと結局は帰ってからもいろいろ面倒なことは起きるのだけど、まぁそれも恋のうち。
まだまだすみれを知り、もっと好きになるのだろう。
それを少しずつ楽しむのも悪くない。