「それはまた変わった頼み事ですね」
すみれと名乗る女性に困難な要求を突き付けられた夜。私は時折訪れるバーのカウンターで、ポニーテールにまとめられた髪と清潔感を感じさせる衣装に身を包んだ女性に昼間の出来事を話していた。
「こういうことはないわけじゃないけど。まぁ、意外な出来事だったわ」
彼女の名前は立花あおい。この店のバーテンダーにして、職場以外で私が話せる数少ない友人でもある。
もともとは早瀬に付き合い彼女に会いに来ていたけれど、一緒に話すうちに距離を縮め早瀬がいないときでも来るようになっていた。
「けど、なんでまたその人は面白い本なんか探してるんでしょうね。そもそも自分で探せばいいのに」
「レファレンスも司書の仕事だからそれはいいのだけれど、あの言い方は困ったわね」
「何でも、ですか。お母さんに怒られちゃいそうな言い方ですよね」
本来は店員であるのだから私だけの相手をしているわけにもいかない立花さんだけど幸いにして客入りが悪い時などにはこうして話に付き合ってもらっている。
「確かに。でも、それよりも難しいかもしれないわね。母親なら子供の好みもわかるかもしれないけど、話したのも数分だけじゃどんな人かもわからない」
「数分話しただけじゃ、どんな人だと思ったんですか」
「そう、ね……」
言われて昼間のことを改めて思い出す。
外見は一瞬目を奪われてしまうほどの美貌で、わずかな会話だけであったが人を圧するような雰囲気があったのを覚えている。
「強烈な人、かしら?」
「強烈、ですか?」
「えぇ。なんていうか見た目は綺麗で、少し自己中心的な感じはしたわ。嫌な感じのする人ではないけど……そんな感じよ。どんな本が好きそうかはわからないわね」
言ってから妖怪と聞き間違えられたことを思い出し「少し、意地悪だ」と付け加える。
「なるほど。っていってもよくはわかりませんけど」
でしょうね、と私は用意してもらったカクテルに口をつける。
甘めの好みを理解した味に満足しながら、改めて難しい課題を引き受けてしまったと思う。
紹介した本が気に食わなかったとしても怒り狂ったりはしないだろうが、どんな反応をしてくるか見えない部分はある。
カクテルに唇を湿らせながら思案していると、立花さんがそうだと口を開く。
「雪乃さんに協力してもらったどうですか?」
「早瀬に?」
あまり感情を表に出さないようにしている私だけれど、その前につい顔をしかめる。
「雪乃さんってそういうの得意じゃないですか。私にもいろいろ勧めてくれましたし」
「…………」
その言葉に間違いはない。利用者に本を薦めるのは早瀬の得意分野だ。私も仕事としても個人としても本には精通している方ではあっても、早瀬はそこにかける熱が違う。あらゆる相手に対応するためにジャンルや新旧を問わずに学び、対象の女性に適した本を薦めることができる。
それは司書としての使命感というよりは個人的な理由であるが、それでもそれだけの熱意には脱帽する。
ものの……
(面倒なことになりそうよね)
直観だけれど、あまり合うタイプのように思えなかった。
「……文葉さん?」
「っ。あ……えぇと、まぁ私が受けたことだから私が頑張ってみることにするわ」
彼女が純粋な気持ちから提案してくれているのはわかるものの、この件は自分でどうにかすることにした。
宣言通り早瀬には頼ることはなく森さんの指定した三日後を迎えた。
いつ来るかということは聞いていなかったけれど、彼女は開館とほぼ同時にやってきて私を呼びだした。
「悪かったわね。朝から訪ねてきてしまって」
他の業務の邪魔にならぬよう図書館の隅の席に対面で腰を下ろすと彼女は額にかかった髪を払いながら言う。
その姿をやはり綺麗だとは思う。外見もさることながら嫌味を感じさせない勝気な様子が品を感じさせ改めて目を奪われてしまった。
「気にしないでください。仕事ですから」
「……仕事、そうね。仕事だものね。それで、頼んでいたことはどうなのかしら?」
少しだけ雰囲気を崩したように見えたけれど、次の瞬間には値踏みでもするかのような瞳でこちらを見つめてくる。
それに気圧されそうになりながらも用意していた本を手に取り一つ一つ紹介を行っていった。
用意したのは種々様々な十冊。流行りものからドラマの原作。ミステリーや恋愛、歴史物や私が個人的に好きな作家などで、何かしらは興味を引くだろうと高をくくっていたが。
「ふーん。なんだかどれもピンと来ないわね」
人差し指と中指を口元にあてながら冷静に言い放った。
「……お力になれずに申し訳ありません」
難しい課題であるとは考えていたものの手を抜いたつもりのなかった私は意気消沈としてしまう。
「別に期待していたわけじゃないから気にしないでいいわよ」
「っ……」
挑発的にも聞こえる言葉に一瞬表情をしかめる。
「あぁ、気を悪くさせていたらごめんなさい。今のは自分に言ったの」
「?」
「たぶん私はどんな本を紹介されても、興味を持たないだろうって思ってたの」
意味をくみ取れずに私が首をかしげると彼女は理由を語ってはくれたがそれでもやはり意味がつかめない。
「私は物事にあんまり感心を持てないの。だから今回もそうだろうなと思っていたのよ」
「なら、何故こんな依頼をしたんですか?」
「貴女に一目ぼれしちゃったから、話すきっかけにと思って」
「なっ!?」
まるで早瀬のようなことを言われ一瞬で頬を染めてしまう。
「冗談よ」
そう言われ、赤くなった自分を恥ずかしく思うものの次の森さんの言葉と表情にそれ以上に言葉を失うことになった。
「………退屈だったから」
ポツリとその言葉が紡がれ瞬間たその美しい顔から表情が消え、瞳には乾いた光を宿らせる。
勝手に強そうな人だという印象を抱いていた私の彼女に対するイメージを一変させる姿。
その姿に何かを言わなければならないような気分にはなったけれど、浮かんでくる言葉は形にならず喉の奥から出てくることはなかった。
「まぁ、そういうわけよ。時間を取らせて悪かったわね。頼んだことは忘れてくれていいわ。それじゃあ」
彼女は私の言葉なんて待つはずもなく、一応のねぎらいをかけて踵を返す。
その背中が少しだけ自分と重なり
「待って、ください」
と声をかけていた。