先輩と会う場所は先輩の家。
先輩との電話を終えた私は無言で先輩の家に向かった。
相変わらずサッカーの大会でも開けちゃいそうな一言でいうと豪邸。背の高い門の前でたたずんでいた私は、チャイムをじっと見つめていた。
このボタンを押せば、誰が出ることになろうともうすぐに先輩と会うことになる。
先輩のこと、今まで疑ったっていう言い方はしたくないけど、他の人のほうが好きなんじゃないのって思った事は少なくない。先輩は誰にでも楽しそうに話すし、軽口を叩くし、キスとかはなくてもちょっと過激なことをしたりもするし、軽い嫉妬なんかは少なくなかった。
でもそれを本気で思った事はない。ちょっとヤキモチ焼いちゃうけど、仕方ないって思えてた。
だけど、今回は違う。
本気で疑ってるなんて思いたくないけど……でも、彩葉さんとの関係がちゃんと知りたいって思ってる。今までは先輩が私のことを好きでいてくれるんだからってあんまり深く考えなかったけど……今日の彩葉さんのことがあったらもう気にしないでなんかいられない。
「はーるかさん!」
「あ……先輩!?」
ここにくるまで何度も考えたことをまた先輩の家を目の前にして考えていた私だけど、いきなり先輩の声が聞こえてきて肩を震わせる。
先輩はいつのまにか門のところまで来ていて私を……なんだろう、先輩が私を見つめる目がいつもと違うような気がした。
「窓からはるかさんが見えたから迎えにきちゃいました。どうぞ」
「はい……」
あけてもらった門のくぐった私は先輩から一定の距離をとる。
「さて、とりあえずいきましょうか」
「……はい」
先輩は私が今どんなことを考えているのかを知ってか知らずか会話を交わさずに先に歩き出していった。
「…………」
庭を歩く間もやっぱり無言。
そのせいなのかいつもは長く感じる道がものすごく短く感じた。
「ねぇ、はるかさん」
玄関までたどり着いた先輩はドアに手をかけると背中を向けたまま私に声をかけてきた。
「…………彩葉さんに、何言われちゃいました?」
私の動揺を大きくする疑問を先輩が口にする。
「っ……」
「いえ、すみません。部屋に行ってからにしましょうか」
答えられないまま私は階段を上がって先輩の部屋に案内されていった。
部屋についた先輩はベッドに腰を下ろして、私もその正面の床で足を崩す。
「さて、と……その、……まずは今日すみませんでした」
「そんなことは……いい、です」
「そう、ですか」
「……先輩、彩葉さんとどういう関係なんですか?」
部屋に来た私は一切の余計な話題を挟むことなく聞きたかったことを口にした。すぐに言わなきゃ怖くなっていつまでも言い出せなくなりそうだったから。
「っ……」
先輩は少し意外そうな顔をする。
「どういうって……幼馴染、ですよ。言いました、よね?」
「それだけですか……?」
顔は見れず抑揚のない声だけで先輩に問いかける。
「そう、ですよ? まぁ、親友って言ってもいいとは思いますけど……」
「……それだけですか?」
答えに納得がいかない私はもう一度同じことを問いかける。
「それだけですかっていわれても、今度こそそれだけ、ですけど……?」
先輩は何にも自覚がなさげにきょとんとした声を出している。
それが私の不安、ううん。怒りを増大させた。
「彩葉さん、前、先輩のこと好きって言ってました……」
「へ!?」
「今日、だって……」
「ちょ、ちょっとまってください! その、彩葉さんのその好きって言うのは、きっと友達としてってことですよ?」
「そうとは思えないです! 今日なんか……」
うまくここじゃ言葉にできない。いかに先輩のことで負けているかを思い知らされたかなんて。
「……先輩は本当はどう思ってるんですか、あの人のこと……」
「ど、どうって……私は、っていうか彩葉さんもでしょうけど幼馴染としか……」
「なら、どうしてあの人だけが先輩の体のこと知ってるんですか!!」
「っ!! …………」
悔しさに瞳を潤ませながら、思わず口にしてしまった、聞きたくて聞きたくなかった一言。
それに先輩は、驚きというよりも悲しそうに表情を変化させた。
「…………………そういうこと、ですか。まったく、彩葉さんも回りくどいことを……」
「っ!!?」
なんでそこで彩葉さんの名前が出てくるんですか!!
