今の佳奈の気持ちを理解できる人間はいないだろう。
姉の友人とたまたま楽しくおしゃべりをし、楽しかったけど姉が来たから素直に友だちを譲って、丁度お菓子が余っていたからまた美愛と一言二言でも話せればと部屋の前を通りかかったら、名前が聞こえてきた。
よくわからない水音も聞こえたけど、とりあえずノックをして入ったら……
(……なに、これ?)
どうして、姉さんと美愛さんが抱き合って……なに、これ? 美愛さん、服脱いでて、姉さんは淀んだ目で美愛さんに迫っている。
理解できない。すべてが。
友だち、友だちと愛歌は佳奈に告げていた。でも、これは……。
特に姉の目が尋常でなく、見ているだけでどこか震えがおきる。
「か、佳奈ちゃん! み、見ないで……」
美愛は初めて愛歌としているところを人に見られ血の気を引きさせながらも、顔は羞恥で真っ赤になり搾り出すように佳奈に訴えかけた。
「んふ、見られちゃったね。美愛ちゃん」
一方、愛歌には妹に見られてしまったということも一切気にした素振りは見せない。胸へのキスはやめても体は密着させたまま楽しそうに美愛に語りかけた。
「え……え……? 姉さん? え…? 美愛、さん?」
まだ理解できない。何がおきているのか。友だちといっていた人となんでこんなことをしているのか。まるでわからなかった。
大げさかもしれないけど、信じていた世界が虚構だったような感覚に囚われた。
「なんで……なに、して……?」
同じようなことを繰り返す佳奈。
「ん、別にえっちなことしてたわけじゃないよ。佳奈」
愛歌は佳奈を置き去りにして勝手に自分のしたことを述べていく。
「ただ、美愛ちゃんに紅茶がこぼれちゃったから拭いてあげてたの」
「それ、で……なんで、こんな、こと……?」
「だって美愛ちゃんは私のこと、愛してくれてるもん。これくらいいつもだよ」
「は……?」
「ねぇ、美愛ちゃん。何にもおかしくなんかないよね?」
「……う、うん」
(…………?)
現実的でない状況、おかしな姉に翻弄されていた佳奈だったが美愛のその声を聞いて、一気に現実に引き戻された。
恥辱にも似た感情に顔を真っ赤にし、若干体を震わせながら、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。でも、それを流すことはなくその熱い感情の雫を自分に押し込もうとしている美愛。
(ない、てる……。なんで?)
何故か、そんな美愛を見ていたら勇気、ではないが佳奈の心に姉への反発のようなものが生まれてきた。立ち向かわなければという気概が。
「あ、愛って。おかしいよ、そんなの! それに、なんでこんな所でするの? わけわかんない!」
しかし、そんな妹の姿にも愛歌はどこ吹く風だった。
「何にもおかしくなんてないの。美愛ちゃんは私のこと愛してくれてるもん。どこでなんて関係ない。学校とかでもするし。外ですると美愛ちゃん、恥ずかしそうだけど、でもね、外でだって、学校でだって、佳奈の前だって美愛ちゃんはしてくれるの。恥ずかしくても私のこと選んでくれるの。美愛ちゃんが恥ずかしそうにすればするほど、美愛ちゃんが私のこと愛してくれてるってわかってすごく嬉しくなっちゃうの」
「……………」
唖然とした。確かに、昔から少し変わった姉ではあった。だけど、これはすでにそういうものを超越してる。人として、壊れてしまっているような気さえした。
「ねぇ、美愛ちゃん。ん〜、ちゅ」
「あむ……ちゅく、くちゅ…はぁ…うん、うん。愛歌、うん。好き、よ」
妹の目の前だろうが、気にせず愛歌は美愛にキスをする。しかも、軽くではあるが舌を絡めあっていた。
頭がどうにかしてしまいそうだったが、美愛の様子がここから立ち去りたくなる気持ちをどうにか抑えさせた。
(嫌、がってる。美愛さんは姉さんのこと嫌がってる)
わかる。泣いている。助けて求めている。
「姉さん! 目を覚ましてよ!」
内なる衝動に突き動かされるまま佳奈は二人を引き剥がした。
「何? 佳奈さっきからなんなの?」
「姉さん、よく考えて!? よく見てよ! 美愛さんはっ……」
「佳奈ちゃん!」
佳奈が何を言おうとしているのか察した美愛は思わず佳奈の名前を叫んでいた。
そして、無言のまま訴えかける。潤んだ瞳で。自分と愛歌の真ん中に立つ佳奈に。
それ以上言わないで。と
(っなんで!?)
