私は本当に寮母さんのことを誰かに言うつもりなんてなかった。寮母さんのためというのもあるけれど、そもそもそんなことを言いふらしていたら私の方こそ分別のない人間と思われてしまう。

 だから私にとってはこれから寮母さんと話しづらくなるな程度にしか思わなかった。でもそれは私の見解にしかすぎなくて、予想外の事態を招くことになる。

 寮母さんの自慰を覗いてしまった日の夕食の時間。私が冬海ちゃんと千秋さんと食事をしていると、そこに珍しく寮母さんがやってきた。

「春川さん、お話しがあるんだけど」

「話?」

 と返したのは私じゃなくて冬海ちゃん。今まで自分から話しかけてくることの少なかった寮母さんが何をと気にしているのだと思う。

「えと……」

 私以外の相手が話題を気にしだだけで不安げな瞳で千秋さんと冬海ちゃんを交互に見やる。

「ご飯食べたら部屋に行きます」

「あ、部屋じゃなくて……あ、ううんとりあえず部屋に来て」

「? はい」

 私が察して話を進めると寮母さんは少しだけ安心したように頷き、そそくさと離れて行った。

「珍しいよね、寮母さんが話しかけてくるなんて。鈴ってば何かしたの?」

「……少し。ところでやっぱり珍しいの? 寮母さんが話しかけてくるのって」

「んー、珍しいですよねぇ。仕事さぼったりとかはしてないみたいですけど、私なんて多分まともに話してもらったことないですよ」

「私もそうかなー。こっちから話しかければ普通に話してくれるけど、向こうからはあんまりそういうの見ないよね」

「へぇ」

 探るのも変だったから今までは寮母さんのことを聞いたことはなかったけれど、やっぱり私と同じ印象を持っているみたい。

 立場上、寮生と積極的に接しないのはむしろ不都合があるようにも思えるし、もっと言えば職務怠慢のようにも思えるけどそこには容易に触れらない、触れてはいけない事情があるのかもしれない。

 そんな風に思いながら、なんの話をされるのだろうかと気にしていた私だけれどこの場で寮母さんに誘われてしまったことを後で後悔することになる。

 

 

 寮母さんの部屋を尋ねるとまず、そこから連れ出された。

 話をするのであれば部屋の方がいいような気もするけれど、よく考えれば適した場所ではないかもしれない。

 どうしても昼間のことが思い浮かんでしまうだろうから。それは寮母さんからすれば遠慮したいこと。

 代わりに連れてこられたのは寮母さんの部屋の階の廊下の隅。

 住む部屋はなく備品室があるくらいで、あまり人通りはない場所。

「あの、それで………誰にも言ってないわよ、ね?」

 話題が話題だけに人通りのない場所とはいえ小声になって必然体の距離が短くなる。

(……なんだか大人の香り)

 寮生からはあまり感じないような甘い白桃のような香りについ頬を赤らめてしまう。

「? 春川さん?」

 私が返答しないことを不審に思ったのか寮母さんはさらに私に詰め寄ってきた。それにわずかに動揺してしまいながら「なんでもありません」と答える。

「言ってませんよ。そんなに信用ないですか?」

「そういうことじゃ……でも……」

「………………」

 申し訳なさそうに私を見る寮母さんを見ながら私は、あることを思い出していた。

 それは私が一番思い出したくない日。

 私の初めての日。

 

 言葉だけの約束ってあんまり信じないのよ。

 

 そう言われた。あの人に。

 そして、同じ秘密を共有した。

(今思えば……もっともかもしれない)

 言葉だけでなんていくらでも言える。

 だからといって、この人と【同じ秘密】を共有するというわけにはいかないけれど。

「貴女のことを信用してないわけじゃない。本当よ。でも………その………」

 不安は別に湧き上がってしまう。

「気持ちはわかりますけど、なら私にどうしろっていうんですか?」

「それは……その……」

 こちらに言うつもりはなくてもそれを寮母さんに信じてもらう必要がある。それは私にはどうしようもできないことだけど、わざわざ誘ったということは腹案があるということなのだと思う。

「……だけ……言う……こと、を……聞く、から」

 寮母さんはうつむきながら何やらぼそぼそとつぶやいたけれど、私の耳にははっきりとは届かなくて私は「え?」と聞き返すと

「一つだけ、春川さんの言うことを何でも聞くから、あの事のことは黙っておいて!」

 今度は二人の距離を考えれば過剰すぎる声を出した。

「そ」

 そんなことをしなくても誰にも言いませんよ。

 と言葉が喉まで出かけたけれど飲み込む。

 彼女が欲しいのは私の言葉じゃなくて、自分の中での安心。私がいくら大丈夫ですと言ったところでそれは心には届かない。

「わかりました」

「本当!? ありがとう!!」

 私が条件を呑んだことで安心ができたのか寮母さんは私の手を取って包み込んだ。

 唐突に感じた熱に思わずドキっとしてしまう。

「じょ、条件はまた今度考えますから」

「えぇ! あ、で、でもその……あんまりひどいのとかはやめて、ね?」

 そちらから白紙の小切手を渡しておいてとは思うけど、冷静になったのか少し不安げな様子になった。

「……考えておきます」

 この時には蘭先輩のことを聞くことに使うか、それとも適当なお願いで濁すかを考えている程度だった。

 

8−3/8−5

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