「先輩、だめ……いや」

 夢の内容は覚えてない。ただ、やっぱりいい夢じゃなかったんだろう。こんな寝言を言ってしまっているのだから。

「ん、んん……」

 その寝言からどれくらいたったかは知らないけど私は目を覚ました。

「ぁ……」

 聞こえてきた愛しい声。

 私はそれに気づかないで、ぼけっと天井を見つめた。

 妙な模様に見える天井を見つめて、一つ息を吸うと懐かしいにおいが鼻腔を突く。独特の薬品の匂い。普通に学校を過ごしていれば嗅ぐこともないが、私はなぜかそれに帰ってきたというような気持ちにさせられた。

(……頭、痛い)

 意識がはっきりしてくるとずきずきと頭を痛むのを感じる。

(あぁ、そっか、バレーでボールが当たって……)

 倒れちゃったんだ。

 実にまぬけと思った。

(恋は盲目……か)

 意味は違うけど、ある意味あっているような気もして心の中だけで笑った。

 ときに、頭を打ったせいか自分のことしか考えてなかった私は今私がどこにいるのかということを失念していた。

 つまり、ここは保健室で、保健室には先輩が……好きな人がいるっていうことを。

 ドクン!

 視線を少し下げた私は久しぶりのドキドキを感じた。

(……あ、…あ…。せん、ぱい……)

 この一週間姿を見かけてもいなかった、誰よりも会いたかった人の姿を見て私の心臓は胸を突き破っちゃうくらいにはねた。

 私が顔を傾けて先輩を見ると、先輩も私が先輩のことを気づいたことに気づいた。

「……おはよう、ございます、遠野さん」

 久しぶりに見る先輩の表情は硬かった。

 不安の中にもうれしさを隠せなかった私はそれを見て、心を沈んでいくのを感じる。

「……おはよう、ございます」

 私はゆっくりと体を起こして先輩に鸚鵡返しをした。そのまま何もいってくれない先輩をじぃっと見つめる。

(……先輩、私と会うの、嫌、なの?)

 友達って思ってくれてれば、笑ってくれていい。なのに、先輩は笑うどころかここに居辛そうにしてる。

(なんで……? 私、先輩に嫌われるようなこと、したの?)

 会ってないだけで、そんなことしたとは思えないのに。

 私、先輩に嫌われてる……? 

うそ、嫌、どうして?

「……………」

「あの、遠野さん? 大丈夫、ですか?」

 だめ、だめです。泣いちゃいそう。もう涙腺が緩んできてるのを感じてる。もう一つ何かあったらきっと抑えきれない。

 うつむいた私の目にくしゃっとなった毛布が写る。無意識に気持ちを抑えそうと握り締めていたらしい。

「遠野さん?」

 先輩が不安そうに私のことを呼ぶ。私は力の入っちゃう自分の手を見つめるだけ。

「ふぅ…」

「っ!!?

 先輩がため息にも似た息をはいて私は肩をびくつかせた。

 今までの先輩なら、こんなとき無理にでも顔を覗き込んできたのに……

 私の中にある悲しみの器に涙がたまっていった。それは瞳にあふれ出して、ゆらゆらとぎりぎりのところで漂っている。

「あの、遠野さん、そのままでいいから聞いてくれますか?」

「……?」

 先輩のなぜか不安そうな声。不思議には思ったけど、涙のたまった目を見られたくなくて私はうつむいたまま、どうにか涙声にならず「はい」と答えられた。

 それが先輩の不安の膨らませることだって気づかないで。

「あんまり、私からこういうこと聞くものじゃないかなとは思うのですが、このまま理由もわからないで疎遠になってしまうのも嫌なので、はっきり聞きますね」

(疎遠……)

 私は先輩の言葉の意味を理解する前にそれだけに過剰反応して、不安を増大させる。

「……私、遠野さんに嫌われちゃってます?」

 そして、先輩の口から出た耳を疑うような一言。

(……………………………………………………………え?)

 あまりにも予想したのとは違うことをいわれたせいか理解するのに時間がかかった。

「あ、の………?」

 こんなことでやっと私は先輩の顔を見れた。

 先輩は、私がおきたときとほとんど変化のない居心地の悪さを感じたような表情をしている。

(な、なんで??)

 どうして先輩にそんな風に思われてるの? そんなわけない、私が先輩のこと嫌いなんてありえるわけない。むしろその反対だったから今まで会いにこれてなかったのに。

 突然のことに私の頭は処理能力を超えてパニックになった。

「あの、どうして、ですか?」

「いえ、最近会いに来てくれませんし、さっきも寝言で私のこと嫌とかいってましたし、よく考えると、あのジュースの時以来遠野さん私のこと避けるわけじゃないですけど、私といるとき妙な感じになってましたから……嫌われちゃったのかな、と」

「そ、そんなこと……」

 ぜ、全部逆。逆です。好きだから、会うのが怖くなったし、寝言は……夢は覚えてないけど先輩のことばっかり考えてるから夢を見ちゃったんだし、ジュースのとき以降変になっちゃったのは、きっとあの時くらいから無意識に好きって思い始めててドキドキするようになっちゃったからなんです。

「それにこの前、会いに行ったら遠野さん、私を見て逃げちゃいましたし」

「そ、それは……」

 先輩があの子に会いに来てたんだって思ったから。

(あ、あれ?)

