(……なんであんなこと言ったのかしら)

 昼休みになり昼食を終えた私は気晴らしもかねて図書館の中庭を訪れていた。四方を建物に囲まれた緑溢れる中庭はお昼になるとちょうど陽の光に照らされて心地よく、気分転換にはもってこいの場所。

 もっとも心が晴れてはいないのだけれど。

 そう、晴れてはいない。自分でも意図が分からず彼女の依頼に食い下がってしまったのだから。

「勝算もなしにするなんてらしくわかったわね。デューイ」

 備え付けのベンチに座る私は言いながらひざ元の虎ネコを撫でる。

 デューイと呼んだ猫は私の言葉に耳を貸さずあくびをしているだけだが。

「司書としては腕の見せ所なのかもしれないけれど。あの人が興味持つ本って想像できないわ」

 普段それほど口数の多くない私だがデューイ相手には自然と心の裡を吐き出す。職場の人間にはあまり見せない姿だ。

「あなたならどうする?」

 視線を下げるとわずかの間交差するもののデューイは興味なさげに顔を背けた。

「……聞かれても困るか」

 そんな風に油断をして独り言を口にしていると

「驚いた、貴女猫と話せるのね」

 数時間前にも聞いた声が正面から聞こえてきた。

「っ!?」

 顔を上げるとやはり数時間前に見た顔がある。

「森さんっ……帰られたんじゃ」

 猫に話しかけていたということを見られ、焦りと羞恥を感じているものどうにかそれを表に出さず隣に座る森さんを迎えた。

「帰るとは言わなかったと思うけれど? 今日は休みだし時間を潰していたらここに貴女が見えたからね」

「そう、ですか」

「それで、さっきからその猫に話しかけているけれど猫と話せるの? それともその猫が人間の言葉がわかるのかしら?」

「ええと……」

 本気とは思えないが、表情が変わらず冗談とも判断しづらい様子。

「名前、なんて呼んでたかしら?」

「デューイ、です」

 名前を反復しながら彼女はデューイへと手を伸ばすと軽く頭を撫でる。

「ふーん。猫の名前としては聞いたことないけれど何か由来でもあるの?」

「アメリカの図書館で実際に飼われていた猫の名前です。本や映画にもなっていて、いつの間にかここに住み着いていたこの子を早瀬……同期の人間がそう呼び始めていつの間にか定着していました」

「なるほどね」

 期せずして雑学を披露する形となったが、彼女の反応を相変わらず鈍く一言で感想を閉め、デューイのことを撫でまわしていた。

「あ」

 見知らぬ相手にそうされることを嫌ったのかデューイは体を震わせると森さんの手から逃れ中庭の芝生の方へと消えていった。

「あらら、嫌われちゃったかしら」

「違うと思いますよ。猫と話せるわけではないので正確なことはわかりかねますが」

「へぇ、貴女冗談も言えるのね。こういうのに付き合ってくれないのかと思っていた」

(……早瀬が言ったりでもすれば無視していますよ)

 むしろ、他人だからこそ適切な会話の距離を取ろうとしただけだ。

「それで、何か御用でしょうか」

「用っていうほどのことじゃないけど、一応言っておこうかと思って」

「何をです?」

「わざわざ頑張らなくてもいいっていうこと。貴女がまた本を紹介してくれても多分私は読もうとも思わないわ。もう忘れていいことなのよ」

 慇懃無礼、というわけではないけれど人の心に配慮した言い方でもない。

 本人は気を使って言っているつもりかもしれないが、期待をしないともとれ不機嫌になってもいいことを言われたのかもしれない。

「……私からも一ついいでしょうか?」

 だが、私は彼女に諦観にも似た空気を感じそれを口にした。

「退屈、というのはどういう意味ですか」

「そのままの意味よ」

 見ず知らずの相手に無礼だったかもしれないが彼女は特別な感情を見せることなく答える。

「私は退屈なの。仕事もプライベートも、誰と何をしててもつまらない。趣味があるわけでもないし、極端に言えば生きることそのものがつまらないのよ。だから、時間つぶしもかねて何か興味の出るような本でも読めたらって思ってただけよ」