そういいたいのに怖くて、何も聞けない。
「ふふ、はるかさん。それは彩葉さんの、冗談ですよ。冗談、というか、まぁ、とにかく嘘ですよ」
「今さら、そんなこと言わないでください! 私だってそこまで鈍くなんかないです! 先輩、が……病気、か何かっていうこと……わかって、るんですよ」
「……そう、ですよね」
「おかしいじゃないですか。私は先輩の恋人なのに……何も言ってくれなくて、彩葉さんだけが知ってる、なんて。先輩の恋人は、私、なんですよ……?」
体の前で手をぎゅっと握って私は、悔しさと自己嫌悪に陥る。
本当は先輩の体のことをきちんと効聞きたいのに、恋人を疑って彩葉さんとの関係を聞いちゃう自分が恥ずかしかった。
「……だから、からかわれたんですよ」
「っ!! 先輩!!」
あくまでそうごまかそうとする先輩に私の頭は真っ赤になった。
だけど、先輩は諦観したようにベッドに片足を上げてそれを抱えていた。
「……そうなんですよ。っていうか私の責任なんですけどね」
「なにいってるんですか……わけ、わからない、ですよ」
「つまり、彩葉さんが変なこと言ってきたから、はるかさんは……私の体のこと、聞いてきたんですよね」
「え………」
「彩葉さん、おせっかいですから」
え? え?
そ、それって、つまり……え?
先輩が何を言ったのか、なんとなく、わかる。
つ、つまり……彩葉さんはただ私を焚きつけるためだけにあんな風な言い方をして、私が先輩に体のことを聞くように仕向けたってこと?
言われて見れば、今日の彩葉さんは明らかにいつもと違ったし、態度だってあからさますぎたとは思う。
で、でもでも、先輩のことを好きっていうの、嘘じゃないって思う。本当にあの人は先輩のことを大切に思ってるって思う。
……もしかしたら、だから、私を焚きつけたりなんかしたの? 先輩が大切だから、こういう言い方はあんまりしたくないけど、先輩の恋人の私に先輩の力になってもらいたいって思ったの?
前に力になってあげてねとか言ってきたり、……今日の最後に優しく肩に手を乗せたっていうのはそういうこと?
「はるかさん」
そういうこと、なの……?
「ふぅ、はるかさんってば」
「は、はい!?」
ムニってほっぺをつねられた。
「な、何するんですか!」
「……いえ、やっぱりはるかさんは可愛いなって思いまして」
「な、何言ってるんですか!」
「ふふ、思ったことを言っただけですよ」
これはいつものやりとり、だ。
私が真面目に先輩と話そうとしてるのに先輩はわけわからないこといって顔を近づけてきたり、こうやってほっぺをつねってきたり。これは、いつものやりとり。
なのに……
先輩は笑っていながら今にも泣きそうに見えた。まるでもうこんなことができないって言いたいみたいに。
数秒、そうして先輩は私のほっぺをつまんでいた。
「……限界、ですか」
「え?」
先輩は心細そうな背中を向けて、もう一度ベッドに戻っていった。
「ふふ、夢はいつか醒めるものですよね」
「せん、ぱい?」
なんだか、現実に戻ってきたっていわんばかりの空気だった。
あまり先輩が見せたことのない、ううん、もしかしたら見たことないようなとても寂しそうな顔。
「その通り、ですよ。いえ、はるかさんが思っているのとは違うと思いますけど」
体の、こと? 思ってるのとは違う、って?
「病気、じゃないんですよね。あー、まぁ、そう言ってもいいのかもしれません、が。……いえ、でも」
先輩は中々本題を切り出さない。視線を右へ左へと散らして手も、らしくもなくもじもじとさせている。
それだけ、先輩は言いたくないってことなんだと思う。
「…………ふぅ。やですね。どうにも弱くて。………………うん、病気じゃないんですよ」
「病気じゃ、ない……?」
「はい。まぁ、原因はそれ、なんですけど……。今から一年くらい前、はるかさんが入学する前、ですね。その……病気の手術をしたんですよ。まぁ、手術自体は成功だったんですけど。……後遺症が残っちゃったわけです」
「…………血、吐いたりしてるっていうこと、ですよね」
「……はい。そういえば、前に見られちゃったんですよね。ま、頻繁にあるわけじゃないですし、命に別状があるわけでもないんですけど……大変なんですよ? 結構。痛みはなれたけど、辛くないわけじゃないですし。命に別状はないって言っても貧血とかしちゃうときもあるし、走ったりなんかはできませんし……ぎりぎり普通の生活を送るのが精一杯で」
「……それって、治らない、んです、か?」
暗闇の中で何かを探すような不安な声しか出せない。
聞くのが怖い。
でも、聞かなきゃいけないことだった。違う。知りたかった。
「……まぁ、治らない、でしょうね。病気ってわけじゃないですから」
「っ………」
一瞬で、涙が出た。
痛いのは、つらいのは私じゃなくて先輩なのに。その辛さが私に伝播して、涙が……
「さて、ここからが本題、ですが」
「? ほん、だい?」
先輩の悲しみにつられ、俯いて涙を流していた私は先輩の不可解な言葉に首をかしげた。
「もう、帰ってください」
「………………え?」
「それで、もう会わないようにしましょう」
「は………?」
え? な、何? 何言って、るの?
