時間は無常に過ぎてしまうもので早くも二回目の約束の日がやってくる。この前とは異なり午後にやってくると約束しており、午前中は森さんのことを頭によぎらせつつも真面目に仕事をこなした。

 この日は日曜日で普段と比べて人が多く、昼休みまで時間を使ってしまい昼食もとらずに彼女との約束の時間となった。

 場所は以前と同じ奥まった場所の席。相変わらずの飄々とした様子で私に迎えてくれる。

 挨拶と簡単な雑談を交わした後、本題へと入ろうとすると。

「待って」

 と、制された。

 彼女の方から自分に用などないはずだと思い込む私は首を傾げ、さらに彼女の一言に困惑する。

「貴女ってずいぶん一生懸命に仕事をするのね」

「? どういう意味でしょうか」

「今だって午前中に子供の相手をしていてお昼もとっていないでしょう?」

「…………」

 指摘通りだった。

 お昼前に小学生の少女に本を探したいと言われて対応をしていた。

 その少女の探す本というのは今回の依頼とは異なり答えの見えるものだったが、思いのほか時間がかかってしまい昼食をとる時間を犠牲にしてしまったのだ。

「どうして、そのことを」

「貴女との約束はこの時間だったけれど早く来ないとは言っていないわ」

 つまり早めに来て私を観察していたということですか? と頭には浮かんだものの自意識過剰にも思えて口を閉ざす。

「私のこの件だって頑張らなくてもいいって言っているのにわざわざ時間を取ってくれてるし、どうしてそんなにするの?」

 本題からずれてしまっている気はするが、これは彼女を相手にする上でごまかしても、はぐらかしてもいけないことだと直感し私は真剣な瞳を向ける。

「……やりがいを感じているから、でしょうか」

 ほぼ見ず知らずの相手に何をと思う自分もいるが、それでも自然と心の裡から言葉が出てきた。

「……やりがい、ね」

「さっきの女の子にしても、本を見つけたときとても嬉しそうに笑ってくれました。あぁいう瞬間は嬉しいものです」

「他人を喜ばせるのが貴女のやりがい?」

「それも、ですね。私は図書館に来てくれた人には何かを得てほしいと思っています」

「得る?」

「えぇ。さっきの女の子ほどじゃなくてもいい。本に触れることで新しい何かを感じてほしいと私は思っています」

「何かって?」

「それは人によって様々でいいと思います。単純に面白かったという感想でもいい。書いてあることを実践してもいい、知識を身に着けるだけでも良ければ、作者や登場人物のようになりたいと願ってもいい。何気なく出会った一冊の本が人生を変えることだってあるでしょう。本にはそれだけの可能性があると私は思っている。そして、司書は利用者が本に出会う手伝いをすることができる仕事です。やりがいは感じていますよ」

 就職活動の面談のようなことを口にしたが、本音だ。もっとも彼女に熱弁することではないかもしれないけれど。

「森さんにも同じです。あの子が笑顔なったように貴女にも退屈だなんて言わせない本を紹介したい」

「……ふーん。もっとクールな人かと思っていたけれどそういうことも考えるんだ」

 その猫の様な瞳が私を捉えながら、少しすると「なるほど」っとなぜか彼女は私から目を背けた。

「それにしてもやりがい、か。それは私にはない考えね。私にとって仕事なんて生きるのに必要だからしているだけだもの。もっとも別に……」

 まだ続きを思わせるところで口を閉ざす。

(別に……?)

 私が続きを促そうかと悩んでいるうちに軽く首を振り、別の話題を口にした。

「もう一つ質問いいかしら?」

「え、えぇ」

「貴女が私のためにこんなに親身になってくれるのも仕事だからなの?」

「?」

 想像だにしていなかった質問。考える前に私は

「そう、ですね」

 そう答えてしまっていた。

(……今のはよくなかったかしら)

 嘘ではないが、この状況でそれを告げるのは正解には思えない。

 まして彼女は自己中心的な人間にも見える。うかつに答えてしまって機嫌を損ねてしまったら本を紹介するどころではないと背筋に嫌な汗すら感じる。

 しかしまたも彼女の反応は想像の外のものだった。

「ふぅん。なるほど」

 なぜか満足気に笑ったのだ。

 それはどこか神秘的でゾクっとするほど美しい笑みだった。

「森さん……?」

「……ん、あぁなんでもないわ」

 先ほどの底知れぬ笑みを見て言葉通りに受け取るのは難しい。しかしそのことを追求するほどの積極さは私にはなく彼女に促されるままに本の紹介へと移った。

「……………」

 前回よりは話を聞いてくれているようではあるが、本の内容を理解しようとしているというよりは何か別の意味の込められた視線が向けられているようで妙な居心地の悪さを感じつつも用意してきた本の紹介を終えた。

「いかがでしょうか」

「そうね」

 口元に手を添えながら森さんは机に並べられた本を吟味する。

 いや、しているように見えるだけだ。彼女の視線は本よりも別の場所へと向けられている。

「とりあえずこれにしておくわ」

 そういって目の前の一冊を取り適当にパラパラとめくったあとに私を鋭い瞳で見つめてきた。

「ねぇ、本の返却ってどうすればいいのかしら?」

「窓口に返してもらえればそれでかまいませんが」

「貴女に直接渡すのじゃだめなの?」

「私がいる時であればそれでも問題はないです」

「そう、了解したわ。とりあえずこれの貸し出しをお願い」

 なぜこんなことを聞かれたのかわからないものの一応の役目は果たす私だったが、返却の時にその意味を知ることになる。

 

 

「よくわからないけれど、とりあえずひと段落したってこと?」

 その夜、私はいつものバーに早瀬と共に訪れてことの顛末を話していた。

 二人で来るときは隅の席でカウンター越しに立花さんに相手をしてもらう。

「一応ね。私に直接本を返したいとは言われたけど」

「お世話になったから感想を言いたいとかじゃないですか?」

 正面から頼んでいたカクテルを差し出しながら立花さんが言う。

 私と早瀬はまず口を潤してから感想を吐き出すことにした。

「……そういうことはしない気がしたけどな」

そもそも確かに本を受け取りはしたがその本に興味を惹かれたとは思えない態度だった。

 確かにあの瞳は好奇にも似た光を感じた。しかしその向かう先は本ではなかった気がする。

「でもやっぱり変わった人ですよね。退屈だから本が読みたいって」

「理由はともかく、変わってるのは間違いないでしょうね」

「あーあ、にしても文葉なんかじゃなくて私に来てくれれば本じゃなくても楽しいことを教えるのに」

「けど、文葉さんってそういうことにちゃんと頑張れて素敵だと思います」

「ありがと。でも貴女だって頑張ってるじゃない」

 互いに自分の仕事への自負がある二人は一見社交辞令のようで本音を伝いあう関係に微笑み合う。

「ちょっとー、無視しないでくれるかなー」

 その隣で不満そうな早瀬。

「だって、雪乃さんいつも同じこと言うから」

「そうね。この前なんて女子高生にまで声をかけていたし」

「それは誤解だって。あの子はなんか寂しそうにしてたから声をかけただけ」

「どうだか」

「雪乃さん……さすがにそれは……」

 テンポのよくなじられ早瀬はうぅ、っと唸りながらカクテルをあおる。

「もう、あおいちゃんおかわり! 今日は呑んでやるんだから」

「はーい。了解しましたー」

「潰れても介抱はしないわよ」

 いつものやり取り、プライベートで珍しく楽しいと感じる時間。

 心のつかえとなっていた出来事も一応の決着を見て、再び普段の充実しながらも物足りない日々が戻る。

 そのはずだった。

 

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