数日が経った日のお昼休み。

 平日のお昼休み。

 私はごはんも取らないで校舎から寮へと戻っていた。

 玄関を開けて建物の中に入ると、普段とは違う空気に出迎えられる。

 人気のないシンとした建物の中は、いつもの寮とは違いすぎてなんだか同じ建物じゃないみたい。

 どこか寂しさと同時に非現実的な心地のする中私は一直線に目的の場所へと向かう。

 その場所に目的の人がいるかなんてわからない。でも、何となくその心配はせずについたその場所で。

「失礼します」

 と、挨拶はしてもノックはしないでドアを開けた。

「っ。春川、さん……?」

 驚き私を見る一年さんに

(……さすがに今日はしてないのね)

 と少し残念に思う。

 これからすることを思えば、していた方が都合がよかったけれど……さすがに節操もなくいつもいつもしたりはしないみたい。

 心で呟くも。

 仮面をかぶることを決めている私は、初めて蘭先輩と話した時に彼女にそうされたように

「……今日はしていないんですね」

 と、口角を吊り上げて座っている彼女を見下すかのように言った。

「え……? してないって、え? 何を?」 

「何って、オナニーですよ」

「へ!?」

「昼間誰もいない時はしてるものかと思っていました」

「は、春川さっ……な、なにを?」

 突然と来訪と耳を疑うような言葉に、あたふたと見るからに動揺を見せる一年さん。

 そこに「大人」としての姿はなく、今私の前に居るのは私とそれほど歳の変わらない一人の女性。

 心の乱れが回復しないうちに私は彼女との距離を詰めて、顔を突き合わせる。

「っ……」

「今日は一年さんに「お願い」があってきたんです」

 そうして、私は彼女を縛る言葉を吐き出していた。

「おね、がい……?」

 私の様子が違うことに気づいている一年さんは狼狽しながらそれを繰り返し私を見返す。

「そう、お願いです」

 口にしたのはただの頼むっていう意味じゃない。今二人の間で交わされるお願いは、「脅迫」って意味に置き換えられるもの。

 一年さんもそれを理解していて迫る私に、座ったまま後ずさろうとするものの狭い部屋の中じゃすぐに限界がきてベッドへと追い詰められた。

「な、なにをするつもり、なの……?」

 迫る私を見る瞳には恐怖の色が宿っている。少なくてもどういうつもりなのかっていうことくらいはわかっているみたい。

(……こんなことがしたいわけじゃないけど)

 私は心で呟いてから、自分も床に膝をついて息のかかるような距離に迫って戸惑いを隠せない顔を見つめる。

「そんなこと、言わなくてもわかるんじゃないですか?」

「……っ。ね、ねぇ待って」

「心外な言葉ですね。お願いを聞いてくれるって言ったのは一年さんの方なのに」

「それは……確かにいった、けれど……んっ!」

 手を押さえつけて首筋を軽く舐めた。

「ちょ、っとま……っ」

「一年さんは私に逆らえない。違いますか?」

「っ……で、も……」

 おびえる姿に邪な気持ちを抱きはするも、ここに来た目的を忘れたわけじゃない私は「なら、私の質問に答えてくださいと」続ける。

「しつ、もん?」

「えぇ」

「も、もちろん……そのくらい」

 追い詰められている一年さんは迷わずに頷くけれど

(その無責任な言葉のせいで今こんなことになっているんじゃないですか?)