 感情を感じさせない、それ故に心がむき出しとなったような乾いた表情が印象に残る。

 本気で人生がつまらないと思っているのだと理解せざるを得ない何かを感じた。

(……………)

 私も少しではあるけれどその気持ちがわかるような気がした。おそらく、彼女とは比べ物にはならないが私も【退屈】であるのは同じであるから。

「私の時間つぶしに貴女の時間を使う必要はないわ。何度も言うようだけどもうやめてくれていいのよ」

 嫌味なく彼女は私に言うが「いいえ」と首を振る。

「貴女の気に入る本を紹介して見せます」

「………」

 予想と違う答えが返ってきたのか森さんは「へぇ」と小さくこぼし、私の前で初めて素の感情を漏らし、わずかな笑みを作った。

「期待しないで待っているわ」

 

 

 森さんのために本を探すとはいっても、業務時間内のすべてをそれに費やすわけにはいかずできる時間は限られる。

 休憩時間や昼休みにも多少の時間はあるがまとまった時間を取ろうとするとどうしても業務終了後になってしまう。

 再び彼女と約束してから三日、毎日のように職員用の事務室で私は難解な課題と向き合っていた。

(あの人の琴線に触れる本か)

 生きることが退屈だという彼女が面白いと思える本。それは極端に言えば彼女の人生を変えるきっかけになれる本。

(……そんなものが私に見つけられるの?)

 ふと、それを考えてしまうと不安にもなる。

 意気込みはあってもそれだけ仕事が回るのであれば誰も苦労はせずついため息をついていると

「ふーみは」

 背後から柔らかな衝撃を受けた。

「……早瀬、離しなさい」

 声と慣れた感触に顔を確認せずとも的中させ、早瀬ははいはいと反省を感じられないまま私から離れ、近くから椅子を持ってきて横に座った。

「ねぇまだ帰らないの? 明日休みなんだしどっか食べにいこうよ」

「私はもう少し残っていくわ。早瀬は気にせず帰っていいわよ」

「文葉と一緒がいいんだけどなぁ」

「それは残念だったわね」

 軽口にはまともに取り合わず目の前の作業へと戻る。

 簡単に諦める気はないのか、しばらくの間早瀬は大人しく私のPC画面や手元の資料を眺め、そこでようやく私がなぜ残っているかを察する。

「あ、それって例の? おもしろい本を紹介して欲しいってやつ」

「そうよ」

「確か綺麗な人だって言ってたっけ。なるほど、だからそんなに頑張ってるのか」

「そういうんじゃないから。早瀬と一緒にしないで」

 以前に立花さんが言っていたけれど早瀬はこういったことが得意でまた積極的に自分から声もかけている。その目的の大半はその女性と仲良くなるためであるため早瀬の基準で考えれば普通の発言かもしれないが。私の理由とはまるで合わず呆れて答える。

「じゃあなんでそんなに頑張ってるの? 確か向こうからももういいって言われたとか言ってたでしょ?」

 早瀬には仕事での出来事を話すことが多く、今回の経緯も話しているためその指摘はもっともであろう。

「退屈だって図書館を頼ってきた人を司書としてどうにかしたいと思うのはおかしくはないでしょう」

 八割ほどの理由を込めた回答。残りの二割は自分でも言葉にしづらい上に早瀬相手ではなおさら言いづらいことだ。

「相変わらず文葉は真面目だね。まぁ、文葉のそういうところが好きなんだけど」

「それはどうも。………もう少ししたら上がろうと思ってるからそれでよかったらご飯付き合ってあげるわよ」

「いいの?」

「悩んで解決するわけでもないからね。それに、早瀬が休み前に誘ってくるっていうことは振られたってことでしょ」

「……振られてないし。予定が合わなかったってだけだし」

「まぁ、そういうことにしておきましょ」

 それが本当なのか体のいい理由だったのか私にわかるはずもなく、またそれほど興味もないがそれでも数少ない友人のためにたまには付き合ってやろうとパソコンを閉じた。

 

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