結月に意味深なことを言われたこともあり玲奈は洋子が何かアプローチをかけてくるものだと思っていた。

 だが、玲奈の予想に反して洋子は玲奈に近づこうとはしない。

 別段避けているというわけではないようだが、とにかく玲奈と話をしようとはしていない。

 玲奈も自分から話すことはなく、学校での姿を見かけるだけであるがその中で洋子の様子に変化があるように思えた。

 洋子のクラスの前を通る時などには自然と洋子のことを目で追ってしまうのだが、最近洋子がよくする仕草がある。

「ふあ……あ」

 この日も廊下の窓から洋子の様子を見つめる玲奈は、洋子が大きなあくびをしているのを見かけた。

(またか)

 この数日、洋子のあくびを何度か見かけている。口元を抑えながらそれを隠す仕草は洋子のイメージと合わず違和感というほどではないが、これまでほとんど見たこともなく印象に残る姿だった。

 これは直接見たわけではないが、授業中に寝て怒られたということすらあるらしい。

(あの洋子がな)

 普通であれば到底考えられない事態だが、洋子が普通でないことは……普通でなくしてしまったことを玲奈は自覚している。

 睡眠不足になっているということは間違いないが問題はその原因で、おそらく玲奈に起因するもの。

「む……」

 洋子から目が離せずに廊下で立ち止まっていると、視線に気づいたのか洋子が玲奈の方を向き視線が交差する。

「……………」

 見つめ合ったのは数秒。

(っ……)

 目をそらしてしまったのは玲奈の方だった。

 何かを言ってきたわけではない。だが、洋子の瞳にこれまでにはない意志を感じてつい顔を背けてしまったのだ。

 そうなればこの場所に立ち止まっているわけにも行かず、玲奈はクラスに戻り席へとついた。

(何だというんだ?)

 これまでの洋子とは違う。恐らく自傷行為もやめたのではないかと思わせる強さを感じた。

 していたころの悲壮感が今の洋子にはなく、代わりに別の意志が洋子の中に満ちているようなそんな感覚だった。

 寝不足なのだから体は疲労しているだろうに、玲奈にはその隙を見せずに強さすら感じる視線を向ける。

 その姿は玲奈にはまぶしくまたうやらましさすら感じさせる姿でそのまぶしさに玲奈は目を背けた。

(うらやましいと思ったのなど、気の迷いさ)

 ふと頭の中によぎった感覚にそう感想を漏らす。

 自分とは比較などできないが、同じように自傷行為を行っていたというのに今はおそらくではあるがそれをやめることに成功し、代わりに強さを手に入れた。

 それが自傷行為をしたことによって得たものなのかはわからない。

 ただ、もし玲奈の想像であれば

「っ……」

 それは玲奈がこの数年望みながら得ることのできなかったことをした洋子のことにはっきりと嫉みを感じ奥歯をかみしめるのだった。

 

 

(久遠寺さん、どうしたんだろう)

 教室の席で洋子はそれを考えていた。

 日々の生活と自傷行為をやめた代わりに始めたあることのせいで昼間も眠気が取れずぼっとしていたら玲奈と目が合った。

 そのこと自体は特別おかしいということはない。洋子もまた自分が玲奈に意識されているということを理解している。

 それは洋子が望む形ではないものの、気にしてくれているということは嬉しく思っていた。

 しかし

「…………」

 すでにいなくなっているが洋子は玲奈のいた場所を見つめ、その姿を思い出す。

 最初は本当にただ見ていただけという感じではあったが、すぐに悔しそうに顔をゆがめ逃げるように去っていった。

 それは洋子がこれまで見てきた玲奈の姿ではなく、弱さを隠し切れない少女のように感じた。

(けれど)

 視線を戻した洋子は心の中で呟く。

(あれが、久遠寺さんの本当なのかな)