あまりにもいきなり告げられた言葉に私は意味を、意図を理解できない。
「別れましょうって言ってるんですよ。聞こえませんでしたか?」
「っ……!!」
まるで別人のように鋭い氷の切っ先みたいな言葉を突きつけられた。
「な、なんで? どうして、そんなこと、いうん、ですか? ……え?」
「……その方がお互いのためですよ」
「な、何言ってるんですか!! 私は、先輩の、恋人、なんですよ!? 何で、別れることがためになるんですか!!」
「……私がはるかさんの足枷になるからです」
「な、何変なこと言ってるんですか」
「なりますよ。私の体のこと知ったら、前のままじゃいられない。……変わっちゃいますよ」
「そ、そんなことありません!」
ない、絶対ない! 先輩のことそんな風に思ったりなんかしない。
不規則なリズムを刻む心臓を自覚しながら私は先輩に迫った。
まだまだ混乱してて、何もまともに言えないかもしれない! だけど、そんな今だからこそ! 胸にある直情をぶつけなきゃ
「……先輩、わたしは……っ!!」
「……はるかさん」
言いたいことは、伝えたい気持ちはあるのに先輩の目がそれをすべてさえぎった。
まるで、世の中のすべてを拒絶するかのような暗く光の見えない瞳。
それは私を射抜いて、心を釘付けにした。
「はるかさんに、何かできますか? 私の痛みがわかりますか? 苦しさが理解できますか? 痛みを和らげてくれますか? 治してくれますか? 何かできますか?」
「っそ、れは………ぁ、う……あ」
「何もできませんよね? 何一つ、はるかさんは私のことを助けられませんよね。なら、一緒にいたって無駄ですよ。気を使わせるだけで何にもならないです」
「せんぱい……」
そんな、ことは、何にもできないことは、知ってた。けど! 私はそれでも先輩の辛さを分け合いたいって思ってた。
だから、こんな、ことで引いたりなんか、したく、ない。私は、先輩が、好き、なんだから。先輩の恋人、なんだから!
先輩の呪縛を先輩への思いで解く。解いた、つもりだった。
「大体、…………………………………………はるかさんじゃなくたってよかったんですよ」
「っ!!!??」
「ふふ、たまたま、はるかさん、だったけです。現実を忘れたかった。私のことを知らない人なら、変な気遣いをしてくることもない、そのことに触れたりもしない。忘れさせてくれる。そんな人が欲しかっただけ。現実逃避するための……恋人ごっこだったんですよ」
「っ―――――――――――――――」
う、そ……嘘に、決まってる。先輩がそんなことをいうわけがない。だって、先輩は私のこと好きって、言ってくれて……
「わかったらもう帰ってください。言いましたよね。もう夢は醒めたんですよ。これが、現実なんです」
「せ、ん、ぱい……」
本気だなんて思ってない!! 嘘に決まってる。決まってるのに
涙が溢れて止まらない。止められない!!
「ま……ぁ、今まで楽しかった事は嘘じゃないですし、そのことに関してはお礼を言っておきますよ。ありがとうございました。あ、あと今日は優衣さんに送っててもらってください。いくら遊びだってっていってもそんな状態で返すわけにもいかないですから。それじゃ、私は優衣さんにお話に言ってきますね」
「あ…………」
何も、反論すらできないまま先輩はさっさと部屋を出て行こうとする。
今なら、今すぐになら先輩を止められたかもしれない、私の気持ちを伝えられたかもしれない。 だけど……
恋人ごっこ
その言葉が私の喉を締め付けて何もいえなかった。このドアを隔てたら先輩が本当に遠くにいっちゃうような気がしてるのに……。
私は自分のことしか考えられないで涙を流すしか出来なかった。