穏やかな春の風を感じながら私はある場所を目指して歩いていく。
周りには賑やかな喧騒。その中にたまにすすり泣くような声が聞こえてきたりもする。
一生の内で何度も味わうことのない嬉しさと寂しさを混ぜた不思議な気持ち。
卒業式。
もう式は終わってて、私は一人であの場所を目指している。
ゆっくり、一つずつ名残を惜しむように景色を楽しみながら。
(なんだか、まだあんまり実感わかないなぁ)
式の最中じゃ感極まって泣いちゃったけど、明日からもうここに来ないっていうことが何だか信じられない。
「あ………」
そんな中私は中庭の隅であるものを見る。
校舎の隅っこ。陰に隠れる場所だからここから偶然見ない限りは見つからない場所。
同じ学年の子と、下級生の子が抱き合ってるのが見えた。
(……卒業式だもんね)
私はそれだけを思うと次の瞬間にはすぐに歩き出した。
そんな無粋なことをしてちゃいけない。
(……変わったなぁ、私)
つい半年前には、あんなの見たら顔が真っ赤になっちゃってたのに。
でも……変わったのは私だけじゃないよ。
私は一度立ち止まって、その場所を見つめていた。
目の前には装飾された扉。
学校の外れにあるこじんまりとした建物。
第二音楽室。
昔は、合唱部と吹奏楽部がそれぞれ別々に活動するのに使ったりとかしてたらしいけど今は生徒数もへって吹奏楽部の楽器置場になっていて普段は人もあんまりいない。
でも、私にとっては何よりも思い出深い場所。
だって、ここは私の世界が変わった場所だから。
「聖ちゃん」
私は扉を開けるとすぐにその人のことを見つけて声をかけた。
「撫子さん」
私の好きな人、恋人の聖ちゃんはピアノの前に座って私のことを呼ぶ。
「やっぱり、ここにいたんだね」
「……えぇ。最後に見ておきたかったから」
「……うん」
ただ頷いて私も聖ちゃんの隣に座った。
「……………」
聖ちゃんはピアノを見つめている。恋人の私がいるのに。
その横顔は切なさに満ちていて、簡単に声をかけていいものじゃない。
だからは私はただ、聖ちゃんの手に私の手を重ねた。
「………………結局、どうしてあの人は私の捨てたのかしらね?」
聖ちゃんはそれを合図にしたかのようにつぶやく。
答えなんてないその問いを。
「撫子さんは気づいてるかもしれないけど、私ね、ほとんどこのピアノには近づかない様にしてた」
「……うん、知ってるよ」
「どうしてもあの人のことを考えちゃうから。そして、そんな日には決まって部屋で泣いちゃってたから」
寂しそうな横顔。けど……寂しくないんだよね。
「でも、今はそんなことない。貴女がそばにいてくれるから」
「……うん」
「私、きっとあの人ことを忘れるなんてできない。私とって特別過ぎたから」
「……うん」
それはちょっと悔しくて、悲しいけどわかるよ。私が聖ちゃんのことを絶対に忘れられない様に聖ちゃんも初めて世界を変えた人を自分の中から消すことはできないんだって。
「でもね」
聖ちゃんは私の手を握り返してくれた。
「これからは、撫子さん。貴女と生きていきたい」
そして、強い思いを秘めた瞳で私を見つめてくれた。
「私はね、貴女に本当に感謝してるの。だって、私はもう普通なんか戻れないって思ってた。けど、撫子さんはそんな私を受け入れてくれて、幸せをくれた。そんなあなたが本当に大好き。この世界で一番、この先もずっとあなたが大好きよ。だから、貴女とずっと一緒にいたいって思う」
聖ちゃんの告白。
あの日から聖ちゃんはどこか変わった。私に本当の気持ちを見せてくれるようになったって思う。こんな風に気持ちを言葉にしてくれることも少なくなくて、私はそのたびに恥ずかしくも嬉しくて、安心しちゃう。
「貴女を幸せにするわ」
まして、私が一番欲しかった気持ちをくれたらなおさら。
本当はあの日に聖ちゃんはこれを言ってくれたんだけど、私はそんなの知る由もなく、未来につながる聖ちゃんの言葉に
「………うん」
私は瞳を歓喜の涙で潤ませながら頷いた。
「私も聖ちゃんと一緒にいたい。聖ちゃんのことを幸せにしたいよ」
聖ちゃんが私を幸せにして、私が聖ちゃんのことを幸せにする。
なんだかプロポーズみたい。
ちょっと恥ずかしいけど、そんなの気にならないくらいにとても嬉しくて私は聖ちゃんのことを甘く見つめる。
「撫子さん……」
聖ちゃんが私を愛おしそうに呼んでくれて、頬に手を添える。
「聖ちゃん……」
私が何を聖ちゃんが何をしようとしてくれるのかを察してゆっくり目を閉じた。
(……これも、世界が変わる瞬間なのかな?)
何度目だろう、その瞬間は。
世界って意外とあっさり変わっちゃう。何かを見たり、知ったり……キスを、したり。
そんな一つのことだけですべてが変わっちゃうときがある。
それは嬉しいこともあるかもしれないし、悲しいこともあるかもしれない。
時には周りの誰もが信じられなくなる時だってあるかもしれない。
戸惑うこともある、不安になることだってあるよ。
でもね、私はもう怖くないよ。
だって、一人じゃないから。
聖ちゃんがいてくれるから。
これからもきっと私の世界は変わっていく。
いろんなことを経験して、いろんなことを思っていく。
私はそれを楽しみ生きていくよ。
聖ちゃんと二人なら、何も怖くないから。
「………大好き、ありがとう」
そうして私は、何度目かの世界が変わる瞬間を受け入れていった。