誰がどう見ても、きっと愛歌以外のすべての人が気付く。気付ける。拒絶したがっていると。美愛は愛歌から逃れたがっている、と。
なのにそれを口にされることを、庇われることを拒絶している。
(なに、この気持ち……)
何か、嫌だった。疎外感を感じる。言いようのないムカムカとした気持ちが胸に渦巻いていく。
「佳奈、ちゃん。ありがとう。でも、私は……愛歌のこと好きなのは本当よ。愛、してるの」
「そ、んな……」
「本当、嘘じゃない。愛してる」
ここで佳奈が引き下がらなければ、愛歌の歪んだ気持ちが矛先を向けてしまうかもしれない。それは絶対にさせられない。愛歌がこうなってしまったのは自分の責任なのだから妹の佳奈にそれを少しでも負わせてしまうわけにはいかない。
「ふふ、美愛ちゃん、嬉しいな」
「ね、佳奈。わかったでしょ? 美愛ちゃんが私のこと愛してくれてるって」
「っ…あ…う、ぁ……」
わからないわからないわからない! 何がおきてるのか何もわからない!
「佳奈? 用ないなら出てって。邪魔なの」
佳奈の横をすり抜けた愛歌は美愛に抱きつく。容赦のない笑み。反論を許さない目。
「佳奈ちゃん……」
そして、美愛まで優しく語りかけていた。ここは愛歌の言うとおりにしてと。
「っ………」
いくらでも言いたいことがあるのに、何も出てこない。違う、何を言っても無駄な気がした。姉は何をいっても意に介すことなく、美愛にはやんわりと否定されてしまう予感がする。
お願い、佳奈ちゃん……
目が訴えている。もう見ないでと。出て行って。
(何なの、これ……?)
もう、わからない。わからないわからなくて……
「好きに、してよ……」
負け惜しみのように言って部屋を出て行った。
バン!!
「はぁ、ハァ、ハァ」
逃げるように自分の部屋に戻った佳奈は勢いよくドアを閉めるとそのまま背中を預けてその場にへたり込んでいった。
「わけ、わかんない……」
胸にすごく嫌な気持ちが湧いてきた。表現しようのない、とにかく不快な気持ち。
嫌。気持ち悪い。むかつく。
(あんな、人、だったなんて)
浮かぶのは姉ではなく美愛のこと。あそこまではともかく姉がどこか普通と違う感性なのは知っていた。だから、驚きはしても受け入れなれないことではなかった。
しかし、美愛は違う。
一目ぼれとは違うが、一目で憧れのような感情を持った。姉の友人にこんな人がいるとは思えなかった。少し話してただけでも好感を持てて、慈悲のこもった目で見られると何故か心が浮ついてしまった。
向こうは友だちの妹だからと、表面的な姿だけで応対してくれたんだとしても嬉しかったのに。
それが一気に裏切られたような気がした。
一言二言でもいいからまた話せたらなんて思ってお菓子なんて持っていかなければよかった。
「はぁ…は、あ…ちがう……」
美愛さんは、姉さんのことを嫌がっている。何か理由がある。泣いていた。見ないでって訴えていた。
佳奈はふらふらと力なく立ち上がって、さっきの美愛の目と顔を思い出していた。
潤んだ瞳。まるで脅迫されたかのように愛歌に従う美愛。
何が、恥ずかしがってる分気持ちが感じられるだ! あんなのどう考えてもただ脅しているだけ。気持ちを踏みにじっているだけ。
「……美愛さん」
自分でもよくわからない気持ちが心に湧いてくる。何をしたいのかもわからない。でも、後から後から美愛と姉への気持ちが湧いてきて、頭の隅にこびりついていった。
まだ自分の中では整理しきれない心。でも、美愛が愛歌を拒否しようとしているということだけはわかって。それに気付いてしまったから。
きっと黙ってはいられない。佳奈は混乱した中でそう自覚していた。