私はすみれの言う通りつまらない人間だろう。
すみれに言った通り別にそれがかっこいいとか思っているわけじゃないけれど、流行には乗らず、イベント事には興味を示さずというのが当たり前で必要以上に騒ぐ人間を冷めた目で見るタイプだ。
まして挑発に乗るような人間ではないのだけど。
恋人にバレンタインチョコをもらって何もしないような恩知らずにはなりたくはない。
それになりより、すみれはホワイトデーに期待をしている。
ならその期待に応えたいと思うのは恋人としては自然な感情だろう。
もちろん、単純にお返しをするのもいいだろうけど、そこで私の面倒な部分が顔を出す。
すみれの言葉ではないけれど、せっかくなのだからすみれを驚かせるような何かがしたいと柄にもなく思ってしまったのだ。
◆
ホワイトデー当日、時は深夜。
夜が明ける前の一番暗い時間。
ほとんどの人間が寝静まり、ほとんどの音が消えた静寂の中私はキッチンに立っていた。
寝間着にエプロンなんていうなんとも妙な恰好で。
部屋同様に余裕のあるキッチンのスペースには薄力粉、バター、砂糖に卵。
まぁクッキーの材料だ。
これからするのはバレンタインのお返しにクッキーを作ること。
していることは少女のようだけど、これには理由がいくつかある。
一つはサプライズをしてやろうということ。
すみれは自分がそうしたように既製品を私が渡すと思っているだろう、そこに手作りという驚きを加えたい。
これも少女のようで我ながら恥ずかしいけれど、すみれはなにより私の手作りを喜んでくれると思うから。
クッキーにしたのは失敗しないため。
一人暮らしが長かったこともあって自炊はしてきたが、お菓子作りなどしたことはなく下手に凝ったものよりも簡単かつ安全に作るべきだと考えたから。繰り言になるが、すみれはなにより私の手作りということを喜んでくれるだろうから。
そしてこの時間にしているのはそれもまたサプライズのためでしかない。
手作りをしようにもその姿を見せては意味がない。
いやそれはそれで喜んでくれるかもしれないが、私が見せたくないのだ。
苦労など見せずにスマートに渡して見せたい。
(……つまらないというより面倒な人間ね)
意外な自分がいることは……否定しない。
これもまたすみれの言葉じゃないけど、あいつのために頑張ろうというのは悪い気分ではないから。
「くぁ……あ。さて、やりますか」
欠伸をしながらもクッキーづくりを始めて行った。
お菓子作りをしたことはないと言っても、今の時代レシピなどはどこにでも転がっており、スマホでそれを確認しながらボウルにバター、砂糖、卵、薄力粉を入れて混ぜていく。
自分が素人ということは自覚して余計なことはせず、ネットに公開されたレシピをそのままに手順を進めていく。
始める前は経験のないことで多少の不安もあったが生地にラップをかけ冷蔵庫で冷やし始めるとひと段落となり一度心を落ち着かせる。
(あとは冷えるのを待って、オーブンを設定して……)
問題なく済みそうだと手順を確認し、使い終わった道具の片づけを行っていく。
(今回はシンプルにバタークッキーにしたけれど、少しアレンジしてもよかったかもしれないわね)
そんなことを考える余裕もある中、一番思うのは。
(すみれはどういう反応をするかしらね)
この一事。
すみれとは恋人同士ではあるが、まだまだ付き合いという点では短くすべてを理解できているわけではない。
ましてすみれは普通とは異なりながらも乙女なところもあり反応は読みにくい。
(喜んでくれるのは間違いないでしょうけど)
そこは疑ってない。すみれは面倒だけど単純なやつでもあって、私からのプレゼントを喜ばないはずはないのだから。
「……なんか、この思考すみれみたいね」
自分が愛されていることへの自信。
そこに疑いはないが、バレンタインの時のすみれのようでなんというか……私らしくはない思考だ。
……悪い気分ではないけど。
愛しい相手のために時間を割き労力を用い、その相手の反応をあれこれと想像し楽しんでいる。