 洋子の目には玲奈は強く見えた。

 自分をしっかりと持ち人前でも堂々を振る舞うことのできる強い女性だと、玲奈と出会って一年の間勘違いをしていた。

 今年に入り一緒の時間が増えることで完璧でないことは知った。

 だが、それでも自分なんかとは違い強い人間だということは洋子の中で変わらなかった。

 あの傷を見るまでは。

 勘違いはあった、自分に都合のいい玲奈を見ていたという反省もある。

 しかし洋子にとって玲奈はそれでも憧れであることは変わらない。

 そしてその相手が助けてを必要としているのなら手を差し伸べて見せる。すでに何度も手を伸ばし、拒絶されもしたが洋子の意志は変わらない。

 差し伸べる形は言葉だったり、自傷行為をわかろうとする行動だったり、今洋子がしようとしているものだったりと形は様々だ。

 だが、玲奈のためを思い、玲奈を救おうとするその心は変わらない。

(でも……まだもう少し)

 その気持ちを伝えたくはあっても真正面から行くのでは玲奈は心を閉ざすばかりだ。

 もちろん、今洋子がしようとしていることで玲奈が救えるとは限らない。それでも洋子に出来るのは自分なりの方法で玲奈を救おうとすることだけだ。

 たとえ今しようとしていることがダメだったとしても洋子は諦めずに次の行動に移るつもり。

(諦めないからね)

 それを改めて思いなおした洋子はまずは今のことを頑張ろうと決意をするのだった。

 

 

 それからしばらく経ったころのことだった。

 昼休み、結月と一緒に昼食を取り席に戻ってきた玲奈が机の中に入った手紙を見つけたのは。

 そこにはシンプルな便箋に短な言葉でこう記してあった。

 

 放課後、部室に来てください。

            神守洋子。

 

 本当に最低限のことしか書かれていない。飾り気のないところは洋子らしいともいえるが、行き当たりばったりであるようにも感じられた。

「………ふむ」

 自分でも不思議だが、玲奈の中では行くことを決めていた。

 この傷に関してのことで洋子のことを迷惑にすら感じていたはずなのに、いつのまにか常に洋子のことを気にしていた。

 自分では認めたくはないが、洋子の次の行動を待っていたような気さえしていた。

 自傷行為をやめさせることなどできるはずがない。それは今の玲奈の中で揺らいではいない。

 それでも、そのために洋子が何かをするということを最初の頃のように迷惑だけには思えなくなっていたから。

 そんな風に玲奈は、玲奈らしくなく午後の授業中も洋子のことを頭に住まわせながら放課後を待った。

 放課後になるとすぐにではなく少しだけ、自分の席で時間を潰した。

 心変わりをしたわけではなく、その理由もうまくは説明できない。

 ただ、本当になんとなく玲奈は自分の席で洋子のことを想っていた。

 去年、クラスが一緒だった時にはどうでもいいクラスメイトでしかなかった。本当に名前を覚えているという程度と、気が弱そうな人間だということくらい。一緒の思い出など皆無に等しい。

 今年になり、玲奈の演説に影響され児童演劇部に入ると言ってきたときにも、当初は結月の力になってくれればいいという程度。その関係で、友人とまでは言えなくとも学年の中では一番話をする相手にはなった。

 玲奈の中で洋子への評価が変わったのは、洋子の夢を知ってからだ。

 絵本作家になりたいという夢。

 自分を持たず、今を生きることにすら興味を抱けず、まして未来を見ることなど考えられもしなかった玲奈にとって、自分と同じ年ではっきりとした将来を持つ洋子はとてもまぶしく見え同時に尊敬をした。

 そして友人以上となった洋子と過ごし、力になりたいとも考えて時間を過ごした。

 そして、夏休みがあけてあの事が起きて、後は今の通りだ。

(思い返してみると、はじめから私なんかよりも強い人間だったな)

 出会った時から、将来を見据え今ではなく未来を見据えて生きてきたのだから。

「……さて、そろそろ行くか」

 自傷行為を知られてから洋子と二人きりになるときには、話をする内容に対し玲奈の答えの方向性は決まっていた。

(だが、今回は……)

 洋子が何をしてくるかというのがわからないということもあるが、初めて答えのないまま洋子に対峙することになる。

 それを強く思う玲奈だった。

 

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