 【会いに行ったら】

 あの時、私に会いに来てくれてたの……? で、でもなら他の人と話すなんて……しかも楽しそう、だったし……

 本当に、私に会いに来てくれてたの? それともこれも嘘?

「って、私が目の前にいちゃそうだなんていえないですよね」

「…………嫌いじゃ、ありません」

 思考のほとんどはあの時に先輩が私に会いに来てくれてたかに奪われてるけど、まだ頭の冷静な部分が先輩のこと嫌いと思われている私を否定したくて口が動いていた。

 ただ、状況を考えればこんな風に絞り出したような声じゃ信頼度は低いだろう。

「あはは、ありがとうございます。やっぱりやさしいですね、遠野さんは」

「え……?」

 諦観したような先輩の声。笑っているのに、乾いてて悲しそうだった。

「そうですよね、やっぱり……うん。今までありがとうございました」

「へ?」

「もう無理に来てもらわなくても大丈夫ですよ。今まで、すみませんでした、私のわがままなんかに付き合ってもらっちゃって」

「あ、あの……」

 なんで、お別れみたいなこというの? 嫌いじゃないってちゃんといったのに。もしかして遠まわしに振られてるの?

 もう来るなって言われてるの? 

 ……嫌いって、言われてるの????

 そんなの……

「ひっぐ……」

 抑えきれなかった。ここ最近ずっと抱えていた不安が、先輩に会ったときからあふれそうだった涙の器がはっきりと溢れ出した。

「え、え……? ど、どうして泣くんですか?」

「ひぐ、っく、嫌いじゃ、ない嫌いなんかじゃ、ないん、です。お願い、信じて、ください……だから……」

 嫌いにならないでください。

 もう支離滅裂。嫌いだって言われてるのに、嫌いじゃないから嫌いにならないでなんてわけがわからない。でももうパニックになって私はそんなことをいってしまった。

(っ!??

 そんな中さらに私をパニックにさせるできごとがおきる。

「……はい、わかりました」

 先輩が私のことを優しく抱きしめていた。

(先輩が私のこと、抱きしめてくれてる……? 嘘……こんな…あ、いいにおい……先輩の匂い……なんで先輩、私のこと嫌いっていったのに、私のこと抱きしめて……やっぱり胸ちっちゃい……、じゃなくて、ふられたのに抱きしめてくれてる??)

「遠野さんの言葉ですもん、信じます」

「はい……」

「にしても、私だめですね。前は嫌いになられても気にしてる証だからいいだなんていったくせに、いざ、好きな人に嫌われたって思ったらもう目の前が真っ暗になっちゃいましたよ」

「好き……」

 こんな風に無責任に好きだなんて……いって

 それにこれは、あくまでお友達として。勘違いしちゃいけない。友達のいない先輩が、自分にとって大切なんだからかまってっていうための手段で……あれ? でも、先輩に話す人いるんだからそんなことする必要なくない?

 ただ、先輩が変なことしてくるって噂があるっていうことはそういうようなことしたり、いったりしているわけで、つまり……

(先輩が友達って思ってるひとには……みんなしてるの?)

 だめ、そんなの!! 絶対駄目! 

 先輩は私のなのに……私のことしか見ちゃいけないのに!

「先輩……」

「はい?」

 怒りなのか、悲しみなのか自分でもよくわからないまま私は戸惑いながら声を出すと先輩は一度私からはなれた。

「先輩は、私のこと……どう思ってるんですか……?」

 もうパニック。完全に自分で自分を混乱させている。こんなこと聞く流れじゃないはずなのに、暴走しかかっている気持ちはとまらなかった。

「どう、って……大好きですけど?」

「嘘ッ!!

「う、嘘って……そんなことありませんよ。本当です。たとえ遠野さんが私のこと嫌いって思っても私は遠野さんのこと大好きですよ」

 こんな風に私の気も知らないで、好きだなんて、軽々しく好きだなんて……私は悩んで、悩んで、悩んで、苦しんで、その一言がいえないってずっと悩んでいるのに。

 どんどん頭に血が上っていく。それが脳を沸騰させて私は暴走を止められない。

「じゃあ、どうして他の人と会ったりしてたんですか!?」

「……はい?」

「私に会いきたとかいったのに、他の人と話してたじゃないですか」

「あ、あのー? 遠野、さん?」

「他にも、保健室で誰かと話してたじゃないですか! こんなところで二人きりなんて…」

 先輩が私に言ってくれたのは友達としての好きだってわかってる、でも人の気も知らないで軽々しく好きだなんていう先輩に理不尽な怒りを抱いた私は止まらなかった。

 そして、

「私のことが好きなら、私だけを見てくださいよ!!

 とめられなかった私の気持ちが爆発して気づけばそんな叫び声をあげていた。

 

 

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