なんだか、すみれの言う通りすみれを生きる目的としているようでちょっとだけ癪だが。
もちろんすみれのために動くことではなくてやつの言う通りになってることがという意味だけど。
「ま、それも含めてあいつの魅力か」
なんて本人の前まではいえないようなことを口走りつつ、作業を再開していった。
◆
すみれが起きてくる頃には無事に完成させ、これも私らしからぬことだけどラッピングまで済ませた。
匂いが残らぬように処理もして、すみれの当番だったけど事前に朝ごはんの準備も代わって。
あとは渡すだけ。
タイミングは朝食の後。
すみれは私が準備をしていることは知らないのだから、意表を突くにはそこがいいだろう。
そう決めて何食わぬ顔ですみれと朝食をとって二人で後片付けをしている。
「文葉、今日は早く帰れるの?」
「今日はあんたも知っての通り昼出勤だから、帰りは夜よ。前から言ってるでしょ」
「……そうね」
明らかにホワイトデーを意識したすみれに私は素知らぬ顔で答える。
すみれはわかりやすくというほどじゃないが意気消沈した様子は見て取れる。
すみれの性格ならホワイトデーのお返しはどうなってるのと言いだしてもうよさそうだけどそれを言うのは私への信頼を揺らがすことにもなって言いづらいんでしょうね。
それを利用して今日のギリギリまで焦らすのもありだけど……
私が忘れたのではと不安そうにするすみれを想像する。
いつも必要以上に強気なすみれが、その端正な顔を不安でゆがませて、場合によっては悔し涙なんか流させることになってしまうかもしれない。
(…………)
それはそれで魅力的でゾクゾクとしてしまうけど。
(それは恋人のすることじゃないわね)
良心が勝り当初の予定を遂行することにした。
一通り片付けも終えて、二人で午前はのんびりと過ごすはずの中で。
「すみれ」
ひと段落をしたところで、戸棚に隠してあった包みを取ってテーブルでお茶を飲むすみれへと差し出した。
「え?」
装飾のある袋にリボンを付けた包み。透明なこともあって中のクッキーは見えていて、それが何を意味するかはすみれとてわかるだろう。
「バレンタインのお返しよ」
「え、と……」
先ほどの私の様子からお返しがこのタイミングで渡されるとは想像していなかったのか、状況を飲み込めていないようで目を白黒とさせている。
「どうしたのよ、これ」
既製品でないことは一目瞭然で、それを訪ねてくるということは推測はできても理解はできてないというところか。
「あんたに内緒で夜中に作っておいたの。高いものとかよりもこういうものの方がいいでしょ」
口元に手を当てて私にしてはいたずらっぽく笑ってみせた。
「…………」
何を考えているのかすみれは私から渡された包みを持って呆然としている。
(さて、どういう反応かしらね)
一番ありえそうのなのは、いつものように高飛車に文葉も少しは気が利くのねとかそんなのだろうけど。
「っ……〜」
予想とは違ったようね。
「文葉っ……」
満面の笑みっていうのかしらね。
目を輝かせて、大切そうに私からの贈り物を握りしめて。
「ありがとう。嬉しいわ」
あまりにストレートで飾り気のない感謝の言葉。言葉よりもその喜びを全面に出した表情がすべてを物語っていて。
「っ……」
こっちの胸が高鳴っていた。
「ふふ」
そんな私には目もくれず、私からのプレゼントに夢中のすみれ。
美女のくせに少女のように純粋で……
(あぁ、もう)
かわいいわねまったく。
こんなことくらいでそんなに喜んじゃって。
(…………バレンタインの時にすみれに言われた通りだわ)
もっとすみれの色んな顔を見たいと思う、様々なことで喜んでほしいと思う。
すみれにものを教わるというか言われた通りなのは少しだけ癪だけど、このすみれの笑顔を見ているとそんなのもどうでもよくなってしまうのだから、やっぱり私はすみれが好きなんだなと改めて思い、この大人で子供な彼女を大切にしようとそう心から誓うのだった。