あの日以来、一年さんは私との時間を増やした。それまでは私が時間をつぶすために部屋を訪れていたけど、今は一年さんの方から私を呼ぶことが多くなっている。
冬海ちゃんとのことが関係しているのは間違いないけれど、直接それを聞いてくることはなくてただ時間を過ごすだけ。会話はないわけじゃないけれど、多くはなく一年さんの様子もどこかおかしい。
「そろそろご飯の時間なので戻りますね」
「えぇ」
夕食近くになると部屋に戻るのが通例で今日も私は挨拶をしてから部屋を出る。
戻ったら冬海ちゃんとご飯。この前こそ、瑞奈さんと話していると何かを勘ぐったけれど、たぶんそれは私と関係を持った人だからでそれ以外は話をしていてもそこまで私に干渉してくることはない。
もっとも、夜の相手をするというのは変わらないのだけれど。
たぶん今日もだろうなと、疲弊した心でそれを思い部屋から離れていこうとすると
「っ……!?」
いきなり衝撃を受けた。
正面からの力を受けて、背中が壁に押し付けられる。それと
「なに、してるの」
唸るような声と、
（ひっ）
猛禽のように鋭い眼光。
「蘭、先輩」
金髪碧眼の主は、私を押さえつけながらものすごい形相で私をにらみつけていた。
身の危険すら感じられる蘭先輩の迫力に私は体をすくませてしまう。
「なんであの人の部屋から出てきたの？」
鋭い眼光は変わることなく私をとらえて離さない。異様な感情が向けられつい
「たまたま、用事を頼まれていた、だけ……です」
嘘をついてしまった。恐ろしいと感じるからこそ、本当のことを言うべきだったのに。
「っ!」
壁へと抑えつけられた力が強まる。
「嘘をつかないで。昨日も来てたわよね」
「なんで、それを」
いえ、おかしくないの？ 好きな人のことなのだから。
「それに、最近よく話してるわよね」
「……はい」
「なんの目的であの人に近づいてるの？」
「目的、だなんて」
確かに最初は蘭先輩の好きな人がどんな人なんだろうと会いに行ったのは事実。でも、結局は聞くことのないまま無為に過ごしているだけ。
「言ったわよね。あの人に何かしたら許さないって」
「何も、してません……ただ呼ばれてるだけで。っ!」
今度は嘘をつかずに答えたけれどそれが仇になる。肩がさらなる圧迫に悲鳴を上げてしまいそう。
「なんであなたがあの人に呼ばれるの？ あの人はそういうことしないの。誰にだって」
鬼気迫る様子に痛み以上に疑問符が頭を支配する。
好きな人のことだ。部屋を訪れる相手を気にはするだろう。けれど、なぜ部屋に呼ぶということしないのを知っているの？ それは事実だけど、蘭先輩がわかったかのようにそのことを告げるのは違和感があって当然だった。
（それとも）
知っていて当然なの？ もしかしたらその原因を作ったのは……
「なに、その目は」
目？ 私は今どういう目で彼女を見ているんだろう。
好奇？ 嫌悪？ 興味？ 好意？ 軽蔑？ 憐み？
わからない。でも……なぜか瞳が潤んでくる。
自分の感情に折り合いがつかないまま私は
「その誰にだってっていうのは、蘭先輩も含まれるんですか？」
さらなる逆鱗に触れかねないことを口にしてしまい。
「っ!!」
衝撃を受けている蘭先輩にまずいとは思って心を縮ませるていると
「二人とも、何……しているの？」
今一番見られてはまずい人に声をかけられた。
その瞬間、場の空気が凍った。
「……………」
まるで本当に時が止まったかのような緊張。蘭先輩はわたしを押さえつけたまま、予想外の出来事に呆然と一年さんを見つめ、一年さんは苦悶の表情を浮かべてたぶん蘭先輩のことを見てる。
ピリピリと肌に刺さるようなそんな空気の中
「絢、さん」
「……………ら……夏目、さん」
乾いた言葉が二人の間で交わされた。
名前を呼び合う二人は、それだけなのにどこか泣きだしてしまいそう。
「夏目さん……春川さんを離してあげて」
先に表情を変えたのは一年さんの方だった。大人として、寮母としての顔。
「…………はい」
対する蘭先輩は、いつもの超然的な態度はなく年相応の少女のらしい弱気な顔でゆっくりと私から離れた。
これからどうするべきだろうと私はわからないでいると、一年さんはこちらに近づいてきて
「……大丈夫、春川さん」
私の方に話しかけ来た。
「っ……」
蘭先輩が目の前で息を飲む。
「は、い……」
形としては助けられたということは間違いないけれどありがとうございますとは言えずただ問いかけに頷く。
「そう」
一年さんは私たちの間に何かが起きたことはわかっても、その理由まではわかるわけはなくそれ以上の言葉が出てこない。
いや、普通であれば蘭先輩に何かを言うもののはず。たしなめるようなことを言ってもいいはずなのに黙って視線を送るだけ。
（ただ、蘭先輩が好きなだけじゃない）
そう思ってはいたけど改めて確信をした。
この二人の間にはすでに何か、それも穏やかではないことがあった。それでも蘭先輩は想いを捨てられずにいる。
「…………鈴、ちゃん」
「っはい」
この状況で名前を呼ばれるとは思っておらずびくつきながら返事をすると、蘭先輩は涙を浮かべて
「ごめん、なさい……」
とたどたどしい足取りで去って行ってしまった。
その小さな背中を見つめる私は
「………蘭」
小さくそう呼ぶ一年さんを一瞥して、もう一度蘭先輩の背中に視線を戻す。
「……………………」
とても小さく儚い背中。
それを見つめているとなんだか締め付けられるように胸が痛い。柔らかな疼痛に私は……