結局、瑞奈先輩に誘われた日に部屋を訪れることはなかった。
もともとその日は蘭先輩が外に行く予定だったらしいけど、予定を変更して部屋にいたらしく夕食の時に瑞奈先輩の方から断りを入れてきた。
それを気まぐれ程度に私も瑞奈先輩も思っていたようだけど、偶然ではなかったことを私は知る。
「……悪いわね、時間取らせちゃって」
とある放課後。
私は蘭先輩に連れられて校舎のある場所にいた。
(……偶然ね)
そこはこの前冬海ちゃんとキスをした場所。私の恋が始まった場所でもある。
「いえ、別に用があるわけじゃありませんから。けど、学校じゃなくて寮でいいんじゃないですか」
「……二人きりで話したかったから。寮だと意外に二人きりにはなれないでしょう」
「そうですね。それで何の用でしょうか」
言葉が少し強くなる。警戒もしているし、なによりこの人のことをよくは思っていないから。
「………そう、ね」
蘭先輩は少し困ったように金の髪を撫で、その碧眼を曇らせ私に歯切れの悪い言葉をぶつける。
「最近、瑞奈と仲がいいの?」
「はい?」
「この前も話していたし、どうなのかしらって思って」
「そんなことをわざわざここに来てまで話すことでしょうか?」
「それは……」
「それに、私が誰と仲よくしようが蘭先輩には関係のないことだと思いますけど?」
確かに私はこの人の【モノ】なったのかもしれない。けど、今はもうどうでもいいことだし、この人に掣肘を受ける理由なんてない。
「……本当は別のことを話したいんじゃないでしょうか?」
わざわざ寮以外の場所で二人にきりになりたいということ。それであればある程度想像がつく。
「………………」
蘭先輩は必要以上に困惑した様子を見せた。そこには迷いの他に後悔や陰鬱としたものも含まれているようで
(……綺麗)
久しぶりに見惚れてしまった。こうした切ない表情を見ることは少なかったから。
一分ほどそんな時間が続いて意を決したように蘭先輩は口火を切った。
「瑞奈とはよく会ってるの?」
……多分ここでの会っているは、エッチしてるかって意味。
「……それに何か問題が? 貴女に私の行動を制限する権利がありますか? 別にいいですよもう、バレたって」
自分でも意外なほど強気にそう言っていた。冬海ちゃんや瑞奈先輩との関係が私を変えてしまっているのかもしれない。
「そういう意味じゃなくて、それと……この前、ここで……貴女の同じ部屋の子とキスをしてた、わよね」
「……見てたんですか。趣味が悪いんですね」
「たまたま通りかかっただけよ」
「……そうですか。でも、それも貴女に何か言われるようなことじゃないと思いますよ。無理やりしてたわけじゃないんですから」
……貴女と違って。
「そう、かもしれないけれど……」
理由はわからないけれど、蘭先輩が弱気になっていて。その姿がなぜか私を苛立たせた。
「……あんまり……そういうことはしないほうがいいと思う」
「………………」
「誰彼かまわず関係を持つなんて……」
(………………)
今の気持ちをどう表現するべきだろう。
驚いたような気はする。困惑もしたし、呆れたのだと思う。
けれど、最も強く感じたのは
「貴女にそんなことを言う権利があるんですか?」
怒りだったのだろう。
理解できない。できるはずもない。私がしていることは非難されることかもしれない。
でも、けれど、この人にだけはそんな資格はない。あっていいはずがない。
私をおかしくしたこの人にだけは。
「ふざけてませんか。自分が何を言っているのかわかってますか。おかしいですよね。蘭先輩がそんなことを言うのは」
自分が一体どれだけの人を同じ目に会わせてきたのか、その自覚がないはずはないのに。
「……………」
蘭先輩が申し訳なさそうにしながら目を背けた。
「それは……わかってる。私が言っていいことじゃないっていうことくらい、わかってる」
「わかっていませんよ。わかってたらこんなこと言えるわけないですよね」
「……………ごめんなさい」
「っ………」
イライラが募っている。なぜ急にこんな態度を取っているのか何もかもがわからないけれど、もしかしたら蘭先輩は蘭先輩なりの理由があるのかもしれないけれど……そんなことは関係ない。
「そんなことを言うくらいなら、なんで私にしたんですか? 私を貴女のものにしようとしたんですか!? 私の気持ちを知ってたくせに」
久しぶりに感情を露わにした。ずっと、この人のものになってから無意識にも意図的にも固めていた心。自分の中に壁を作ってすべてを他人事のように思っていた。
壁の中で抑え込んできた気持ちを怒りに変えて蘭先輩にぶつけた。
「……私が、間違っていたわ」
「っ……!!」
パン! っと考えるよりも早く手が動いていた。
「……こんなことになるなんて考えてなかったの」
「……………」
パン!
再び手が出た。あまりに意味の分からないことを言うから。
こんなことって何? 私が変わってしまったこと? じゃあ、どんなことになるって思っていたっていうの!?
「っ!」
心が激しく高まって言葉にならず睨みつけるように蘭先輩を見つめていると
「………私はおかしなことを言ってるんでしょうね」
諦観したような顔で悲しげに言った。
「………え?」
その姿になぜか毒気を抜かれてしまう。
おかしいに決まっている。誰がどう考えても非難されるべきは蘭先輩の方だというのに。
自分がおかしいことをわかっていながら自覚できていないように見える。
それは普通に考えたらありえないことのはずなのに。
蘭先輩は今悲しそうに見える。
そこに、小さな女の子がいるようなそんな錯覚。
「っ!!」
な、何を考えているの!?
一瞬何かにあてられたように妙なことが頭によぎったけど、この人はっ……
「…………」
濡れた碧眼が私を見つめている。吸いこまれそうな澄んだ瞳に心を奪われてしまう。
「……………ごめんなさい」
小さくつぶやいたその言葉は私が初めて聞いた蘭先輩の本音のような気がして、そう言い残して去っていく蘭先輩に私は何も言えなかった。