それはその日のお風呂後のあとのこと。
冬海ちゃんがずっと他の友達といるということもあって私は一人でお風呂に行ってきた帰り。
お風呂のある地下から一階へと上がろうとした踊り場で冬海ちゃんと出会った。
「あ、冬海ちゃん、これから……お風呂?」
「はい。鈴さんは先に入っちゃったんですね」
「ごめんなさい。冬海ちゃんが一年生たちと一緒だったから」
「別にそのことについては怒ってはいませんけど」
「そ、う……」
反射的に謝ってしまうのが今の関係のゆがみをそのまま表している気がする。でも、それよりも
(そのことについては……?)
別のことに怒っているという意味になることに気づいてそらしていた視線を戻すと
「夕ごはんの時、あの人となに話していたんですか?」
「っ………」
並々ならぬ迫力をもって冬海ちゃんは私を鋭い視線で射抜いた。
「瑞奈さんのこと?」
「他に誰がいるんですか?」
「別に、瑞奈さんとは少し学校のことで話してただけで」
「本当ですか? 部屋に来てとか言われたんじゃないんですか?」
「そんなことは、ないわ。本当に冬海ちゃんの考えるようなことじゃないの」
私は真実を告げているけれど冬海ちゃんは探るような視線をやめることはない。たぶん、想像はしていたんだろうから。
「なら、証明してください」
「証明?」
「私のことが一番好きだって、示してくださいよいまここで」
「っ………それは」
何をしろと明確に言われたわけじゃないけれど、キスをしろと言われた気がする。
「やっぱり、鈴さんは私のことなんてどうでもいいんですね」
「そんなことは……」
そういう次元の話ではない。今の私たちの関係はそんな好きとか嫌いとかそんな言葉で片付くようなことではなくて……
(でも)
私は彼女に逆らうことはできなくて
ちゅ
と、軽く唇を合わせた。
「これで、いいの?」
「全然です、もっ」
と、と続けたかったのだと思うけど階下から話し声が近づいてくるのが聞こえてきて
「……後で話しましょう」
冬海ちゃんはすれ違いざまに耳元でささやくと私の前から去っていった。
(冬海ちゃん)
心が、痛い。冬海ちゃんの要求を断るつもりなんてないけれど、それをしてくるということに胸が締め付けられる。
(でも……断るなんて、できない)
そんな資格があるわけはないから。
沈痛な表情になりながら私は部屋に戻ろうとすると、階段を上がったところで予想外の相手と出会った。
「っ……一年さん」
「春川、さん」
なんとなく顔を合わせたくはなかったけれど、別にやましいことがあるわけでもなく私は会釈をしてその場を誘うとして
パシ
「っ。え?」
腕をつかまれそのまま私の手を引いて歩きだしてしまった。
「あの?」
「いいから、こっち」
その声はどこか緊張に満ちていて、腕を取る手は力強く、歩く足は速い。
表情は固く、何かを思っているのは明白だった。
寮母さんの珍しい行為にすれ違った幾人かには好奇の目で見られながらその背中についていくと一年さんの部屋に連れていかれた。
ガチャ、とわざわざ鍵までかると、わたしにためらいがちに声をかけてきた。
「……もし、違っていたらごめんなさい。でも、さっきの……」
見られていたんだ、と驚きはしたもののそれほどの動揺はなく一年さんの視線を受け止める。
それどこかこれで冬海ちゃんとの関係に何かが起きるかもしれないとわずかな安堵すら覚えていたけれど、一年さんの反応は想像とは別のものだった。
「無理やり、とかそういうことだったら相談して」
(あぁ……)
納得する。
確かにそういう風にも見えたかもしれないもの。少なくてもまともな恋人関係には見えなかった。
「……………違います」
逡巡後、そうやって答える。冬海ちゃんのことは私の責任。誰かに頼ったところでどうにかなるわけでもないし。
「じゃあ……貴女も、神室さんのことが……好き、なの?」
一年さんはためらいがちにそれを問うた。必要以上に動揺しているようにも見えたけれどその理由までわかることなんてできるわけもなかった。
「………………………はい」
私は一年さんにどうこたえるかというよりも自分自身の中での答えに迷いながらも肯定する。
「嘘、よね?」
「関係をごまかすために嘘をつくならともかく、認めるのに嘘をつく理由なんてないんじゃないですか?」
「けど、さっきのは変だったじゃない。春川さんだって困っていたでしょう?」
「あれは、あんなところだったからですよ。部屋でならキスくらいいくらでもしてあげるのに」
こんなことを寮を管理する人に積極的に話すことじゃない。けれど、冬海ちゃんの立場をわるくするわけにはいかない。
「でも」
私の演技に一年さんは納得できずに食い下がる。
ただ自分の中でも何を言うつもりなのか決めていなかったのか言葉が続いてこなかった。
「どうして一年さんが私のことを心配してくれるのかは知りませんけど、心配するようなことではないんです」
「でもっ……けど……」
納得しきれずに逆説の言葉をつづける一年さん。それは私の目からは異様に映った。
例えば、寮母として風紀が乱れるようなことをするということに怒りを感じたり、心配をするのならわかる。
けれど、一年さんの心配はそういうものでもない。さらに言うのであれば私を心配するだけのものとも違うような気がする。
「な………」
なぜ、そんなに心配するんですか?
そう問いかけようとして一瞬とまり
「なぜ、そんなに心配するんですか」
問いかけなおした。
「っ、それは………」
おかしくないはずの問いなのに虚を突かれたように一年さんは狼狽する。
「………………」
小刻みに震える。まるでおびえているかのように
「………………だ、って……普通、じゃ……ないでしょ」
出てきた言葉はおかしなものじゃないのに、一年さんはひどく動揺し私を見ずに絞り出すような声を発した。
事実でも真実でもあるのに一年さんはまともではなくて
「………ごめん、なさい」
なぜかそう謝る姿に私は結局何もわからないままに部屋を去るのだった。