 空手形を与える姿勢にちょっと呆れる。でも、それがこの人のらしさなのかもしれない。

 心ではそう思いながらも、表向きはいやらしい顔をしたまま

「蘭先輩のこと、どう思っているんですか?」

 彼女の心を暴く問いを投げかけた。

 でも、こんなんじゃまだ足りない。

 聞きたいのは

「蘭先輩のこと、好きなんですよね」

 彼女の本当の気持ち。

「なに、を……何を言っているの…私は」

 動揺してる素振り。わかっていなさそうにも思えるけれど、それが本当じゃないことを私は知っている。

「好きですよ。あの人のこと」

「ち、がう……違うわ」

 強情、というよりも認めることを恐れてるようにも見えた。

 でも、それが好きだっていうことですよ。

「私、知ってるんですよ」

「なに、を」

「蘭先輩とこういう関係だったんですよね」

「っ……」

 言いながら指先で太ももの内側に触れると、身を固くして表情をこわばらせた。

「好きでもないのにこういうのしてたんですか? それこそ、軽蔑されるようなことですね」

「………っ」

 悔しそうな顔。私に対してなのか、蘭先輩に対してなのか、それとも自分に対してなのか。

「人には好きでもないのにするのがダメだって言いながら、自分はそういうことしてたんですね」

「………意地悪、言わないで」

 観念した様子に、少しだけ距離を取る。

「私は、貴女たちとは違うの。好きでもない人とこんなことできるわけないじゃない」

(……違うか)

 その通りだけれど、それを否定できない自分がいて情けない。

「そうよ。好きだった。蘭のこと本気で好きだったわ。でも、彼女は違ったじゃない。あの子は私じゃなくてよかった。ただ、たまたま私がいたからしてきただけでしょ」

 そう考えるのも無理はないって思うの。

 ううん、それが普通の印象かもしれない。

 偶々だった。

 それはほどんどの人にとって真実のことかもしれない。私だって、きっかけは偶然だった。

 でも……蘭先輩がこの寮で手を出した人たちの中で、明確の求めたのは多分……貴女だけなんですよ。

「これで満足? ならもう」

 強い口調で私をはねのけようとする一年さんの腕を取って再び押さえつけた。

「まだですよ。だって私の質問に答えていないじゃないですか」

「なに、言ってるの。言ったでしょ。好き、だったって」

「私の質問は今も好きかっていうことですよ。もっとも聞くまでもないかもしれませんけど」

「……そうよ。もう、私は……」

「今も好きだっていうこと」

「っ、な、何をいってるの! そんなわけないでしょ」

 顔を真っ赤にして否定をする。

 その必死さが説得力を無くしていますよ。

 と言おうとしてたけれど、それ以上に一年さんの心を抉ぐことが出来るのは

「じゃあ、なんでオナニーしてた時に蘭先輩のこと呼んでたんですか?」

「っ!!?」

 思わぬ弱点を突かれたように愕然となっている。

「してましたよね? 蘭先輩のことを呼びながら、好きでもないのに自慰しながらあの人のことを呼ぶんですか?」

「……そ、れは……」

 私が見たのは一回だけ。でもあれが最初で最後の一回なはずあるわけない。

「それとも、嫌いだけどセックスだけはしたいとか? それこそ私や蘭先輩と同じ……ううん、嫌いなのにエッチだけしたいなんてそれ以下ですよね」

「そんなわけっ!」

 これまでの一番大きな声。意図せず荒ぶる感情を抑えきれずに吐き出した声。

「わ、たし……私はっ……蘭のこと、なんて……あんな子のこと、なんて」

「……ごめんなさい」

 と謝ったのは今一年さんを追い詰めていることに対してじゃなくて

 パン

 と頬を叩いたことに対して

「蘭先輩のこと何も知らないくせに、勝手なことを言わないでください」

 本来は私が口にしていいことじゃない。でもその通りだから。

「……苦しんでるのは、蘭先輩なんですよ。そうするしかなかった、あの人なんです。それを知らないで、酷いことを言うのはやめてください」

 言いながら私は改めて自分の気持ちを理解した。

 やっぱり私は蘭先輩のことが好きで……そして、好きな人と幸せになって欲しいんだって。

「………蘭の、こと?」

 陶然とした様子で呟いている。

 もしかしたら自分のことに精一杯で蘭先輩の気持ちを考えたことが本当になかったのかもしれない。裏切られたのに好きだっていうのだけが残って、肝心の蘭先輩の気持ちを無視してた。

 ここで答えを教えるのは簡単なことかもしれないけど、それはしてはいけないこと。あの人の過去はあの人の口から語られるものじゃなきゃいけない。

 だから、

「……気になるのなら、蘭先輩に聞いてください。それが、私の本当のお願いです」

 一年さんが動ける理由をつけてようやく一年さんから離れて、そのまま部屋を出て行った。

 心に冷たい風が吹いたような気持ちに胸を締め付けられそうになりながら。

 

12−2/12−4

ノベルTOP/R-TOP